「迷惑」と「混乱」と「粛々」

反戦ビラ訴訟有罪確定について
http://d.hatena.ne.jp/nessko/20080412/p1
↑こちらでは、「迷惑」という言葉について書かかれています。たしかに、ずいぶん前から「迷惑」という言葉は乱用されているような気がして、気になってはいた。
しかし、最近いろいろなニュースを見ていて、「混乱」という言葉の使われ方がずいぶん気になってきた。昔からなのかもしれないが、最近のニュースを見ていると、何事についても「混乱」という言葉が安易に使われているように思う。

「混乱」することは、とても悪いことのようである。つまり、「多くの人が迷惑した」という印象を読者に抱かせたいようなのだが、より「客観的」めかしているところに、私はいやらしさを感じてしまうのである。
で、逆に、「混乱」しないことはあくまでいいこと、なのである。たとえそれが殺人でも。

粛々と、という言葉は、なんと卑劣で誤魔化しのことばであることか。
 四月一〇日。ひる過ぎ、仕事中のコンピュータでニュースを盗み見て、ぼくは「死刑執行」があったことを知った。鳩山邦夫法相の、三たびの絞首刑命令だ。東京で二人、大阪で二人。「バタンコ」の上に立たされて、音とともに下へ落とされたのだった。

http://saluton.asablo.jp/blog/2008/04/20/3210573

仮に、死刑反対派が死刑を中止させる何らかの行動ができたとして、そのときは「死刑が粛々と実行されなかったこと」について「死刑執行中止で大混乱」とでも報じられるのであろうか。

しかし、考えてみれば「混乱」の使われ方は実にいい加減で、郵政民営化なんてそれこそ「混乱」だったけど、それは混乱じゃなくて「改革」と言ってもらえて、どういうわけか小泉はもちあげられた。審議拒否は「混乱」で、強行採決は「混乱」じゃなくて、強行採決をとめようとすると、とたんに「混乱」と言われる。
ていうか、大化の改新だってフランス革命だって明治維新だって「混乱」なんだから、教科書には「大化の混乱」「フランス混乱」「明治混乱」とでも書いたらよかろう*1

*1:日本史では「〜の乱」という表現がありますが、何を「乱」と書くのか、というのはそれ自体問題となるのでしょうね。よく知らないのですが。と思ったら、http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tsuka/theme/kosyo.htmlでは「適当」だ、とある。http://homepage2.nifty.com/osiete/seito33.htm というのもありましたが。うーんどうなんだろう。