『エイリアンズ』『不安の正体』

 TセンターのK文堂にて、平積みされていた以下の二冊を何気なくとって立ち読みしていたのですが、これまた何となく両書とも購入してしまいました。

不安の正体!

不安の正体!

 両方とも対談(討論)なので、軽い気持ちで読み始めたのですが、結構おもしろくて、(かなりナナメ読みながら)一気に読んでしまいました(ただし後者の後半はまだほとんど読んでいない)。両書とも、宮台真司氏が参加しています(同じ事を言っている場面もけっこうあります)。宮台氏に関しては、テレビや対談集などでその発言をたまに聞く限り(また、少しだけですが著書を読んだ限り)、何となく語り口が好きになれない、という印象をこれまで持っていました。で今回、私としてはわりあいとまじめに彼の発言を追ってみたつもりなのですが、その結果、かなり、なるほどなあ、と思いました。宮台氏に対するマイナスの印象は、かなり消えました(偉そうですが)。もちろん違和感が消えない部分も多いですが、どういう違和感かというのが私なりにちょっとわかったように思います。というわけで、これらの本を読んでどういうことを考えたかを、忘れないうちに書いておこうかと思います*1


 さて、まず、『エイリアンズ』(以下『エイ』)41頁で、いきなり「新進歩派」という言葉が出てきて、苦笑してしまいました。

(宮崎)日本の「憲法不全」の元凶は、大塚英志とか辺見庸とか坂本龍一といった「新進歩派」のお歴々がバカのひとつ憶えみたいに言い立てる九条の空文化なんかにではなく(……)
エイ41

この本は多量の注がついていますが、「新進歩派」の注はこうなってます。

新進歩派
一般的に左翼的な方向への改革を求める人たちを進歩派(progressives)というが、ここでは、第二次世界大戦後の日本で反戦平和を訴えていたマルクス主義者や左翼知識人たちが”進歩派”と称されたのに対し、憲法九条を含め戦後民主主義は正しかったとする大塚英志、九・一一以降一貫して日米の戦争政策を批判する辺見庸(作家・ジャーナリスト)、”非戦”を訴える坂本龍一(ミュージシャン)など、近年、反戦平和を訴えている人たちをまとめて新進歩派としている。
エイ41

 なるほど、ネオコンではなく、ネオプロというところですか。上では名前が上がっていませんが、二つの討論を読む限り、斎藤貴男なんかもここに入ってくるようです。
 さて、両書の討論参加者たちは、宮台氏も含めて、ブッシュ・小泉には批判的ですし、イラク戦争自衛隊派兵にも反対の立場だと思います。その意味では、その基本的主張は「新進歩派」とあまり変わらないとも言えるのですが、しかし、彼らは、戦争推進派を批判すると同時に、しきりと、反戦の側もダメなんだ、ということを言います。例えば『不安の正体』(以下『不安』)冒頭では、金子勝藤原帰一がこう言っています。

(金子)テレビに出ている評論家や国際政治学者が戦争を批判しているんだけど、どうもピンぼけな感じがする。有事立法の反対もそうなんだけど、紋切り型の反対でやっているんです。(……)
(藤原)それから二年間、どうも戦争に反対する側の弱さ、論理の組立の脆弱性、アピールの限界というものが、日本でもアメリカでも示されたな、というのが正直な印象です。
不安19

 保守を批判するけど、「従来型」のサヨクも批判の射程に入っているんだ、と言いたいわけでしょう。*2しかし、「ブッシュ小泉には反対ですよ。だけど、私はサヨクってわけじゃないんです」みたいな言い方、「〜派」とレッテルを貼られるのがイヤだ、という気持ちはよくわかるんですが、なんかちょっと気になる。その辺、本人達もよくわかっているようで、こんなことを言っている。

(金子)それにしても、話が突然変わっちゃうんだけど、この座談会にはちょっと自虐的なところがあって、本当に面白いよね。どこかで僕はまだ左派的なものに対するシンパシーを抱えているわけですよ。
(宮台)それは僕もそうですよ。
(金子)だから、「憲法を守れ」とか言ってるだけじゃダメなんだ、みたいな言い方をする。つまり自分で自分の左派的な部分に対してまず鞭を打つわけだよね。宮台さんも、リベラリズムなんだと言っているけど、「自由を守れ」では不十分だとも言っている。どこかひねくれているよね。
不安332

 この話の流れで、宮台氏はこう言う。

(宮台)結局、金子先生や藤原先生のおっしゃったように、「結局あんたはなになに派ね」というふうにマッピングして、トータリティ(全体性)を獲得したかのような錯覚に陥る。かくして、サブスタンシャル(本質的)な議論、つまり、本当によいことは何なのかという議論はいつもスキップされる。
不安336

 ちなみに、細かいことだけど、宮台氏の語り口でどうしてもなじめないのは、「マッピング」「トータリティ」「サブスタンシャル」「スキップ」というような言い方。それからね、宮台先生、レッテル貼りを批判するのはいいけど、宮崎氏との対談では、「新進歩派」などと、ご自分達がレッテル貼りをなさっているのではないですか*3?……ええと、まあそれはともかく、ここで宮台氏が言っていることは、私もよくわかります。宮台氏は

(宮台)日本の場合(……)ネット上でパブリック・コミュニケーションが生まれると、「お前のネタは割れとるんや」などと誰かが梯子を外しにかかる。
不安233

と、2ちゃ○ねるなどでの「梯子外しゲーム」を批判している。また、藤原氏の以下の発言は、そうした「マッピング」「レッテル貼り」に対するいらだちがよく現れている。

(藤原)たとえば有事法制反対とかイラク派兵反対といった言葉を口にすると、「ああ、あの反対運動ね」といなされてしまう。反対することだけで、もう気が抜けていくようなところがある。論壇が左だった時代から、『諸君!』と『正論』の時代に変わっていって、二世議員がいいたいことを言っている。非常に「2ちゃ○ねる」的な感覚です*4
不安321

 わかります。よくわかります。……が、そういうレッテル貼りに対して、「オレはサヨクじゃないのに……」とか「サヨクと思われると誰も話を聞いてくれない」と愚痴を言うのは、ちょっとかっこ悪いかな、と思わなくもない。それがどうした、と言いたいことを言ってればいいじゃないか。
 といいつつ私もついこの間、「アマチュア」とマッピングされることへの格好悪い愚痴を書いてしまったので、人のことは言えないのですが。
 さて、次は、宮台氏の「近代主義」「合理主義」という「戦略」について、考えたことを書こうと思うのですが、長くなりそうなので(まずいなあ……)今回はこの辺にして、「この項続き」ということにします。


*1:私はM2の前作も読んでいないし、宮台氏のブログもほとんど読んでないので、宮台氏の議論をこれまでフォローしてきた人にとっては、「何を今更」と言う話、あるいはとんちんかんな話と感じられるかもしれませんが、さしあたりご容赦下さい

*2:これ、語り口としては、かつての、保守も旧左翼も批判する、という「新左翼」、つまり「反帝反スタ」ですね、と共通するともいえる。それにしても、いまや「新左翼」なんて言葉、完全に死語になってますね。「ん?左翼自体が「旧」でしょ?何?「新」左翼って?」て感じでしょうか。ほとんどモボ・モガに近い(?)

*3:まああの発言は宮崎氏だけど。

*4:伏せ字は引用者