クレ上げ当選

またやってるね、呉センセ、例の話。え?どんな話かって? いや、なんだかサンケイ新聞のコラムで、この間亡くなった小田センセの話をしてるのさ。
http://www.sankei.co.jp/culture/bunka/070812/bnk070812001.htm
題して、「市民運動家の二面性」。書き出しは「2年前に本欄に書いたことと同じことをまた書く」となってる。いやいや、呉センセの話がいつも同じのはわかってるけど。
で、内容というのはこうだ。まず呉センセ、40年前に読んだある本の内容を紹介する。その本で著者は、

日露戦争でアジアの新興国日本が大国ロシヤを破ったことはトルコなどを力づけた。太平洋戦争(大東亜戦争)も、結果的には敗北であったが、日本の奮闘はアジア・アフリカ諸国の励みになった。この事実を、戦後わずか20年の当時「人々はまったく無視して語らない」

と慨嘆しているのだそうだ。呉センセも当時を思い出して、「私の周囲にも「この事実」を語る人はいなかった」と慨嘆している。さて、十分にもったいをつけた後で、呉センセはこう書く。

この本は『日本の知識人』(筑摩書房)である。「断」に拙文が載ると、著者から礼状が届いた。自分を単純な “反戦派”として批判する輩が多くて困る、自分の本を読んだ上での批判なら歓迎だ、というようなことが書かれていた。著者は、小田実である。

ここ、もちろん、しゃべりだったらポーズをつけるところ。
「ええっ?!あの小田実が?!そんなことを書いていたの?!」と驚く読者の顔を思い浮かべている呉センセの顔が思い浮かぶような文体である。

7月30日未明、小田が亡くなった。自民党参院選大敗が決まった頃だ。朝日新聞は追悼記事で、これと関連づけるかのように小田の市民運動の“偉業”を讃えた。来月の保守系論壇誌には小田の“単純な反戦派ぶり”を皮肉ったものが並ぶだろう。だが、大東亜戦争の二面性を40年前に強調した小田の二面性も忘れてはならない。私が同旨の文章を本欄に再び書く第2の理由は、死者の業績を正しく伝えたいからだ。

なるほど。さすが呉センセ。でも、せっかくだからここには書いていない他の理由も想像してみよう。

  • 第3の理由 = 「単純な小田実像にもとずいて小田をほめたりけなしたりする単純な朝日や保守論壇誌と違って、呉センセの文章はヒネリが効いている、さすがだ」と読者に思わせたいから
  • 第4の理由 = 「40年前も今も『私の周囲』は単純なバカばっかりで、いくら『事実』を言っても『理解できない輩が多くて困る』ということを強調することで、「周囲のバカに流されずに事実を語り続ける孤高の思想家、さすが呉センセ」と読者に思わせたいから

……と思ったら、ブックマークを見ると、「あの小田実がそんなことを書いていたの?!」と驚く読者、「さすが呉センセ!」と感心する読者が続出している。
ところで10年以上まえ、呉センセは、佐高信についてこう言っている。佐高は「辛口」評論家としてもてはやされているが、それは「左翼全滅の時代の中で繰り上げ当選になっただけ」だ。「風邪を押して会社に行くのが「社畜」なら、左翼全滅の暴風雨の中に出勤する佐高センセは「左畜」ではないか」(『危険な思想家』双葉文庫)と。
まあこれを読んだときはちょっと笑ってしまったのだが、最近、気がついた。いや、それを言うなら、呉センセだって、ある意味繰り上げ当選じゃないの? と。呉センセは、「佐高は本来受かるはずのない下位なのだが、上が落ちたから受かった」という意味で「繰上げ当選」という言葉を使っているんだろう。しかし、それを言うなら、呉センセは、自民党にみんなが投票したおかげで、本来受かるはずのないどうしようもないレベルの低い小泉チルドレンとやらが受かってしまったのと同じで、「左翼批判全盛の時代の中で繰り上げ当選になってる」んじゃないだろうか?
しかし、呉センセの場合、当選していることに気づいていない、というか当選していることに気づかないフリをしなくてはいけないのである。というのも、今回の文章を読んでもわかるように、「「周囲の人」とは一味違う」というのが、呉センセの芸風だったはずなのである。ところが、今や、「周囲の人」は、呉センセのエピゴーネンだらけである。そんな中でも「サヨク出身なのにサヨク批判をする一味違う辛口評論家」というスタンスを維持するのは、結構大変なんじゃないか、とも思うのだが、佐高センセを揶揄するときは平気で「左翼は全滅している」なんて書くので、そうでもないのかも。


追記:小田センセの『日本の知識人』は、amazonの古本で一冊だけ残っていたので購入した。読んだら感想を書く(かもしれない)。それから、実は、呉センセの文章では、小田センセの「礼状」というのが、どのようなニュアンスの手紙だったのかはわからないんだよね。「というようなことが書かれていた」といわれてもなあ、という面はある。まあ私信だからしかたないんだけど。小田センセはもう反論できないわけだし。