トロイアの女たち

ヨーロッパ人、
あなたがたはアフリカやアジアをばかにして、
私たちを野蛮人よばわりしています。
それなのに自惚れて、がつがつして
私たちの土地へ来たかとおもうと、
略奪し、拷問し、虐殺する。
どちらが野蛮人です?

 1965年、サルトル脚色によるエウリピデスの悲劇『トロイアの女たち』が、ミカエル・カコヤニス演出で上演された。サルトルの脚本は、エウリピデスの原作に大幅な削除や加筆を行っているが、全体の構成は原作を大きく崩していない*1
 『トロイアの女たち』の物語は、トロイア戦争終結直後の、焦土と化したトロイアが舞台である。ミュケナイを中心とするギリシアと、小アジアトロイアが戦った「トロイア戦争」は、10年間の激しい攻防の後、木馬の奸計によって、ギリシア側が勝利して終結した。トロイアの王や王子たちは全て処刑され、残された女たちは、奴隷や妾としてギリシアに連行されるのを待つばかりである。この戯曲は、トロイアの老いた王妃ヘカベの嘆きを中心に、戦争の犠牲となった女たちの姿を描く。
 第8景は、トロイアの王子ヘクトルの妻アンドロマケのもとに、ギリシアからの使者タルテュビオスが、兵士と共にやってくる場面ではじまる。アンドロマケは、アキレスの息子ネオプトレモスのもとに送られようとしていたのだが、タルテュビオスは、アンドロマケの連行だけではなく、彼女の息子アステュアナクスの殺害の命をも受けていた。ギリシア兵士たちに、息子を渡すように迫られたアンドロマケは叫ぶ。

触らないで!渡します。もうしばらく。
ぼうや。行ってしまうのね。(……)
この体、おまえの体、
まだ生きている、
いい匂いがする!
お前にお乳をあげるたびに、私は得意だったのに、
こうと知ったら、あのときすぐに息を止めてあげたほうがよかったわね、
接吻しながら、
私の手で。
接吻してちょうだい、
しっかり抱いて、
口を、私の口に。
(邦訳*280-82頁)

 そして、立ち上がったアンドロマケは、ギリシア兵士たちに向かってこう叫ぶ。

ヨーロッパ人、
あなたがたはアフリカやアジアをばかにして、
私たちを野蛮人よばわりしています。
それなのに自惚れて、がつがつして
私たちの土地へ来たかとおもうと、
略奪し、拷問し、虐殺する。
どちらが野蛮人です?
(82-3頁)

 このように、サルトルはこの脚色で、ギリシアを「ヨーロッパ」、トロイアを「アジア」と書き換えている。彼はそこに、フランスとアルジェリアの関係、アメリカと北ヴェトナムの関係を見ようとしていた。上演当時のインタビューでサルトルはこう言っている。

ご承知のとおり、エウリピデスの時代においても、この劇は政治的に明確な意味をもっておりました。それは、一般に戦争というもの、とくに植民地侵略戦争への有罪宣告だったのです。(9頁)

 しかし、侵略者たるギリシア/ヨーロッパを絶対的な悪とし、「有罪宣告」を下せばいいというような単純な話では、むろんない。
 サルトルの『トロイアの女たち』を演出した、ギリシア人ミカエル・カコヤニスは、その直後、ギリシャが軍事政権下にあった1967年から1974年の間、アメリカに亡命した。亡命中の1971年、彼はエウリピデスの『トロイアの女たち』を、自らの脚本、監督で映画化した。
 西村多加氏は、この映画を「一方的な物語」として批判しているが、この批判は、サルトルの『トロイアの女たち』にもあてはまるだろう。
 カコヤニス/サルトルは、トロイアを、侵略戦争の犠牲者として描く。カコヤニスの映画では、ラストに「すべて圧政に苦しむ人々にこの映画をおくる」というテロップが流れるという。だが、西村氏はこのテロップの欺瞞性を指摘する。

では、トロイアの繁栄は、財宝は?たゆまぬ労働の結果もたらされたものとでも言うのだろうか。
 王子パリスは黄金に輝く鎧に身を固めていたという。若さ、美しさとも相まって、その輝きは、ヘレネを、トロイアへ、ギリシャ軍の矛先をトロイアへと向かわせたという。トロイアは地中に黄金を抱く都市だったのだろうか。(もしそうならば、トロイアが廃墟のまま打ち捨てられ、20世紀のシュリーマンのシャベルを待っていたはずはない。)
 彼らの財宝、繁栄もまた、略奪の歴史の裏のページなのではないか。女たちの栄華も、他の女たちの涙の上に築かれたものだったのではないか。

 アンドロマケが我が子を兵士に手渡す場面にしても、西村氏は、そこに、息子を犠牲にして助かろうとする貴族の女の保身を見て取り、むしろ、子供を殺さねばならぬギリシャ軍の兵士の苦悩、「命令を下すものと手を下すものとの軍隊の永劫の苦悩」を指摘する。
 こうした批判は、重要なものである。たしかに「一方的な悲劇の主張に一鞠の涙をこぼすのでは、人類に尽き従う影とも言うべき、非道な圧政は、『虐げられる』ということは、何ら解決の道を見出すものではない」のであり、「輪は断ち切れない」。
 だが、「一方的物語」の批判は、「どっちもどっちのニヒリズム」を呼び込みかねない、ということも意識しておかねばならないだろう。「イスラエルも非道いけど、パレスチナ自爆テロも非道い」「アメリカも非道いけど、アルカイダも非道い」「まああの辺ではいつもドンパチやってるみたいだけど、怖いね」etc.
 たとえば、2002年、パレスチナ・ジェニンでの虐殺事件を伝える『パレスチナ ジェニンの人々は語る――難民キャンプ イスラエル軍侵攻の爪痕――』ISBN:4000092839土井敏邦氏はこう言う。

もちろんパレスチナ人の自爆テロは許されるべきではなく、糾弾されるべきである。ただ、自爆テロをはじめとするパレスチナ人側の暴力とイスラエル側の「報復」の暴力を並列し、「暴力が暴力を呼ぶ悪循環」「どっちもどっち」といった描き方で終わってしまいがちな現在の報道や識者の評論は、問題の本質を見誤らせると私は考えている。問題の根源はイスラエルによる”占領”にある。”占領”という状況がパレスチナ人を自爆テロにまで追い込んでいるといえよう。69-70

 「どっちもどっち」のニヒリズムを背景として、アメリカ軍による、イスラエル軍による「略奪、拷問、虐殺」が、まさしく一方的な正義として横行している今日、サルトルのこの物語を復活させる意味は十分あると私には思える。それはおそらく、アルジェリア戦争ヴェトナム戦争の時代に、サルトルギリシア悲劇を政治的に復活させようとしたその意図と重なるものだと思う。

*1:その点で、同じくギリシア悲劇に題材をとったサルトル初期の戯曲『蠅』とは異なっている。

*2:芥川比呂志訳、人文書院サルトル全集33、1961