鳥の写真

 

えーと、鳥の写真をただ貼り付けていくだけのエントリーです。あしからず。

 鳥観察はごく最近再開し、ブランクがかなり空いており、以下、よくいる、とかめずらしい、とか書いてますがかなり主観が含まれています(全国的な動向についても一部ネットでちょっと調べました)。

 まず、横浜市鶴見川の鳥たち。

 

f:id:sarutora:20200319103848j:plain

 ↑イソシギ。「磯」といいつつ川に多いようです。ネットで調べましたが、おなかの白い部分が首のしたで食い込んでいるのが特徴だそうで、イソシギに間違い無いと思います。

 

f:id:sarutora:20200318103026j:plain

セグロカモメ。なぜ川に?と思いましたが、いつのものかわかりませんが、こども電話相談室で、最近カモメが陸地に入ってきてカラスが追いやられている、という話がありました。

全国こども電話相談室[いきもの]

 

f:id:sarutora:20200318102359j:plain

↑カワウ。このエリアにいるようですが、なかなかとまっているところが撮れない……。

 

f:id:sarutora:20200315105203j:plain

マガモ

 f:id:sarutora:20200315102713j:plain

コサギ。いい写真がとれた……。

 

f:id:sarutora:20200313115449j:plain

シジュウカラ。まあまあよくいますね。

 

f:id:sarutora:20200313115438j:plain

↑これもシジュウカラ

 

f:id:sarutora:20200312141342j:plain

ヒヨドリ。かなりたくさんいますね。

 

f:id:sarutora:20200306173424j:plain

カルガモ。かなりたくさんいた……はずですが、鶴見川のこのエリアにはあまりいない。

 

f:id:sarutora:20200304161130j:plain

オナガ。意外とあまり会わない。

 

f:id:sarutora:20200320101447j:plain

コガモ鶴見川のこのエリアにはまあまあいます。

 

f:id:sarutora:20200318103650j:plain

↑これは、よくわからない。キセキレイなのかもしれないけど、ちがうような気もする。

 

 f:id:sarutora:20200320094134j:plain

↑カラスの行水。慣用句が現実化した貴重な瞬間。

 

f:id:sarutora:20200318144537j:plain

セグロセキレイ。かなりたくさんいますが、きれいな写真が撮れました。

 

f:id:sarutora:20200318145030j:plain

キセキレイ。まあまあめずらしいです。このエリアに数匹いるみたいでよく遭遇します。

 

f:id:sarutora:20200304161714j:plain

オオバン鶴見川のこのエリアには相当たくさんいる。この鳥、昔はめずらしかったような気がするんだけど、最近増えているのだろうか。それともこのエリアだけの現象だろうか。

と思って「オオバン 増加」でぐぐってみたら、やはり!2010年代に入って急増しているそうです。

db3.bird-research.jp

私が多摩市でしょっちゅうカモを見ていたのは2000年代ですから、そのころとは状況が変わっているのですね。

そういえば、昔たくさんいたオナガガモ、最近見かけないけどどうしたんだろう、と思ってこれまた「オナガガモ 減少」でぐぐってみたら、同じバードリサーチというところのサイトですが、2008年の1月~3月に発生した鳥インフルエンザの影響でカモ類への給餌が全国的に自粛され、その影響が大きかったオナガガモの観察数がその後急減したのだそうです(ただそれは全体の個体数が減ったということではなく分散した、ということのようですが。詳しくは下の記事を御覧ください)。

db3.bird-research.jp

このブログでは2007年にオナガガモの写真を上げています。当時はアドエス(懐かしい!)で撮影してたんだ……。

sarutora.hatenablog.com

減ったあとの2013年にも撮ってますね。

sarutora.hatenablog.com

 このときはオリンパス光学20倍のものをつかっていますが、その後さらにカメラをかえて、今は同じオリンパスの光学50倍!のものをつかっています。これ、照準器もついていて、鳥を撮るのに最高です。昔は、いつかはデジスコとかやってみたいなあ、と夢を持っていましたが、もうその必要ないかなあ、て感じです。

 

 

f:id:sarutora:20200320092929j:plain

ムクドリ。どこにでもものすごくたくさんいます。しかしいい写真がとれた。

 

f:id:sarutora:20200318150554j:plain

↑スズメ。減っていると聞いていますが昔に比べると本当に少ない!昔はもうどこにでもいたのに。

 

f:id:sarutora:20200320095350j:plain

↑ヒバリ?かなあ。よくわかりません。

 

f:id:sarutora:20200318104614j:plain

↑モズ。まあまあめずらしいと思います。

 

次に、横浜市某公園の池の鳥たち。

f:id:sarutora:20200313122035j:plain

↑バン。

 

f:id:sarutora:20200313121942j:plain

キンクロハジロ

 

f:id:sarutora:20200313122049j:plain

↑これもキンクロハジロ

 

f:id:sarutora:20200313121804j:plain

↑たぶんマルガモ(マガモカルガモの交雑個体)。昔住んでいた多摩市の乞田川にもいた。

sarutora.hatenablog.com

テーブル改造

 もともとDIYが趣味とかでは全然なかったのですが、最近ときどきそれっぽいことをやっています。リビングのテーブルの改造は結構うまく行ったような気がするのでブログに書いてみます。

カラーシートで天板リフォーム

 最初の改造は数年前にさかのぼります。引っ越して以来5年以上使っていたリビングのダークブラウンのテーブル(ニッセンの通販で、椅子とセットで1万5千円ぐらい)の表面がひどいことになっていました。傷も結構ついていたし、サイフォンでコーヒーを作ったとき、アルコールランプの底面にアルコールがついていたらしく、輪染みのように白く色が抜けてしまい、その部分を黒いマジックで塗ってごまかしていました。ランチョンマットをおいて隠していましたが、なんとかしたい、とずっと思っていました。ニスを塗り直す方法とかもネットで調べたのですが、まず紙ヤスリで古いニスを落として……など、その他も敷居が高くてこりゃ無理だな、とあきらめました。そこで考えたのが、カラーシートを貼るという方法です。ネットで、リンテックというメーカーのPAROIパロアPWO-713というシートを買いました。10センチ単位で売ってましたが、1メートルで2900円でした。現物を見ずに買ったので不安でしたが、届いてみたら、いい感じでした。というわけで、貼った結果がこれです。

f:id:sarutora:20170210151535j:plain

 

 ビフォーの写真がなくアフターだけなのでなんともですが、うまくリフォームできました。

 裏は、こんなふうに折り返しています。

f:id:sarutora:20191018223640j:plain

座面リフォーム 

 あと、ついでにいうと、イスの座面も5年ぐらい前に張り替えています。ネットで探して、座面を外して送ると似た色のシートに張り替えてお繰り返してくれるというサービスを使いました。椅子の張替え修理のアイランド 全国対応で【1300円!】後払いOK!

二段テーブル化

 さて、天板の表面はきれいになったのですが、ありがちなことですが、普段はテーブルの上についいろいろ(リモコンとかティッシュとかDMの類とか…)ものを置いてしまって、乱雑な状態になってしまいます。せっかく表面がきれいでも、これでは意味がありません。前から、テーブルの下に引き出しがあればいいな、と思っていたのですが、引き出しを作るのは相当大変です。

 そんなある日、たまたま、Eテレの「又吉直樹のヘウレーカ!」という番組をみていたら、山崎信寿という人の自宅のリビングにあるテーブルに目を奪われました。山崎信寿の椅子の値段と通販は?娘はジャイ子の声優山崎バニラ!【ヘウレーカ】NHKというページの下の方に写真がありますが、いわばテーブルの天板が二重になっていて、下の方の天板にいろいろなものを置いて隠してしまうという仕組みです。テーブルの下に引き出しではなくて棚を作るという感じでしょうか。山崎さんの自宅のテーブルは職人に特注で作ってもらったそうですが、これは、テーブルの下に板をつけるだけだから、引き出しを作るよりも簡単にできるのではないか、とやってみることにしました。以下、空いた時間に少しづつ進めました。

 まず、テーブルの下につける大きい板を買いに行きました。しかし、そもそも大きい板というのは意外と売っていない。薄い合板なら大きいのがあるのですが、なんか歪んでしまいそうでやめました。結局、軽くてしっかりしているということで、東急ハンズで、「焼き桐集成材ニス仕上げ」というものの900×300×10(単位はmm)というものを2つ買ってきて、くっつけることにしました。一枚1700円ぐらいだったかな?

 山崎さんのテーブルはテーブルの天板と同じ大きさの二段目の天板がついているようですが、それを自作でするには、うちのテーブルの場合構造的に無理っぽいので、テーブルの脚と脚の間の幅よりも小さい横幅の板を天板の下に何らかの方法で固定する、というやり方が簡単かな、と思いました。テーブルの脚と脚の間の幅は570なので、一枚の板をのこぎりで570に切って、2つをくっつけて570×600×10の板を作りました。木工用ボンドと、念の為I字金具(と呼ぶのかな?)で補強しました。

 裏面↓ 

f:id:sarutora:20191005212715j:plain

表面↓

f:id:sarutora:20191005212727j:plain

 これを天板の下にこのように固定する計画です。

f:id:sarutora:20191019172427p:plain

下から見た図

 ↑茶色い部分が今回作った板(二段目の天板)です。

 これをどのようにテーブルの下に固定するかが問題で、最初は、切って余った板を使ってテーブルの裏にこのようなものをくっつけ、ここに二段目の天板をねじで固定すればどうか、と思いました。

f:id:sarutora:20191005223044j:plain

 が、ここまで作ったところでもっといい方法を思いつき、この吊り下げ方式は却下。せっかく固定したのに、はずしました。

 あらたにホームセンターに行って、一本200円ぐらいの、900×10×10の木の棒(材質は忘れました)を2本買ってきて、そこにこういう細長いカラーシート

f:id:sarutora:20191019173115j:plain

を貼り付けて、黒くしました。

f:id:sarutora:20191007222323j:plain

これを、テーブルの脚の内側にネジで固定します。

f:id:sarutora:20191007223851j:plain

f:id:sarutora:20191007223909j:plain

 ここに、二段目の天板を、固定するのではなく、乗せるのですね。すると、この棒がいわばレールになって、その上で板を滑らせることで、スライド式のテーブルになるのではないか。完成したものがこれです。

 

f:id:sarutora:20191012225558j:plain

f:id:sarutora:20191012225611j:plain


テーブル改造

 こういう、二段目のテーブルがスライドするものって、パソコンデスクなどではよくあるやつですけどね。これは、両側から引張出すことができます。

 ただ、これ、「レール」の上に板を乗っけているだけでは、真っ直ぐにスライドしないので、引っかかってしまいます。というわけで、板の裏に、切って余った棒をこのように木工用ボンドで貼り付けました。これが、外側のレールに沿って動くことで、いわばガイドのようになる、という仕組みです。 

f:id:sarutora:20191012230250j:plain

 

↓下から見るとこうなります。

f:id:sarutora:20191020021828p:plain

 

↓横から見るとこういうことです。

f:id:sarutora:20191020022255p:plain



 

↓下から撮影した動画です。


テーブル改造

 まあ、これでもちょっと引っかかったりもするのですが、十分満足するものができました。


 

PowerPointでイラストを書く(3)

PowerPointでイラストを描く(1) - 猿虎日記

PowerPointでイラストを描く(2) - 猿虎日記

の続きです。

 まず、開いた図形の作り方。前回やったように、「フリーフォーム」で頂点を設定していき、出発点あたりにもどってきてクリックをすると、図形は自動的に閉じた図形になります。

f:id:sarutora:20190911024745p:plainf:id:sarutora:20190911025211p:plain

しかし、 出発点にもどらず、途中でダブルクリックすると、線は閉じず、開いた図形になります。

f:id:sarutora:20190911024858p:plainf:id:sarutora:20190911025018p:plain

閉じた図形を開いた図形に直すこともできます。「頂点の編集」から「パスを開く」をクリックし、その後余分な頂点を削除すればよいです。

f:id:sarutora:20190911025414p:plainf:id:sarutora:20190911025425p:plain

 描画ツール≒ブラシツール

 さて、ここからは前回予告した話です。前回説明したように、PowerPointの「フリーフォーム」は、Illustratorの「ペンツール」に近いもの(のよう)です*1。これは、頂点(Illustratorでいう「アンカーポイント」)と、白い四角い点(Illustratorでいう「ハンドル」)を操作しながら、ベジェ曲線を使って図形を描くツールです。手書きの線のようにはなりませんが、むしろ手書きの線のようにはしたくない、均一でなめらかな線を書きたい場合に便利なツールです。

 一方、PowerPointには、「描画」という機能があります。これは、最近付け加わった機能のようで、昔のPowerPointにはなかったと思います*2。この機能は、Illustratorでいう「ブラシツール」に近いもの(のよう)です。「フリーフォーム」(やIllustratorのペンツール)とは違って、「描画」の場合、手書きのような線を書くことができます。描画機能は、リボンの「描画」タブをクリックします。すると、3本のペンと、1本の鉛筆と、1本の蛍光ペンが出てきます。それぞれ、色や太さを変えることができます。

f:id:sarutora:20190912000803p:plain

 マウスで線を描いてみます。こんな感じで、フリーフォームや曲線ツールと違い、手書きのような太さの変化のある線がかけます。

f:id:sarutora:20190912000946p:plain

 例えばMSペイントのようないわゆるペイント系ソフトで描いた線は、前回説明したように「ラスタ形式」なのですが、しかし、PowerPointの「描画」機能で描いた上の線は、手書き風に見えても、やはり「ベクタ形式」になっています。「描画」機能で描いた線がベクタ形式だというのは、太さを変えたり、拡大縮小したり、変形したり、がきれいな線のままで自在にできるというところからわかります。たとえば、上の線を選択すると、それぞれの線がオブジェクトになっていて、移動したり、拡大縮小したり、太さや色を変えたり、が、図形と同じようにできます。

f:id:sarutora:20190912002203p:plain

f:id:sarutora:20190912002222p:plain

 ただし、描画で描いた線を選択しても、フリーフォームとは違って「頂点」は出てきません。というわけで、フリーフォームのように、一度描いた曲線の曲がり方を変えたりといったことはできないようです。

 で、『イラストで読むキーワード哲学入門』のイラストでは、この「描画」ツールもときどき使っています。とくに、哲学者の似顔絵はすべてこの「描画」を使って書きました。ここで、哲学者の似顔絵をどうやって描いたかをせつめいします。

 たとえば、デカルトですが、まず、デカルトの有名な肖像画PowerPointのスライドに貼り付けます。

f:id:sarutora:20190912003144p:plain

 次に、描画機能を使って、この肖像の輪郭線をなぞります。

f:id:sarutora:20190912003227p:plain

 途中、下絵のない状態での仕上がりを確認しながら作業をすすめましたが、PowerPointにはレイヤーという機能は基本ないので、しかたなく、「下絵削除」→仕上がり確認→「command+z(windowsならctrl+z)で「やり直し」で下絵復活」、の繰り返しで確認作業をしました。こういうところはイラスト専用ソフトではないめんどくささかもしれません。

 作業が終わったら、下絵を削除して完成です。

f:id:sarutora:20190912004115p:plain

 この作業、実は最初はマウスでやっておりました。しかし、マウスだと、さすがに時間がかかり、肩こりと目の疲れがひどそうだったので、結局途中から安いペンタブレットを買ってしまいました…。が、液晶タブレットではないので、マウスよりは多少楽かな、という感じでしたが。 

 というわけで、こんなふうないろいろな作業をしつつ、基本すべてのイラストをPowerPointで作りました。Illustratorなどよりは機能が低いとは思いますが、そのぶん操作がシンプルで、私としてはPowerPointで絵を書くのはありではないかと思いました。

ファイル変換について

 次に、ファイル変換の問題です。私は、一枚一枚のスライドに一枚一枚のイラストを描いていったので、たとえば100枚のイラストを書くとそれが100枚のスライドがあるPowerPointファイル(拡張子は「pptx」)になります。

 しかし、このファイルはそのままではInDesignなどのDTPソフトに取り入れることはできないと思いますので、DTPソフトでも使える形式に変換しなければいけません。メニューの「ファイル」から「エキスポート」で別の形式のファイルにするわけですが、そこで、jpgなどにすると、それはすなわち、前回説明した「ラスタ形式」に変換する、ということであります。せっかくなので「ベクタ形式」のままでファイルを送りたい、というわけで、PDFに変換しました。これで出版社との間でファイルの受け渡しができました。しかしこの辺、私はIllustratorInDesignのことはわからないので詳しいことはわかりません。

f:id:sarutora:20190911031912p:plain

f:id:sarutora:20190911031930p:plain


 PDFでの受け渡しもしましたが、さらに、PowerPointからPDFに変換した上で、それを、フリーのドロー系ソフトInkscapeで読み込み、それをsvgファイルで保存する、というやり方で、svgファイルに変換することもやりました。

*1:なにぶんIllustratorを持っていないので、ネット情報からおそらくそうだろう、ということですが。

*2:ところで、私はMac版のPowerPoint for Office 365を使っておりますが、開発過程の機能だったのか、バージョンアップの過程で、一時この「描画」機能が消えていたことがあります(だと思います)。突然消えてしまって、しかも本のイラストを作っている最中だったので、困りました。その時は、メニューがどこかに隠れたのか、と思って探し回りましたが、ありませんでした……。現在は復活しています。

PowerPointでイラストを描く(2)

『イラストで読むキーワード哲学入門』という本のイラストをPowerPoint*1で描いた、という話の続きです。前回はこちら↓

PowerPointでイラストを描く(1) - 猿虎日記

 今回は、手書きのイラストを、PowerPointでベクタ形式に変換したやり方を、長々と書きました。

*1:PowerPoint for Office 365 for Mac

続きを読む

PowerPointでイラストを描く(1)

4月に『イラストで読むキーワード哲学入門』という本を出しました。

hakutakusha.hatenablog.com

7月には平井靖史さんがtwitterで紹介してくださったりしたのですが(平井さんありがとうございます)

手品のような鮮やかさ!『イラストで読む キーワード哲学入門』紹介(平井靖史さん) - 白澤社ブログ

ちょうど出版のあとから、多忙と体調不良などが重なり、自分のブログでは何も書かずじまい(というかブログ自体が1年以上更新していないのですが)。というわけで、だいぶたってしまいましたが、宣伝を兼ねてブログを書いている、というわけですが、今回は、内容というよりイラストについてです。

 まえがきにも書いたように、イラストは自分で描きました。最初の構想から、陰影をつけない線画、しかも線は太くて抑揚のない線にしたい、というふうに思っていて、とりあえず画材屋さんにペンを買いに行きました。有名なコピックをはじめ、いろいろ試してみたのですが、一番イメージにあうのはステッドラーの「ピグメントライナー」かな、と思い、太めのものを何本か買ってきて、最初の試作をはじめました。

www.staedtler.jp

f:id:sarutora:20181008104826j:plain

横顔原画

 上は実際に本でも使っている横顔のイラストです。結局普通のコピー用紙に、ピグメントライナーで描いて、それをスキャナーでスキャンしました。

 さて、もう一つの構想が、人間の顔とかりんごとか、いくつかのモチーフを繰り返し使う関係で、それらのパーツをコピーして組み合わせる作業をパソコンでやればいいじゃん、というものでした。これは時間の節約という問題もありました(描きはじめるのがぎりぎりだったもので……)。というわけで、ピグメントライナーで顔とかりんごを書いてスキャンしてパソコンに取り込み、パーツを切り取って、何らかのソフトでそのパーツを組み合わせる、ということをやろうとしました。で、その何らかのソフト、をなんにするかが問題でした。もちろん、画像処理に関するソフトとしては、フォトショップイラストレーターといったものが定番としてあり、またGimpInkscapeなどなどいろいろある、ということは知ってはいましたが、ただ、仮にそれらを入手したとしても、時間がない中で、慣れないソフトを使うのは避けたい、というのがありました*1。そこで結局何を使ったかというと、それこそ仕事で20年近く使い慣れたPowerPointでした。

 PowerPointのスライド一枚一枚をそれぞれキャンバスのように考え、そこにオブジェクトとしてパーツのイラストをおいて組み合わせ、最終的にはPDFかなんかでエクスポートすればいいや、と思っておりました。

 さて、パーツの組み合わせで問題になるのは、図を輪郭で切り抜く、というか余分な背景を透明にしておく、ということです。それをしないと、例えば二枚のパーツを重ねるとこんなふうになります。ちなみに、顔の絵と脳の絵はそれぞれサイズを考えずに別々に描いていますが、PowerPoint上で(角の四角いハンドルをドラッグすることで)脳のイラストを顔に合わせて縮小しています。こういうことが自由にできるのも便利です。

f:id:sarutora:20190905181824p:plain

 

 この状態だと脳の背景で顔が隠れてしまうので、これを避けるためには、まず、画像を選択した状態で、メニューの「図の書式設定」をクリックします*2

f:id:sarutora:20190904170045p:plain

 するとこういうメニューになるので、一番左の「背景の削除」をクリックします。

f:id:sarutora:20190904170118p:plain


 すると、選択した画像の一部がこのような濃いピンク色になります。この色になっているところが透明になっているという意味です*3

f:id:sarutora:20190905182815p:plain

メニューを見るとこうなっています。

 f:id:sarutora:20190904170323p:plain

 ここの、「保持する領域としてマーク」をクリックするとマウスがペンの形になります。このペンでピンク色の部分を塗ると、元の色に戻ります。つまり、不透明になったということです。ペンですべて塗らなくても、ソフトの側が輪郭を認識してある程度勝手に塗られていきます。意図しない部分を塗ってしまった、または塗られてしまった(つまり透明になってしまった)場合は、ペンを「削除する領域としてマーク」に変えると、今度は逆に塗った部分がピンク色(つまり透明部分)になります。

f:id:sarutora:20190905183956p:plain

透明にする部分と不透明にする部分が確定したら、メニューの一番右の「変更を保持」のアイコンをクリックすると、以下のように、脳のイラストの不要な背景が削除され(透明になり)、下の横顔のイラストとうまく重なりました。f:id:sarutora:20190905184109p:plain


 というわけで、次回は、結局ほとんどすべてのイラストを(PowerPointを使って)ベジェ曲線で描くことになった、という話です。

 

 

honto.jp

 

*1:GimpInkscapeはほんの少し使ったことはあるのですが。

*2:左のボタンをご覧になるとわかるように、これはMac版のPowerPointです。ずっと20年ぐらいWindowsユーザーだった私が去年ついにMacユーザーになった、という話はいずれ書きます

*3:この例だとわかりにくいですが、脳のシワの線の一部が濃くなっている部分は、不透明(黒)になっている部分です。

座器間漏洩防止装置「ベンザウォール」

 今回は少々belowな話題*1です。
 いまや「〝座りション派〟男性50%超」という時代だそうで、完全に遅ればせながら、ではあるのですが、7年前に引っ越して以来、いわゆる「座りション派」に入党しました。「立ちション」は、大量の跳ねが発生し、トイレ清掃が大変になるのです。というわけで、座りション派になって以来、格段に清掃が楽になった、はずなのですが、逆に、時たま、床に少量漏れる、というかつてはなかった事故が起こるようになりました(belowな話題ですみません)。最初はその原因も分からなかったのですが、ある時、気づきました。これは座器間に原因がある!と。
 座器間(ザキマ)とは、便座と便器の間にあるすきまのことを言います*2。少なくとも私の家の便器(デフォルトの便座は取り外し、TOTOのウォシュレットを装着しています)には、あります。プラスチック製の便座が、数か所の部分を支えに陶器製の便器の縁に乗っかる構造なので、どうしても座器間にすきまが生じます。特に前方のすきまから(少なくとも私の場合は)時たまですが、漏れが生じてしまうのです。また、漏れないまでも、座器間に汚れが生じやすくなります。どうしたもんか、と思っていたのですが、この問題を解決する装置を自作しました。これ、大変自信作で、特許をとりたいぐらいです。
 まず、長さ20センチほど、幅5センチほどの柔らかいプラスティックの板を用意します。目立たないので透明な方がいいと思います。私は、でこぼこのないペットボトル(evianなど)をハサミで図のように切って作りました。

 さて、この板を図のようにハサミで切って整形します。

 そして、両側の耳を図のように90度に折り曲げます。

 赤い部分は、1センチ弱がよいです。あまり長いと便座の上部からはみ出してふとももがチクチクします。
 この折り曲げた耳の部分を、プラスチックの便座の裏側に接着します。私はビニールテープでくっつけました。

 これで、座器間漏洩防止装置「ベンザウォール」は完成です!簡単ですね。
 
 さて、今回この記事を書くにあたってネットでちょっと調べてみたところ、やはり座器間漏洩問題に悩んでいる人はけっこういるようです。http://besthouse.cc/1509291015-2/ 
 そして、上記記事にあるように、この漏洩を防ぐグッズも出ているようです。
 まず、サンコーの「汚れ防止 パット おしっこ吸いとりパット」ですが、これは漏れを吸い取るのでしょっちゅう取り替えないとかえって不潔ですし、15個で800円ということは一個50円以上もします。

240個セットもあるようですが、それでも一個30円以上します。

レックからは「消臭 おしっこ 吸収 パッド」なる似たような商品が出ていますが、これに至っては一個80円もします。

 また、パナソニックの全自動おそうじトイレ「アラウーノ

には、「モレガード」という、座器間漏洩を防止する仕組みが付いているようです。
[[]]
 しかし、これはトイレのリフォームとなり、本体は思ったよりは安く7万円台であるようですが、工事費などいろいろでどうも10万円近くかかるようです。
 また、アサヒ衛陶というところには、もっとシンプルに「飛散防止ガード」というものがついた便座(温水洗浄トイレも?)を販売しているようですが、リフォームほどではなくとも便座全体を取り換えるので費用もかかります。そして、アサヒ衛陶さんのページに行ってみましたが、どの便器にそれが付いているのか結局わからず、せっかくのこの機能をどういうわけかそれほど売りにはしていないようです。

 と、いうわけで、私が考案した自作のベンザウォール、構造としてはアサヒ衛陶の「飛散防止ガード」に近いですが、材料費はほぼタダですし、一番いいんではないでしょうか。

*1:(c)樋口克己。ええと…念のため、説明しますと、「尾籠」と「below=下(しも)」を掛けてます。

*2:って誰も言ってないと思いますが。

常野雄次郎さんの言葉と行動を引き継ぐ会

テラ豚丼と自由

●「サルトル哲学における自由とは」
http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20080708/1215483859
たとえば、私たちは、毎朝目ざまし時計がなると起床し、食事や身支度をして学校や会社に行く、というような日常生活を送っている。しかし、「崖くずれが崖の上の石の落下を引き起こす」というのと同じように「目ざまし時計が私の起床を引き起こす」と言うことはできない。目ざまし時計の音が鳴った時、起床するという可能性を作り出すのは私たち自身だからである。つまり、崖の上の私に、崖から身を投げる可能性があったのと同じように、目ざまし時計の音を聞いた私にも、起きずにそのまま寝つづけるという可能性があるのである(会社はクビになるかもしれないが)。
 私たちの日常生活は「芝生に入るな」とか、「税金を払いなさい」といったものをはじめとした様々な規則にかこまれている(これをサルトルは「日常的道徳」と言う)。しかし、そうした規則は、直接私たちの行動を「決定」しているわけではない。実際は「規則に従う」と自分で決めたからこそ、規則が意味を持つのである。だが、規則を成り立たせているのが自分自身である、ということを認めることは、私たちに不安を引き起こす*。だから、私たちはまるで規則が私たちの行動を外側から決定しているかのように思いこむことによって、安心しようとするのである。そのような精神をサルトルはくそまじめの精神と呼ぶ。(『図解雑学サルトル』ナツメ社、2003年)


●「テラ豚丼祭りと「自由への恐怖」」
http://toled.hatenablog.com/entry/20071202/p1
ブロークバック・マウンテン』の主人公が少年時代に見た同性愛者は虐殺されたけども、ローザ・パークスは現在では偉人ということになっている。でもたぶん、ロッキーの言う「勝つ」というのはそういうレベルにはない。
 仮に両者に違いがあるとしても、それは後になってから言えることだ。今だったら、「賢明な」人は言うだろう。ローザ・パークスの行動は歴史を動かし、社会を変えたと。でも彼女が白人席に座った時点でそうなる保証はなかった。そしてきっと、彼女と同じようなことをしてボコボコにされた人は無数にいたことだろう。今にして思えば公民権運動によってアメリカ社会が変わるのは必然だった。しかしその必然性は、人間の自由によって作り出されたものである。
 問題はタバコを吸ったらどうなるかということではない。そんなの関係ねえ! そうじゃなくて、私はタバコを吸いたいのかどうかということだ。私は私のやりたいことをやっているかということだ。ロッキーの言う「勝つというのはそういうことだ」。


●「「不登校50年」#36 常野雄次郎さん」
http://futoko50.sblo.jp/article/182761449.html
ローザ・パークス(1913―2005)が白人と黒人が分離されたバスで白人席から移動しろと言われたとき、頑迷に座り続けて、逮捕されて、それからバスボイコット運動が始まって、ついに分離政策を変える成果を勝ちとったんです。でも、ローザ・パークスが白人席に座った瞬間に、その可能性が見えていたかというと、そんなことはないと思います。なぜなら、ローザ・パークス以前にも、同じようなことをしていた人はいるわけです。ボコボコにされて逮捕されて、歴史に名を残してない人が無数にいる。革命というのは、可能そうだからやるのではなくて、不可能にしか思えないことを可能にするための条件をつくりだすために闘っていくということです。それは5000億年後かもしれないけど、学校のない社会を目指す。社会そのもののあり方を根本的に変えていくことを目指す。私は、そう主張したいです。


●「朝鮮の核開発を支持する」
http://toled.hatenablog.com/entry/20160107/p1
世界平和。核のない世界。戦争のない世界。/核施設や実験によって労働者、住民が被害を受けることのない世界。
可能か不可能かはわからない。/できるから目指すのではない。/倫理がそれを強制するから、可能である可能性をつくりだすのだ。/なぜならば自由に縛られているからである。/倫理によって、自由を強制されているのだ。


尾瀬あきら『ぼくの村の話』
「あんたたちは政府相手にほんとうに勝てると思っとるのかね」「勝てるとは思ってません 勝とうと思っています」(第7巻220頁)

学校をなくすということ

●「「不登校50年」#36 常野雄次郎さん」
http://futoko50.sblo.jp/article/182761449.html
私は学校を廃止すべきだと思っていますが、「学校をなくす」というと、よく「給食でしかご飯を食べられない子はどうするんだ」「文字の読めない子はどうするんだ」と反論されます。しかし、学校をなくすというのは、いまの社会をそのままに、そこから学校だけを引き算するということではなくて、社会全体のあり方、社会の仕組みを変えることです。つまりは、ひとつの革命です。そう考えるようになりました。

●「いい植民者と悪い植民者」
http://d.hatena.ne.jp/sarutora/touch/20070922/1190428681
https://twitter.com/SartrePolitique/status/1002843722696912896
新植民地主義者は、植民者に良いのと悪いのといると考える。植民地の状況が悪くなったのは、悪い植民者の罪だという。(……)良い植民者がおり、その他に性悪な植民者がいるというようなことは真実ではない。植民者がいる。それだけのことだ。(サルトル植民地主義は一つの体制である」人文書院『植民地の問題』33頁)

●「「対案についての思考」を禁止します」
http://toled.hatenablog.com/entry/20070923/1190541968
僕は、学校的なものが人間にとって必要であるかどうかということについての判断を前提にはしません。そうではなくて、学校をなくすべきであるということが僕の出発点なのです。だから、学校が必要かどうかということは、ささいな問題です。必要ないならそのままなくせばいいし、必要だということになればその必要性をなくせばいい。このような出発点の設定には、ただ僕がそれを選んだという以外には、何の根拠もありません。


●「じゃあとうすればいいのか」
http://d.hatena.ne.jp/sarutora/touch/20070923/1190515352
「じゃあどうすればいいのか」という言葉は、真にどうすべきかということではなく、我々の問題提起をはぐらかし、圧殺することが目的だからです。(横塚晃一『母よ!殺すな』生活書院、31頁)


●「登校拒否解放の(不)可能性 前編」
http://toled.hatenablog.com/entry/20041204/1102129335
「明るい登校拒否」の物語は、本当に登校拒否を肯定するものだったのでしょうか。僕はそうは思いません。この物語で示されているのは、登校拒否児でも学校エリートのようになれる、ということなのですから。ここで肯定されているのはあくまでも学校的価値であって、登校拒否ではありません。

●「「不登校50年」#36 常野雄次郎さん」
http://futoko50.sblo.jp/article/182761449.html
醜さ、モンスター性みたいなものを、いかにして美の支配から救い出すかというときに、「ほんとうは美しいんだよ。視点を変えてみれば、呪いが解ければ」ということではなくて、醜さの側が反乱を起こすんだということですね。それと、私が書いた一節をつなげて考えられないかなと思うんです。


●「カオスの解放――『風の谷のナウシカ』の構造――」
http://www.geocities.co.jp/Berkeley/6142/ronbun/chaos.html
腐海とは、いわば魔女(人間)によってみにくい黒いカラスの姿に変えられてしまった王子である。そして、ナウシカは、みにくいカラスをわけへだてなく愛する少女である。だが、この手の物語ではたいてい、最後には魔法が解けて、みにくいカラスは美しい王子の「本当の」姿にもどるのである。同様に、少なくとも中盤までの『ナウシカ』においては、腐海も、美しい清浄な森の姿をとりもどすとされている(浄化された美しい森のイメージは、何度か登場する)。しかし、だとすると、みにくいカラスへの愛、腐海への愛は、結局は王子への愛、美しい自然への愛に還元されてしまう、ともいえるのであって、カラスとしてのカラス、腐海としての腐海のみにくさそれ自体は、最後まで救われないわけである。だが、「神」を殺すことによって、ナウシカ腐海を魔法(みにくさ)から解く鍵を捨てる。つまり彼女は、腐海をケガレ「から」解放するのではなく、腐海のケガレそのもの、みにくさそのもの「を」解放する道を選択したわけである。(1999年)

永遠の嘘

●「永遠の嘘をついてくれ」――「美しい国」と「無法者」の華麗なデュエット 前編
http://toled.hatenablog.com/entry/20070726/1185459828
だから嘘を批判するには、ただ嘘が嘘であることを暴露するだけでは不十分である。嘘が嘘であることは、騙す者も騙される者も先刻承知なのかもしれないからだ。そのような場合は、真実を暴露する者はただ「空気の読めない痛い奴」として処理されるだろう。クリスマスに胸を膨らませる子どもたちに、サンタクロースなんていないんだよと言って聞かせても、プレゼントを買い与える親の義務は免除されない。「永遠の嘘」の批判は、真実を暴露することではない。嘘に気づかないふりをする「お約束」が分析されなければならない。それは、「騙される」者、「無知」な者をも、「被害者」としてではなく「嘘」に参加する共犯者として捉えるということだ。


●「永遠の嘘をついてくれ」——「美しい国」と「無法者」の華麗なデュエット 後編
http://toled.hatenablog.com/entry/20070727/p1
 リベラルは、戸塚宏長田百合子や細井敏彦を糾弾する。「無法者」の暴虐に驚愕する。しかし問題は、そのような否定は、体罰教師や「無法者」にとっては「織り込み済み」であり、むしろ彼らの存在意義でさえあるということだ。彼らは自分たちが「ダーティ」な仕事を担っているということは十分に自覚しているのだし、だからこそ彼らは英雄たりうるのだ。
 銀行があって、消費者金融があって、闇金がある。リベラルなエリート校があり、軍隊的な底辺校があり、フリースクールがあり、戸塚ヨットスクールがある。天皇がいて、臣民がいて、軍幹部がいて、「無法者」がいて、「民間業者」がある。人間には「本能」があり「理性」があり「欲望」があり「良心」がある。組織には「無法者」がおり管理部門があり「良心的」構成員がいる。御用学者がいて、左翼知識人がいて、ネット右翼がいて、僕はブログを書いてストレス発散している。「永遠の嘘」は、これらの「全体」が、バラバラの互いに独立した「部分」に分かれているかのように演出する。で、何かあると適当な「無法者」を「トカゲの尻尾きり」して、システムは全体として存続していく。

サルトル「みなさんは素晴らしい」『シチュアシオン V』 
http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20160228/p1
 しかし、もしわれわれの誰かが目を覚まし、看護人に問いただそうものなら、政府はたちまち新手のごまかしを持ち出し、あっという間に保護委員会をでっちあげる。責任の重荷をわれわれの肩からおろすのが、ほかならないそのお役目なのである。(……)
 われわれは無罪ではない、汚れているのだ。われわれの良心は乱された〔トゥルブレ〕のではない、しかしそれは濁っている〔トゥルブル〕のだ。指導者たちはそれを良く承知しており、われわれがそういう状態にあることを好ましいと考えているのである。彼らがその慎重な配慮や見え透いた手心によって獲得したがっているものは何かといえば、それは見せかけの無知に隠れたわれわれの共犯なのである。


●「大阪府KY若手職員と「姜尚中トラメガ事件」について−−米粒が立ち上がった日」
http://toled.hatenablog.com/entry/20080407/p1
 人々は、この時はじめて「王様は裸だ」と気づいたのではない。そんなことは何十年も前からわかっていた。ブーイングが広がった瞬間は、真実が暴露された瞬間ではなく、裸の王様が裸であることを知らないかのように振舞うことを人がしなくなった瞬間である。


●番犬とニセの知識人
https://twitter.com/SartrePolitique/status/998917860419293187
(教授たち)の中の何人かは、アルジェリア戦争当時に実に勇気ある行動をし、自分の家にプラスチック爆弾を投げ込まれる、といった目に遭いました。…ところがこの連中は、教授としては、依然として選別主義者…であり、大学の欲する観点によってその講義をつづけていたのです(「人民の友」『シチュアシオン 八』(人文書院)所収)


●「「日本の歴史家を支持する声明」批判」
http://toled.hatenablog.com/entry/20150605/p1
 「戦前」を悪魔化して切り離すことにより、そうではないものとしての自由で民主的で平和な「戦後」のイメージが形成される。それは変革されるべきものというよりは、たとえば安倍や在特会といった脅威から防衛されるべきものとなる。しかし問題は、日本は切れ目なく続いているということだ。