『プラネテス』のポリティカ その2


注意!ネタバレあり!
幸村誠(ゆきむら・まこと)のマンガ『プラネテス』(講談社モーニングKC)について、むかし記事をかきました。
『プラネテス』のポリティカ その1 - 猿虎日記(さるとらにっき)
よくやるのですが、「つづく」としたまま放置。きがつくと3年いじょう たっていました。あれから3年も たったというのが 信じられないのですが。
先日、上田亮(うえだ・りょう)さんが、この記事についてトラックバックをおくってくださいました。
『プラネテス』における「政治」について考える - 上田亮の只今勉強中

わたしが つづきで書こうと おもっていた、『プラネテス』のなかで「ひっかかった」ぶぶんについて、ほとんど書いて くださいました。
「テロリスト」が「愛の力」で「バッタリと活動を停止した」というところも そうです。つけくわえると、この「テロリスト」は「ハキム」という名前から わかるように、アラブ系の 男性として えがかれて、彼の出身国は 貧困と内戦に くるしんでいる、という設定でした。テロリストといえば、アラブ=貧困=内戦 というステレオタイプにも ちょっとひっかかりました。
あと、「非政府組織ピース・ウォリアーズ」の反戦活動について、わざわざ「実は軍内部の反戦派に援助されてる」みたいな 設定にした うえで、主人公に「反戦」にたいするナイーブな違和感を 表明させているところ、とか。こうした、「反体制運動には なにか裏であやつっているものがいる」という陰謀論は、「宇宙防衛戦線」にもくっついていて、この宇宙の環境保護運動は、「利害の対立する宇宙企業同士がライバルの攻撃に利用してる」という 設定もありました(どちらも、「事情通」ぽい 登場人物が 主人公に「裏事情」を おしえ、主人公は「へー」と あっさり 信じています)。このへんは、しょうじきいって「市民運動とかいいながら 実はプロ市民運動なんだ」っていう例のネトウヨ的ウラ読み(陰謀論)との共通性を かんじざるを えませんでした。
しかし、上田さんによると、『プラネテス』で作者は たんに「政治」を 揶揄しようとしている、というよりは、「主戦」「反戦」を超えた、「政治的なるもの」「大人の理屈」そのものに対する嫌悪感をえがこうとしている、ということです。そこでは、「このクソみたいな社会についに馴染めなかったひと」、つまり、社会に「反戦」なり「抵抗」なり「闘争」なりでも、つながる回路をもたない「子供のままな存在」に焦点があてられている、と。たしかに、『プラネテス』のストーリーは、たんなる「ナイーブな政治嫌悪」に おさまらない、「もっと深い次元に根ざしている」というべきなのかもしれません。
ただ、『プラネテス』について もうひとつ話題にしようとおもっていたのが、ロックスミスの話と、宮沢賢治(みやざわ・けんじ)の使われかたです。これについて 書いてみようと おもいます。*1
ロックスミスは、国際的な木星有人飛行計画の責任者です。木星に資源基地を作れば人類の資源問題は解決するので、この計画には人類の未来がかかっています。彼は同時に、画期的な新型ロケットエンジンを 設計した 有能な技術者でもあります。しかし、このエンジンの開発のための 月面での実験で、324人が死亡する、という大爆発事故がおこりました。彼は、エンジン開発のデータを手に入れるために、事故で犠牲が出ることを予測しながら、無理な実験をさせました。とうぜん彼は その責任を とわれますが、辞任しません。事故後の会見で「次は失敗しません。ご期待ください。」と言ってのけ、怒号のなか 平然と退場する彼をテレビで見たハチマキらは「なんて奴……」とあきれます。同じテレビを、現場たたきあげ系の古参船乗りであるハチマキの父も見ています。彼はとても有能な男で、ロックスミスにその「経験とカン」を買われて、有人飛行船に機関長として乗ってくれと懇願されていたのですが、「人類がどうとか重くてヤだしね。つまらん」と、その要請を拒否していました。ところが、この会見をみたハチマキの父は「あの若造、ロックスミスか。ちょっとおもしろいね。人間性はともかく。自分のワガママを繕(つくろ)うそぶりが まるでない。ああいう 悪魔みたいな男は いい仕事するぞ」と、急に計画に興味を示しはじめ、機関長就任の要請をひきうけることにします。
ぱりっとスーツを着ていて、かみはオールバック、いつも無表情なロックスミスは、有能だが冷酷な人間として えがかれていますが、しかし、たんなる悪役というわけではありません。むしろ、300人もの人を殺して平然としているのは、どちらかというと、彼が ただものではない大人物である証拠として 肯定的にえがかれています。さらに彼は、トップの人間ではあるが、頭でっかちというわけではなく、「現場」系の人間から「いい仕事をする」とおすみつきをもらっています。
さて、第18話(第4巻)「グスコーブドリのように」では、エンジン事故二周年の慰霊式に出席したロックスミスは、遺族から「血も涙もないのか!外道め!」などと はげしい罵倒をうけ、タマゴを ぶつけられたりしています。しかし彼は、かけよってきたSPに「タマゴをぶつけられただけだ そちらの方に 手荒なことしちゃダメだよ」と言ったり、つねに冷静です。そのあと彼は、同じく事故で死亡した ヤマガタというエンジニアの墓まいりにいきます。ロックスミスはヤマガタについて、才能のあるいいエンジニアだったが「まァ、私が殺したんだけどね」と表情もかえずに言っています。墓では、ヤマガタの妹が、ロックスミスがくるのをまっていました。ここで宮沢賢治の話がでてきます*2。墓のまえで二人きりになったとき、彼女は、生前の兄が、尊敬する先輩技師ロックスミスについて「グスコーブドリのような人だ」と言っていた、と明かします。グスコーブドリとは、宮沢賢治「グスコーブドリの伝記」の主人公で、優秀な火山技師でしたが、最後は 人工的噴火をおこして冷害をくいとめるため、火山島にたったひとり残り、命をおとします。*3
それを聞いたロックスミスも、「みんなの幸せのために働いてくれた」「命とひきかえに膨大な実験データを遺(のこ)してくれた」ヤマガタは「グスコーブドリのような男だった」と言います。すると妹は、とつぜん、かくしもっていたピストルをロックスミスにつきつけます。愛する兄に、危険な仕事はやめてほしいと いつも言っていた彼女は、実験の責任者であったロックスミスを「私の兄さんは、あなたに殺されたのよね?」と問いつめます。しかし、ロックスミスはまったく表情をかえず、「私に嫉妬するのは無意味だ」「君も私もヤマガタ君の死になんの影響もおよぼしていない」「彼はいつでもすすんで任務についた 彼は死を恐れない」などと言い*4、「嘘だ」ととりみだす妹にむかって、さらに、「君の愛した人はグスコーブドリだったんだよ 君のその愛が 彼の心をとらえた事などないのだよ」と言いはなちます(このセリフを言うロックスミスは、星空をはいけいにして みひらきでかっこよくえがかれています)。ショックを受けた妹は銃口を自分に向けて自殺しようとするのですが、ロックスミスがきてんをきかせて かっこよくピストルをたたきおとし、みすいにおわります。銃声をききつけてやってきた部下に、彼は、彼女を車でおくってやれ、と冷静に指示します。部下に「大丈夫ですか?主任」とたずねられたロックスミスは、ほしぞらを見上げて「心配ない。ただ かなしくなっただけだ」とかっこよく つぶやきます。これで、この章はおわります。
さて、ここでは、宮沢賢治は、いわば、子どもの純粋さと大人の悲しみをあわせもった深い人物(実際に宮沢賢治がどうだったかは別として)という記号として使われているように思います。そしてその宮沢賢治の愛読者であるロックスミス*5という男は、たんなる理系バカや官僚バカではない、ふかみのある人物であることが示唆されるわけです。
しかし、いま読みなおしても、ロックスミスって、それこそ最悪な いやな大人じゃないか、と思うのですが、どういうわけか、ロックスミスは、いっかんして、えらくカッコイイえがかれかたをしているのです。というわけで、『プラネテス』のストーリーは、「子供のままの存在」によりそうぶぶんがあるとしても、大人がいつも悪者、というわけでもないのです。大人として 手を汚すことをひきうけながら、しかも、子供の心をうしなっていない、いや、子供の心を失ってしまったことへの 悲しみを けっして忘れない、ふかみのある人間……そんな感じの大人、つまりロックスミスのようなタイプは、肯定的にえがかれています。大人として もんくはいわずに 汚れ仕事もひきうける。男らしく?責任をとっているが、よけいなことは 言わない 有能な技術者。無表情なのは 実は ふかい悲しみをしっている証拠、というわけです。
逆に、子供も、いつもイイモノであるわけでは ありません。宇宙で反戦の横断幕をひろげてピースサインをする、というような、「実効性のない」活動をやっている、非政府組織(といいつつ軍の反戦派に実は支援をうけている、という内幕つき)のピース・ウォーリアーズのメンバーは、アサハカで、無責任で、無邪気で、うすっぺらい人間、として 描かれています。女性メンバーの一人がインタビューに答える口調は、子どもっぽいものです。「初めてスペースプレーンに乗ったとき オーロラが見えたんです それがすっごいキレイでーー」「だから宇宙で戦争が起きるってきいて もう じっとしてらんなくてーー」
というわけで、ちょっと意地悪な見方をすると、『プラネテス』では、2しゅるいの「子供」と「大人」が、つごうよく つかいわけられているようにもおもうのです。
フィーのおじさん、フィーの息子のアルバート、タナベ、犬、とかは、「いい意味の子ども」であるのに対して、反戦活動家たちは「悪い意味の子ども」としてえがかれています。一方、ロックスミスは「いい意味の大人」であるのにたいして、反戦派のサンダース大佐などは、汚い大人、「悪い意味の大人」としてえがかれているのです。


……とここまで書いて、あんまりまとまってませんが、3ねんごし!の『プラネテス』論、いちおうこれでおわりにしたいと思います。『プラネテス』についての批評などは、上田さんのものをのぞいて まったく読んでいない(あとアニメも見てません)ので、あるいはピントはずれなところもあるかもしれませんが……。

*1:こんかい、『プラネテス』をもう一回読みなおしてから 記事を書こうと おもっていたのですが、かんじんの『プラネテス』が、わたしの 汚部屋空間にただよう デブリに 埋もれて 行方不明……結局一部はネットカフェで読み直しました。

*2:第2巻でも宮沢賢治の詩が抜粋されており、作者は賢治におもいいれが あるのかもしれません。わたしも、こどものとき 宮沢賢治がかなりすきで、おもいいれがある、といえばあるのですが……。

*3:ちなみに、いま読むとこれ、賢治は自分が死んで半世紀以上たって 地球温暖化でおおさわぎになることは さすがに予想できなかった、てことですね。

*4:なんて責任のがれ!

*5:これは、一年前のヤマガタ命日に彼の墓前に『グスコーブドリの伝記』を置いたのがロックスミスであることから示唆されています