諸星大二郎『西遊妖猿伝』

最近漫画についての話題はだいたい、諸星大二郎になってしまっていますが、とにかく最近の諸星氏が非常に多産であるからどうしてもそうなってしまいます。
ユリイカ』の特集も出ましたが

その表紙にもなっている大作『西遊妖猿伝』が、11年ぶりの連載再開ということで(諸星さんこんなのばっかりですが)すでに発表された部分が、新たな装丁で再刊されています。実は読んだことがなかったので、これを機会に読み始めたのですが……帯に「注意:読み出したら止まりません」と書いてあるまさにそのとおりになってしまっています。

で、諸星さんの話題となるとこのことばかり書いているのでいい加減しつこいと自分でも思うのですが、数年前から(具体的には下に引用した記事http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20060224/p1を書いたときから)諸星作品を読むと、宮崎駿への影響、ということばかりついつい考えてしまいます。
http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20060224/p1
さて、『西遊妖猿伝』なのですが、まあ、どこが、とはっきりはいえないのですが、この漫画、漫画版ナウシカと雰囲気が非常に似ているんですよね。
と思ったら、上記の『ユリイカ』で、竹熊健太郎氏が、氏が編集した『諸星大二郎 西遊妖猿伝の世界』(双葉社、1986年)について語っていて、その中で宮崎駿にインタビューに行った時のことが書いてあります。

宮崎監督は諸星さんの大ファンで、このとき「『風の谷のナウシカ』はほんとうは諸星さんに描いてもらいたかった」とまで言っているんですよ。(『ユリイカ』2008年3月号p135)

しかし、『西遊妖猿伝』は1983年6月号から連載開始ですが、漫画版『ナウシカ』は1982年2月号から連載開始ということで、ほぼ同時ながらナウシカの方がやや早いのですね。1984年に、大学受験浪人をしていた私は、大友克洋の『AKIRA』と『ナウシカ』の単行本を、毎日ページ数を決めて、舐めるように読んでいた、という痛い経験があります。しかし、『西遊妖猿伝』はノーチェックというぬるいマンガファンでした。
さて、『西遊妖猿伝』ですが、とにかく壮大な話です。大長編なので、短編と違って、ストーリーの密度は浅い部分もあるんですが(結構ふざけたシーンも多い)、全体としては『カムイ伝』みたいなすごい話です。
ただ、長い…20年ぶりぐらいに連載再開されたのにあわせて再刊されつつあるんですが、今8巻出たところでまだやっと玄奘と旅に出発したところ、ていう。
さて、この話の主人公である孫悟空は、一つ目の大猿の姿をした斉天大聖という神の申し子です。ちなみにこの斉天大聖という神は、仏教の僧たちには、邪神として敵視されています(このへんもちょっとナウシカっぽい)。で、斉天大聖は、いわば民衆の抵抗精神の権化なのですね。この神は、権力者に虐殺された民衆の怒り、怨念が昇華して生まれた存在であるようです。そして、歴史上現れた民衆蜂起の指導者は、実はみなこの斉天大聖によって誕生させられた、というような設定なのです。
斉天大聖の聖地である五行山の白雲洞という洞窟には、太古から存在する巨大な碑があり、そこには、赤眉の乱の樊崇、黄巾の乱張角など、民衆叛乱の指導者の名前がびっしり刻まれています。孫悟空は、自分の名前があらかじめそこに書かれていることに驚くのですが、ずっと時代を下った未来の指導者として、孫文とか毛沢東の名前も書かれているのです!(こういう遊び心が面白いです)。
で、孫悟空は、虐殺された民衆の怒り、怨念を感じ取ったときに力を得て100万馬力を出す「怪物」なのです(ららら科学の子、じゃなくて、ららら歴史の子なんです)。
で、思ったのは、なんかこういうは安心して読めるなあ、ていうことです。最近よくある、なにかっていうとすぐ「何が正義かわからない」みたいな構図にもっていこうとするストーリーとは対極的なマンガだと私は思います。ところで、呉智英さんは諸星さんを高く評価しているみたいなのですが、たぶん呉さんは、どうせどこかで「諸星大二郎は、民衆は正義、みたいな単純な左翼まんがではなく、そこがよい」とか言っているのでしょう(読まなくても大体想像がつく)。しかしこれまったく逆でしょう*1。諸星さんは、「何が正義かわからない」みたいな複雑ぶりっことは無縁な単純さ(明晰さ)があって、そこがよい、のではないでしょうか?
というわけで、昔書いた没記事を思い出したので再録します。
http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20090704/p2

*1:て想像の意見に反論するのもなんですが