傘がない

 昨日は関東地方は夕方から夜にかけてすごい雨だった。某大学の授業が終わって、近くのモスバーガーで食べていたら、突然激しい雨が降り始めた。朝出かけるとき雨が降っていなくても、天気予報を聞いて折り畳み傘を準備する、とかそのような計画的な行動は私にはインストールされていないので、当然傘などもってない。私は多少の雨はあまり気にしないのだが、さすがにこの雨ではパンツまでびしょぬれになりそうなので、そのままモスで雨がやむのを待つことにした。しかしかなり長い間粘ったものの、一向にやむ気配がない。仕方なく店を出て、そこから100メートルぐらい先のコンビニまで走り、傘を買うことにした。それだけでもかなりびしょぬれになっただが、とりあえずビニール傘を探し、傘だけというのもなんなので、ちょうど買うつもりだったテレビブロスと一緒にレジに持っていった。すると、びしょぬれの私を前に、大学生風の店員がこう言った。
「すぐお使いになりますか?」
思わず笑いながら「はい」と答えた。「この状況で私が『使いません』と答えることがありうると思いますか?」とたずねてコミュニケーションを発展させようかとも思ったが、やめた。
 で、「外は激しい雨で、びしょぬれの男がコンビニに入ってきてビニール傘を買おうとしているが彼はそれをすぐには使わない」という状況を考えてみた。

その1
 私はモスバーガーで知人と食事をしていたが、そのとき激しい雨が降ってきた。私は傘を持っていないが、しかし私は月形半平太の熱狂的なファンで、春雨には絶対濡れて行かなくてはならないとう主義を強く信奉していて、いくら強い雨でも決して傘をささない。一方、知人も傘をもっていないが彼は濡れるのが嫌だ。そこで、彼は私に「お前どうせ濡れるんだろ、じゃあコンビニで俺の傘買ってきてよ」と頼んだ。そこで私は「ああいいよ」と言った。
その2
 ……めんどくさい。やめた。

 さて、私はコンビニを出ると傘をさし、そこからさらに100メートルぐらい先のバス停に向かった。傘をさしていてもかなりびしょびしょになるぐらいの雨だった。バスに乗ってF駅に向かい、F駅から小田Q線に乗った。車内で私は、さっき買った『テレビブロス』を読んだ。今号にはきっこ氏のインタビューが載っていることをきっこ氏のブログを読んで知っていたのでとりあえず探した。ちなみにきっこ氏は清水ミチ子がお好きだそうだが、私が一番好きなのはその下の光浦靖子の方である。ところで、『テレビブロス』には最近インリン・オブ・ジョイトイも連載している。私は前も書いたようにインリン断固支持……ではあるのだが、今回のインリンの記事には苦笑せざるを得なかった。毎回いろいろなテーマについてインリンが書くコーナーである「M辞林」であるが、今回のお題は「N ニート」である。みだしは「ニートは一度どん底を知るべき」である。これだけでもおして知るべしだが、内容はまさにオヤジ世代のニートバッシングそのものだった。

 ここ最近、何かと話題のニートですけど、どうして彼らはそこまで無気力なんでしょうね? 私もイヤなことがあると無気力になるし、ラクしたくなります。でも、それは一時的なもので、ニートみたいにずっとじゃない。そもそも、そんな彼らを許してしまっている親の感覚がわからないですよ。彼らはいずれ年老いて、子供の面倒を見切れなくなった後のことを考えているんでしょうか? 本当に子供の将来を思うなら、ちゃんとひとり立ちして生活していけるように教育すべきですよね。だいたい、働かないニートが食べていけるだなんて、おかしいじゃないですか! 私は信じられないですね。

 彼女は「自分でお金を稼ぐ」という方針の家庭で育ったので(これが大きいんでしょうね)学生時代学費をすべて自分で払っていたそうだ。日本の学費は高いから常にバイトは二つ掛け持ち。

コンビニ、ピザ配達店、生協のバイト、年末は郵便局の仕分け…──地味で時給の低いバイトばかりだったので、掛け持ちしないと学費なんて貯まらなかったんです。”お金が欲しい”んじゃなく、”お金がなきゃ生きていけない”という状態で、常に”追われてる感”がありましたね。

 いや、まじめな話、ほんとに頭が下がります。偉いと思います。

でも、この経験のおかげで、労働の大変さや、働くことでできる発見、努力が報われる喜びを知れたと思うんです。今、もし私が何もしないでいい状態に置かれたら、逆に不安。一度どん底に落ちて這い上がった人は、”人間は努力しなきゃいけないんだ”と実感するし、その後もラクしようとは思わないんじゃないでしょうか。
 ニートも一度、どん底を味わうべき。砂漠やシベリアの奥地に放り込まれるもよし(笑)。とにかく、周りも彼らが努力しなきゃ生きていけない環境を作ってあげた方がいいです。でないと彼ら、一生そのままだと思いますよ。

 一方、月曜日に新宿で買った『ビッグイシュー』には、雨宮処凛が書いている。インリンは76年生まれ*1で、雨宮は75年生まれ。二人はほぼ同世代であり、また、イラク反戦ということでは明確に、おそらく反ブッシュ小泉という点でも共通しているはずである。そして、雨宮自身も、フリーター生活を体験している。

現在三十一歳の私は高校卒業後予備校生を経てフリーターになり、なったと同時に時給はどんどん下がり始めるという不況に直面した。仕事は誰にでもできるつまらないもので、単純作業をすればするほど自己否定に繋がっていくという悪循環。しかし社会が私に必要としているのはそんなものだけで、それに疑問を持ったところで「お前の代わりはいくらでもいる」とばかりにクビになる。私自身、フリーター時代に何度も自殺を図っているが、そのこととフリーターという立ち位置は決して無関係ではないことは何度か書いてきた。不安定な生活は不安定な心を生み、社会から必要とされていないという気持ちは簡単に自己否定に繋がる。誰にでもできることしかできない自分にどうやってプライドを持てばいいのかそもそもわからない。そしてそんなフリーター生活を一、二年も続けてしまうともう社会への入り口はきっちりとガードされていてフリーターから抜け出す道などないのだ。
http://www.sanctuarybooks.jp/sugoi/blog/index.php?e=33

 しかし、同じような体験を経ても、「ニート」に対する雨宮氏の視線は、インリン氏と全く異なっているように見える。雨宮氏は、ブログ上で、「ニート」を自称する二十歳の男性の

生きづらい…といいますか、「生き方がわからない」と言った感じでしょうか…
今は親のスネを齧って実家でひきこもりをやってます…
「何とか打開しなきゃ」「バイトからはじめないと」とか色々考えはするのですが、
外に出るのが怖かったり、人ごみがダメだったりでなかなか上手くいきません。(……)

 という相談に、こう答えている。

「バイトもしたことがなく、自分の得意なことがわからない」ということですが、私も相談者さんと同じ二十歳の頃、自分に何ができるのか、何が向いているのか、何が得意で何ができないのか、もうぜんっぜん少しもこれっぽっちもわかりませんでしたよ。今もわかってるとは言えません。
 でもだからこそ、自分に何ができるか試したくて、いろいろな場所に行きまくった時期があります。(……)そんないわゆる危険地帯に行きながらも、一番怖かったのは「働くこと」でした。もちろん当時フリーターでバイトしていたのですが・・・。
「とりあえずバイトでも始めないと」という気持ちもとてもいいと思いますが、バイトなどはやはり「使える奴かどうか」が基準になってしまう部分が大きいと思うので、「金銭や利害が絡まない、だけど自分の居場所であると思える共同体」があると一番いいと思いますよ。
 うーん、でもそれを見つけるのが一番難しいと言えば難しいのですが・・・。
 働く以外にも社会に参加する方法はいくらでもあるので、焦ってバイトするよりも、何か興味のある場所に出向いていくことから始めるといいかもしれませんね。
http://www.sanctuarybooks.jp/sugoi/blog/index.php?e=36

 さて、この二人の「違い」をいったいどのように考えればいいのか。言い方をかえれば、いったいどうやってインリンを「説得」すればいいのか、あるいはそもそも「説得」する必要はないのか……。これは、まさに先日の生田、杉田、白石氏のトークセッションで話題になったことともつながると思います。こちらでも触れられていますが(http://d.hatena.ne.jp/junippe/20060524#1148480371)、会場からの質問で、会社で、仕事上は尊敬できる上司などが「怠け者のニートはこまったもんだ」というようなことを言うのだが、何もいえない、どう説得すればいいのかわからない、というものがありました。それに対しては、三人とも、(基本的には)別に説得しなくていいのではないかという風に答えていました。生田氏は「50台後半以上の人は「自分の食扶持は自分でつなぐ」という労働観を強く持っており、彼/彼女らがフリーター、ひきこもり、野宿者を理解することは困難である」と述べてた。*2生田氏は同時に、そうした労働観を野宿者自身が内面化していることも多い、とおっしゃっていた。また、そうしたモラルを内面化しているのは、もちろん若い世代でも多いわけである。インリンもまさにそうだが、インリンのように「努力が報われる喜びを知る」ことができない若者も多いわけである。会場質問では、以下のような雨宮氏の兄弟氏のエピソードと似た話も紹介されていた。

数年前、実際に自らの兄弟が過労死と隣り合わせの過酷な職場で働かされるという経験をした。十五時間を平気で超える長時間労働、食事も取らせないほどの多忙、なんとかチーフという名前だけの肩書きにさせて労働基準法から守られないようにするという巧妙な企業のやり方は本当に腹立たしく、労基署や弁護士などに家族が相談したものの、まったくもって全然一切どうにもならなかった。結局、兄弟はその職場を辞めた。兄弟の枕元にあった五個の目覚まし時計を思い出すたびに、なぜただ普通に働いて生きていくことがこんなにも困難になってしまったのか、背筋がぞっとする思いがする。

 というわけで、『テレビブロス』を読んでいるうちに電車はS駅に着き、そこで私は電車を乗り換えた。唐木田に向かう小田Q多摩線の車内の座席で私がまどろんでいるころ、私が買ったビニール傘は、座席横の手すりにかけられたまま、新宿に向かって疾走していたのだった。最寄り駅に着いたとき、まだかなり雨は強く振っていたのだが、さすがに二本目の傘を買う気にはなれず、自宅まで濡れて帰った。実質、あの傘を「使った」のは距離にすると百メートルであったことになる。100メートル傘か。ていうと巨大な傘みたいだけど。400円ぐらいだったような気がするので一メートル4円か。

*1:wikipediaによると、「公式」には78年生まれなのだが、「78年生まれというのはあくまで営業用のプロフィールです。このことは公式サイトでも報告していて、ファンならみんな知っています」(担当マネージャー)と語って事務所が年齢詐称を認めているのだそうだ(笑)

*2:http://d.hatena.ne.jp/junippe/20060524#1148480371