大きく振りかぶって6

おおきく振りかぶって Vol.6
ひぐち アサ著
講談社 (2006.3)
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 面白いという評判をどこかで読んだので、数ヶ月前に、1〜5巻まで一気に読んだ。たしかに面白かった。新刊が出ていたので買ってきた。しかし、やっぱり前の巻を読み直さないと忘れていた(試合の途中だし)。
 特に今回の第6巻について書くことはないのだが、この漫画全体の印象を書いてみる。
 スポーツ(高校野球)マンガなのだが、主人公がヘタレというか情けない、というところが特徴。主人公の三橋廉は高校一年生のピッチャーなのだが、暗くて卑屈で弱気でマイナス志向。中学時代、自分が理事長の孫とかで「ひいき」されていたという後ろめたさを持っている。ひいきのために下手なのにエースとして投げ続け、そのおかげで自分がいた間、チームは負け続けた(と思っている)。そのことに対して罪悪感を持っている。
 というわけで、その辺は、愛読している山岸凉子のバレエマンガ『舞姫――テレプシコーラ』と似ている。 ちなみに、バレエはいわゆる「スポーツ」ではないが、多分にスポーツ的な面があり、『テレプシコーラ』もかなりスポーツマンガのノリがある。こちらの主人公、篠原六花も同じくヘタレ。弱気でマイナス志向。六花も、親がバレエ教師で、「ひいき」を受けているというのも同じ。
 こういうヘタレな人間がむかついて仕方がない、という人は多いらしく、最近見てないが、○ちゃんの山岸スレでは、「六花を見ているとイライラする」「甘えるのもいい加減にして欲しい」というような書き込みが殺到していた。対称的に、寡黙な努力型の六花の姉、千花(イチロー型というか)はすごい人気である。千花は悲運のヒロインなので「千花ちゃんが可哀想!甘ちゃんの六花がいい目を見ているのは腹が立つ」というような書き込みも定期的にあった。
 そういえば、『エヴァンゲリオン』のシンジ君は海外のアニメファンにものすごーく嫌われている、というような話をどっかで読んだけど、ヘタレの主人公というのはシンジ君が元祖なのだろうか。
 私はというと、自分もヘタレなので、こういうヘタレな主人公にはすごく共感してしまう。ま、それはいいとして、ただ、二人(三橋廉と篠原六花)は違う点も結構ある。
 まず、三橋廉は、ヘタレではあるのだが、努力の人である、という設定になっている。素晴らしいコントロールを持っているという設定なのだが、そのコントロールは人一倍野球が好きな彼の、練習の賜物である、ということになっている。それに対して、六花も、素晴らしい才能を持っているのだが、彼女の場合それはもって生まれたもので、彼女自身は努力が大嫌いで練習とかもすぐさぼろうとする(その辺がまた嫌われる要因なのだろう)。また、彼女の場合は、「ひいき」を受けていることに対する罪悪感のようなものは(少なくとも今のところ)あまり持っていないようだ。そう言う点では、廉と違っておおらかな性格という設定になっている。とういわけで、総合的ヘタレ度という点では六花の方が上(?)であると思う。したがって私は六花の方により思い入れが……。まあそれはいい。
 こういうヘタレがスポーツマンガの主人公になるようになったのは最近のことなのかどうかは、何しろ私はスポーツマンガをほとんど読んでいないのでわからない。しかし少なくとも大昔の『ドカベン』とか『巨人の星』とか(ていくら何でも古すぎ!)と比べると、ずいぶん違うことは確かである。バレエマンガは、他のものとしては山岸凉子の『アラベスク』しか読んだことがないのだが、『アラベスク』の主人公もヘタレではあったものの、六花のような「現代っ子的甘ちゃん」とは大分違うと思う。
 さて、主人公の性格の他に、『おお振り』と『テレプシ』にはもう一つ共通点があって、それは、要所要所でなされる「最先端」のスポーツ「科学」の描写である。『おお振り』では、野球部顧問の数学教師志賀、『テレプシ』では、貝塚バレエ教室本部の富樫先生が、そうした「科学的」知識を主人公達(と読者)に伝える役回りの登場人物である。スポーツ科学というと、解剖学や栄養学に基づいた合理的な練習法や食事管理という、身体管理に関するものを思い浮かべるのだが(そうした話も両マンガにはふんだんに出てくるのではあるが)、2つのマンガで非常に大きな役割を与えられているのは、むしろ、メンタルトレーニングなどの、精神の管理に関わる「科学」である。『テレプシ』では、富樫先生の練習法について、登場人物*1が「これからはスポーツ心理学が大事なのね」というように語るシーンがたしかあったと思う。というわけで、「スポコン」の「コン」は、昔は「根性」の「根」だったわけだが、最近は、(マインド)「コントロール」の「コン」に変わってきているのだろう。
 というようなことは、おそらく現実のスポーツ界の変化を反映しているのだろうし、それがマンガに反映されるようになったのも最近ではないのかもしれないが、たまたま読んでいるマンガに出てきてちょっと気になったので書いてみた。
 はっきりいってしまえば、身体を痛めつけるシバキ型管理(それも「根性=精神」を「鍛える=訓育する」という意味で最終的には精神を対象としているわけだが)もイヤだけど、何というかソフトな心理学型管理も、それはそれで気持ち悪いなあ、とも思う。といっても、両マンガとも大変面白いことに変わりはないのだが、その辺、ちょっと気になる。

*1:たしか金子先生