「食育」がどうの、という人々は、かならず「規則正しい食事」と「毎朝朝食を」などと言うようだ。
参照>http://d.hatena.ne.jp/sava95/20061124/p2
「食育」を主張する人たちは、たぶん、グローバリゼーションとファーストフードの蔓延などを憂い、伝統的な食文化の喪失を嘆く、みたいなことを言っていそうだ。
だが、その「伝統」というのがいったいどのように成立したのか、ということをさかのぼると、おそらく、「食育」主義者の郷愁とはかけ離れた風景が現れてくる。すなわち、「伝統的な食文化」なるものは、そもそも、グローバルなシステムとしての資本主義の発展の中で形作られたものなのである。川北稔は「イギリス風朝食の成立」を題材に、「規則正しい食事」とか「毎朝朝食」といった「伝統」がどのように形作られたかを示している。以下は、かなり前に『知の教科書 ウォーラーステイン』(講談社選書メチエ)を読みながら書いたメモである。殴り書きなので恥ずかしいのだが、直すのが面倒くさいのでそのまま載せる。
ちなみに、川北稔は、ほぼ同じ話を、『砂糖の世界史』(これはとてもいい本だと思った)でも書いているし、最近何かの雑誌でも書いていた。
川北稔「イギリス風朝食の成立―庶民生活史のためのウォーラーステイン」
川北稔編『知の教科書 ウォーラーステイン』(講談社選書メチエ)p85〜
- イギリス風朝食
- ポリッジ
- トースト
- ベーコン・アンド・エッグ
- 砂糖入り紅茶
- 大陸風⇒軽い朝食
- イギリス風⇒重い朝食
イギリス風朝食の成立にとって決定的に重要だったのはライ麦の黒パンやポリッジ*1ではなく「砂糖入り紅茶」であった。
かつてのイギリス庶民は一日二食が普通だった
イギリス人の食事が激変したのは産業革命期(一八世紀と一九世紀の境目)
その中心をなしたのは「砂糖入り紅茶」を中心とする朝食の成立
砂糖入り紅茶に関わる一連の食品群(紅茶・砂糖・糖蜜)⇒ティー・コンプレックス
一八世紀末イギリス
産業革命⇒囲い込みが農民を都市に追い出し牧歌的農村共同体を破壊したのか?(よくわからないところもある)
いずれにせよ都市化が進んだ
都市の下層民の生活
- トイレがない
- 短時間で朝食準備できない
- 台所がない
- 無料で採取できる燃料もない
- 時間の規律がきびしくなった
- 工場で働くようになった
- かつて職人の間では聖月曜日というルースな時間の使い方が黙認されていた(週末に週休を受け取った職人は飲んだくれるので月曜も休む)
- 労働者はサイレンが鳴るまでに工場に入りつぎのサイレンが鳴り終わるまで休みなく働くことを要求される
工業化によって民衆は長時間を要する調理の可能性を失った
ロンドンの街路にはありとあらゆる種類の屋台の簡易食堂が開業していた*2
一日の厳しい労働に従事する人の朝食⇒重い
- 高カロリー
- 酔っぱらわない
- 直ちに元気になる
このような条件に見事に一致したのが
紅茶・砂糖・店で買うパン⇒イギリス風朝食
湯をわかせば用意できる
紅茶+砂糖
=カフェイン+即効性のカロリー源
工業化前のルースな時間管理
⇒エールやジンなどの飲酒習慣とつながっていたのと好対照
仕事の合間のティーブレイクも同じ(即効性のカロリー摂取)
冷たいパンを一瞬にして「ホット・ディッシュ」に変えてしまう一杯の砂糖入り紅茶がなければ、一九世紀イギリス都市民の生活は成り立たなかった
「周辺」から来た素材
「イギリス風朝食」は労働者のものだから何よりも安上がりでなければならなかった
歴史家デイヴィッド・マクファソン
要するにわれわれイギリス人は、商業上も、金融の上でも、きわめて有利な位置にいるために、世界の東の端から持ち込まれた茶に、[西の端の]西インド諸島からもたらされた砂糖を入れて飲むとしても(輸送のために船賃や保険料もかかるのだが)国内産のビールよりも安上がり
だった
世界システムの二つの「周辺」からきた素材(茶+砂糖)の調達
イギリスが世界システムの「中核」野市を占めることになったからこそ
もともと茶は上流階級のステイタスシンボルだったが次第に大量生産されて価格が低下しついには産業革命時代のイギリス都市労働者を象徴する記号に転化した
イギリスにおける世界で最初の産業革命は近代世界システムのうえにこそ成立したのであって、イギリス農民だけが「勤勉」で「合理的」だったから起こったのではない
産業革命時代の中流階層つまり工場経営者などの階層としては二日酔いの労働者が「聖月曜日」の慣習に浸って時間規律を守らず、密度の高い労働ができないようでは、話にならないと考えられた。