半小泉・コリンベ星人

http://d.hatena.ne.jp/x0000000000/20060420/p3
 藤原さんの本は、やっぱり読む気が起きないので、読んでない。それにしても、藤原さんが「反小泉」をたとえ標榜していたとしても、「だから?」という感じもする。「市場原理主義に対する反感」といったって、前にも書いたけど*1、安倍シンゾーだって、「金もうけがすべてという風潮」「損得ばかりを価値の基準に置くこと」を批判したりしている。その上で、安倍は「損得を超える価値、つまり家族を大切にする、地域のために頑張る、国に貢献することの尊さを教えるための教育改革を行いたい」と言うわけなのだ。それにしても、「金もうけがすべて」「損得ばかりを価値の基準に置く」て、お前がいうか、と思う今日このごろですが、みなさんいかがおすごしでしょうか*2
 藤本一勇さんも言っているように、こうした、ネオリベ市場原理主義と、一見ネオリベに反する保守的、ネオコン的言説が、同時に盛り上がっているというのは、実は両者の間に共犯関係があるということだと思う。藤本氏は、ネオリベネオコン錯綜体とか言うが、めんどくさいからネオコリンベとか呼んだらどうだろうか。コリンベ星人か。つまり、こうした保守的言説というのは、市場原理主義への不安に対する、ちょうどいい受け皿になっているわけだ。保守派のかたがたは、市場原理主義が生じさせる様々な問題を、由々しき問題としてとりあげたりもする。しかし、彼らが市場原理主義と本気で対決するということは決してないのだ。彼らが批判するのは、せいぜい、守銭奴イノシシ社長ホリエモンとか、まあよくて小泉どまりである。彼らの毒舌が「市場原理主義に対する反感」に見えたとしても、それは見かけであって、彼らの反感が向かう先は、結局のところ、「ニート」だったり、「学びと労働から逃走するオレ様化する若者」だったり、「ジェンダーフリー教育」だったり、「反日日教組」だったりするわけだ。「現代社会において由々しき問題が起こっているのは、あいつらが悪い」と悪者が仕立てられることによって、結局市場原理主義そのものからは目がそらされてしまう。ニート叩きだの、愛国心だの、というのは、虐待加害者が、苦痛を忘れさせるために被害者に与える麻薬みたいなものである。

*1:http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20060318

*2:例のごとく、きっこたたき、からかいの類はネット上ではしばしば見られますが、きっこの日記、私はもちろんかなり前から愛読してますよ。