委任状

某大学大教室での授業前に学生さんが来て、ちょっと話をさせてくれ、という。学生自治会の人のようだ。マイクを貸すと、このようなことを言った。

○月○日に学生大会があります。
なので、委任状を書いてください。
今から用紙をくばります。授業後に回収します。

まあ、ちょっと苦笑せざるをえなかった。で、その自治会の学生さんに「最初から委任状を書いてくださいって言っちゃうの? 出席は呼びかけないの?」と言ってみたのだが、予想通り、きょとんとした顔で「いえ、大会というのは学生はほとんど出席しないんです」と言う。これ、ニュアンスが伝わらないかもしれないが、別に困っているという感じではなくて、「大会っていうのはもともとそういうものなんですよ」と私に教えてくれているという感じの口調。
とはいえ、私が大学生だった20年前、私の大学の学生大会も、すでに、ほとんどの学生が出席しない、という状況は変わらなかった。というわけでめったに成立しない(ちなみに、私の大学の自治会はいわゆる民青系だった)。ただ、当時自治会執行部の呼びかけは「出席しましょう。欠席するならせめて委任状を書いてください。」みたいな感じだったと思う。最初っから、「委任状を書いてください」しか言わない、というのは、さすがに、なかったように思う。
いや、別に、誰かのように今の若者の「劣化」を嘆いている、というわけではない。むしろ賢明なのではないだろうか。だって、「大会」とか「総会」なんて、ばかばかしいもの。
外山恒一は「我々少数派にとって、選挙ほどばかばかしいものはない。多数決で決めれば、多数派が勝つに決まってるじゃないか」と言っていたけれど、実際は、選挙というのは多数派にとってもばかばかしいものなのである。「多数決で決める」と言うけれど、多数派にとって、ものごとというのは、「決める」っていうより「決まる」ものなのである。「多数派」は、わざわざ「決める」なんていうことをしたりしない。そんなことをわざわざしたがるというのは、よほどものずきな人なのであって、つまり「少数派」である。

出席できない少数派が、委任状を出す

なのではなくって逆なんだな。

委任しない(物好きな)少数派が、出席する

なんだ。たぶん。
棄権する(つまり自分は「決めて」いない)多数派にかぎって、「決まった」ことに異議を唱える少数派を、「多数決で決めたじゃないか」と非難しがちだけど、たぶん多数派にとっては、「決まった」ことに後から異議を唱える少数派と同じく、「決める」作業に前もって参加しようなどとする少数派もまた、なんだか異質な、奇妙なものに見えているんじゃないだろうか。