モヒカソ族と野宿者襲撃

 他の例にたとえるのはあまりよくないのかもしれませんが、こういうことを考えてみました。例えば、野宿者(ホームレス)の人々に対して、「公共の空間を違法に占拠している」という非難がしばしばなされることはかつて書きました。ところで、ご存知のように、野宿者に対する、殺人も含む襲撃事件というのがしばしば起こっています*1。「違法占拠」を非難する上記のような人は、おそらくこう言うのでしょうね。「公共の場所というのはそういうものだ。いい人も通るが悪い人も通る。しかたがない。テントの外に、『テントの場所を無断で人に教えることを禁止します』なんて書いたって、まったく有効ではないよ。襲撃されるのが嫌なら、カギがかけられるちゃんとした家に住むんだな。それができないなら、公共の場所に野宿するのなんか、やめておけ」と。

*1:報道されるのはごく一部です。

パブリックとプライベート

 公共性という話は、いろいろな話が絡まってきて私の手に負えなくなります(笑)*1
 が、突っ込まれること覚悟でとりあえずもう少し考えてみます。近代的な公共空間なるものの成立は、私的(プライベート)な空間の成立と表裏なわけですが、考えてみれば、「メンヘル系」の「無断リンク禁止」を「身勝手」と叩く人々も、パスワードというシステム自体は批判しない。パスワードを設定してプライバシーを守ること自体は批判しない。実際、彼らも、「公共のリソース」である例えばメールサーバー上に、パスワードで守られた「プライベートな空間」を確保しているのでしょう。しかし、無断リンク禁止はネットの理念に反していて、メールサーバーの一部をパスワードで独占することはネットの理念に反しない、となぜ言えるのでしょうか? ちょっと素朴すぎる問いかもしれませんが。
 ちなみに、近代的なブルジョア道徳を激しく批判したサルトルは、「プライバシー」などというものも、当然否定しました。これは哲学上の「内面性の哲学」批判ともちろん通底しています(くわしくは『図解雑学 サルトル (図解雑学シリーズ)』を)。サルトルは実生活上でもそれを実践しようとし*2たとえば手紙や日記などは、すべて公開しています。しかもそこには露悪的とも言える「プライベート」な内容が書かれています。実際サルトルは「私生活」に関したことでマスコミなどから激しく叩かれましたが、サルトルがそれに対して「プライバシーの保護」を訴えたなどという話は聞いたことがありません。私は、そういうところがサルトルの魅力の一つだと思っています。
 いずれにせよ、「他人のプライバシーを暴く快楽」をもって「メンヘル系」のサイトを晒し物にする人も、「そういう人がいるのもネットだ、あきらめろ」とうそぶくような人も、やはり、サルトルほどの度胸もなく、自分の「プライバシー」はしっかり守っているのだろうな、と思わなくもなかったりします。

*1:幅増すとかハーバーマスとかアーレントとか?その他諸々

*2:まあいろいろ欺瞞はあったにせよ

アジールとしてのネット

 もう一つ。私は「メンヘル系」のサイトを見にいったことはまったくありませんが、たぶん、rir6氏が言うように、リアルな世界での「公共なるもの」に苦しめられている人々にとって、ネットはアジール*1のような役割を果たしているのだろうな、と思います。ネットでしか「安らかに語れない」と思うひとがいることは充分考えられます。直接メンヘル系というわけではないですが、IS(インターセクシャル)の問題を扱った六花チヨのマンガ『IS』(第一巻)

IS(1) (KC KISS)

IS(1) (KC KISS)

にも、IS同士がネットで語りあうシーンが出てきます。

結局いつもここでしか話せない 同じIS同士……自分たちの悩み……知り得るかぎりの情報……キーワード*2で守られた この閉ざされた世界でしか

というセリフがあります。このように、こうした人たちにとっては、インターネットこそが「閉ざされた」安心できる世界という意識があるのだと思います。実際、『IS』の主人公は、実世界で、「プライバシー」を踏みにじられるひどい体験をしています。主人公が診察を受けている病院の診察室に、医師達がぞろぞろと入ってくるのです。

何人もの医者が かわるがわるのぞきこんでいった 「へ――半陰陽ってこんなんなんだ」 伸ばされる手 記録のためのフラッシュの音 これが治療!? 挿れられた器具の痛さに 声をあげることもできずに私は!!

そして、病室の外では、看護師たちが声も潜めずこんなことを話あっています。

半陰陽?」
「うん 先生達も初めてだからさ 患者って言うより研究? もうモルモットよ あはは」

 こうした体験をしている人々に対して、「パスワードのシステムを学べないのは、作れないのは、ネットに向いていないからネットを使うのはあきらめろ」とは、私は言う気にはなれない。
 まあしかし、そのようなことを言う人が増えてきたのであれば、それにたいして「あきらめる」しかないのかもしれません。元々アジールとして成立した都市が、結局は巨大なムラに変質してしまったように、「アジールとしてのネット」も、もはや過去のものになりつつあるのかもしれません。

*1:cf.アジール権(wikipedia)

*2:原文のママですがおそらくパスワードの間違いかと