ジラール/ペルーティエ『ゼネストとは何か?』(1895年)

──ある労働者による、社会主義の先生方に対する講義──
さく:アンリ・ジラール/フェルナン・ペルーティエpar Henri Girard et Fernand Pelloutier


ペルーティエとこの文章の背景については『ゼネストとは何か?』についてをお読みください。


原文:http://www.pelloutier.net/dossiers/dossiers.php?id_dossier=44 (consulté le 18-07-2009)

原文掲載サイトの編者まえがき

1902年のその死までゼネスト組織委員会(のちのゼネスト宣伝委員会)のメンバーだったアンリ・ジラールの署名があるとはいえ、おそらく大体においてフェルナン・ペルーティエFernand Pelloutierひとりによって書かれた*1以下のテクストは、著者がこだわり続けた「ゼネスト」〔グレーヴ・ゼネラリスト〕grève-généraliste理論の完成形態をなすものである。このテクストは、1895年11月の終わり、ペルーティエが労働取引所連盟の書記長に就任したころ、ジャン・アルマーヌ*2の出版局から発行された。

注釈者:ミゲル・シュカMiguel Chueca

このパンフレットは(19世紀末から20世紀初頭の)フランスの労働運動におけるゼネスト論争に関する、2005年発行予定の論集に再録されるはずである。

本文

労働者たちの討論会。給料日後のある土曜の午後。

労働者その1 「また時給が5サンチーム下がった!こんな時給、とてもがまんできない……」

全員 「どうしたらいいんだ?」

労働者その1 「どうしたらいいのかって?……つっぱねるんだ!……おれたちは生きるためだけにはたらくニグロじゃない、て経営者に言うんだ。おれたちが経営者に6フランの労働をあたえると、やつらはまるまる2フランを手にいれる。もうけは、しめて日に200フランだ。50フランぐらいこっちにまわしてくれてもいいじゃないか。それでやつの暮らしはかわらないんだから。で、おれたちはっていうと、それだけありゃパン屋に支払いができるってのに。」

労働者その3 「経営者が意地はったら?」

労働者その1 「ストするのさ。」

労働者その2 「おいおい! ストするって、言うはやすしだけど、成功する可能性はあるのかい? たたかいの勝利は、対戦者の正しさによってだけで決まるわけじゃないよ。」

労働者その1 「そりゃそうだ……。だから、おれたちはあちこちの工場に回状をまわしたり、新聞に事情を話したり、世論を動かそうとしたりするんじゃないか……。それで勝利できなかったらおかしいだろう。」

労働者その2 「ぼくに言わせると、それはカン違いってもんだね。いまこの瞬間も、フランスでは11のストがおこなわれている。きみは、そのうちいくつがもちこたえられると思ってるんだい?」

労働者その1 「ぜんぶだ。おれはそう思う……。」

労働者その3 「あまいなあ。このまえの労働取引所連盟委員会の会議で、書記は、支援の呼びかけにたいする応答はどこもまだうけとってないって言ってたぜ。シャロン=シュル=ロワールの指物工たちは1800通も回状をおくったけど、900フランしか支援金を受け取っていない。50人が3週間ストをしているわけだから、ひとりひとりは日に90サンチームもうけとってないってことだ。カルカソンヌの坑夫たちなんて、経営者がおしつけてきた条件で労働を再開しなくちゃならなかった。」

労働者その1 「うーん。だけどおれたちのばあいはちがうぞ。おれたちはパリにいるんだ。社会主義新聞の記者にいつでも会うことができるんだし、新聞にはたらきかけて、アヴィニヨンの機械工が獲得したのとおなじ援助を獲得することだってできるじゃないか……。」

労働者その2 「やっぱりきみ、だまされてるね。社会主義新聞なんてまるでたすけになんかなならないよ……なんでかって? ぼくたちのストなんて、まいにちの経済闘争のなかでは、ちいさないざこざでしかないからさ……政府攻撃の主題にするには、あまりにちっぽけなものでしかないんだ。新聞なんて、ぬすっとになりたい小資本家たちがぬすみにあった、ていうだけなのに、ドルドーニュ県の鉄道会社のごたごたのほうが、飢え死にするのがいやで闘ってる百人ものあわれな場末の冶金工たちのことよりもずっとおもろいとかんがえるのさ。結局、ぼくたちは、おなじように搾取されているなかまの援助しかあてにできないってわけだ。」

労働者その4(えんりょがちに)「……組合がストライキ基金をつくったらどうかな?」

労働者その5 「そりゃあ、そんなものができたら、みんながストやりはじめるからにきまってるじゃないか……。」

労働者その2 「みんなってことはないだろう。でもストはかくじつにいまよりもっとひんぱんになって、回数もふえるだろうね。30年まえから、労働者の組織は、さまざまなかたちで抵抗者のための基金をつくろうとしてきた。だいたいこういう理屈だった。フランスには20万人のミリタン〔戦闘的活動家〕がいて、週に1スー組合に寄付できる。みんながそうしたら、月に4万フラン、年に50万フラン、十年で500万フランになる……とね。とらぬたぬきのかわざんよう、てやつだ。なんでみんなこんなにしょっちゅうストするんだろうか? 給料あげるためだろう。給料がほしくない労働組合なんてあるかい? ないだろう?……ということは、どこかに、経営者にたいする闘いをささえるための充実した基金があったとしても、一定数以上の労働組合が、いまのところは考えてもいないストライキをすることになったら、スト参加者は全員が、自分がこのさき40週間節約して入金する金額を毎日うけとるわけだ。じゃあ、基金はあっというまにからっぽになることは目にみえてる。」

労働者その4 「ストを規制して、深刻な理由があるストだけをささえて、ほかのストは全体的な連帯をよびかけるだけにする、ていうのはどうだろうか。」

労働者その2 「つまり、ストが正当なものかそうでないかを宣告する、ほんものの労働省を設立するってことだね……。『省』ということばをつかうのは、おおげさに言っているんじゃないよ。ストの正当性や非正当性を決定するためには、まず、労働条件についてだけじゃなく、生存条件についての、まだだれもとったことがない統計をとらなければならない。だけど、原料価格だけじゃなく、すべての物資の値段が各都市でちがう。アルビの労働者がうけとる5フランは、マルセイユの労働者がうけとる5フランとおなじ価値だろうか? サン=ナゼールの炭をつかうオルレアンのかじ屋の親方は、アルザスやベッセージュやサン=テチエンヌあたりの工場労働者よりも経費が必要だろうか? こんな統計をとって、しかもそれを半年ごとにやりなおすためには、統計学者の大部隊が必要だろうけど、そもそもそれは基金にとってたいへんな負担になるだろうね。それに、この労働省に援助をことわられたスト参加者たちは、なんて言うだろうか?『なんだって? おれたちトゥールやリヨンの労働者は、給料が不十分だって言ってるんだ。それを、おれたちのおかげで維持されてきたこの基金は、書きものをしてすごす先生がたのきまぐれで、おれたちに門前ばらいをくらわすのか……ちくしょう!こんどやつらがストの金をせびりにきたら、いっぱつおみまいしてやる!』ほかの労働者たちはというと……ぼくは同志たちのわるくちは言いたくないけど……基金を不正につかうような労働者はいないと断言できるだろうか?」

労働者その4 「失業基金をもっていた組合で起こったようなことは、じゅうぶん起こりうるだろうなあ。失業基金が、求職中のおれたちの援助をあとまわしにして、経営者やら職場監督に用立てしてたことがわかったときは、めちゃくちゃあたまにきたもんだ。」

労働者その1 「じゃあ、きみはストはダメだっていうのか?」

労働者その2 「部分的ストライキについては、そのとおりだね。すくなくとも、新聞や社会主義者の代議士の興味をひいて支持をえるだけの力をもたないようなものはダメだろう。それに、ここだけのはなし、いいかい、すべてのストは、すべてだよ、有害なんだ*3。失敗したストについては……いうまでもないだろう。成功したストについても、二つの理由で有害だ。第一に、いそぎの注文にこたえる必要があって経営者がただちに譲歩した、などのごくめずらしいケースをのぞいて、昇給の獲得は、そのためにはらわれた損失をけっしてうめあわせしないだろう。スト中の10人の労働者たちは2週間で300フランをつかう。かれらが日に25サンチームの昇給を獲得したとするね。ストまえの給料はじゅうぶんではなかったんだから、昇給でえた金額の一部は、借金、しかも闘争中にも借りつづけたはずの借金返済のためだけにつかわれるだろう。だから、失業期間を計算にいれると、家計の収支をもとにもどすためには、8・9ヶ月ぶんの労働、つまりまる一年が必要なんだ。だけど、一年ものあいだには、経営者が「犠牲」をとりかえす機会なんて、いくらでもある。そんなにいそがしくないような時期に労働時間をへらすとか、罰金を科すとか、あれこれの方法でだ。第二の理由は、うまくいったストのあとだって、労働者たちは獲得した成果の貧弱さにうんざりするので、ながい目でみると、もはや革命運動においてかれらをあてにできないようになる、ということだ。なんというすばらしい成果!」

労働者その5 「給料から1スー天引きされるだけで、しかもそれをすべての労働者が支払うというのだったらいいけどなあ!……だけど、組合費の支払いがあるだろ、かわいそうななかまたちへのカンパもある、情宣費のための寄付もある。今月は、組合費の50サンチームがあったし、福引の代金もあったし、寄席の集まりもあったし、屋根ふき職人たちはこのまえ脚を折ったあわれなやつを助けてくれと言ってきたし……しめて3フラン25サンチームの損失だ。ばかにならないよ。で、だれが払ってる? いつもおんなじさ。つまり、組合や集会に熱心に参加してるやつらだよ。ほかのやつらは……活動さぼってるうえに、結局、組合は〔不熱心な〕15人のメンバーにまじめに組合費督促しないから、そのうちに滞納者の支払い免除が可決されて、おれたちはいつもほかのやつらのために支払う15人のがわだ……。しかも、おれたちが侮辱されてるようには見えないから、だれも声をあげない……!」

労働者その1 「じゃあ何か? 経営者のやりたいほうだいをがまんしなくちゃならないってのか?」

労働者その2 「だからゼネストを準備しないといけないんだよ!」

2・3人の労働者 「そんなの、絵空事ユートピア)だ!」

労働者その2 「どうして?」

労働者その1 「部分的ストライキをたくさん組織するのだって不可能なんだから、ゼネストを組織するなんてなおさら不可能だろ*4。大衆のエゴイズムのせいで、かたく団結した百人の労働者が闘争しても勝利できないのに、ゼネストみたいな運動にすべての労働者が決起するなんて、ありえないだろ?」

労働者その2 「きみ、ゼネストのことなにもわかってないね。きみが、1892年のトゥールの大会*5マルセイユの大会*61893年のパリの大会*7、1894年のナントの大会*8に出てたなら、そんな言い方しなかっただろう。まず、『ゼネスト〔グレーヴ・ゼネラル〕』という表現はたんなる言い回しでかない。このことばをすべての労働者の運動という意味にとるなら、かりにそれが可能だとしても、実現するまでどれだけ待ってもだめだろう。」

労働者その1 「じゃあ、ゼネストはダメだ。おれは、行政権力の獲得を支持するよ。」

労働者その2 「やったらいいさ。だれも邪魔しないよ……ただね、ブルジョワたちがきみによろこんで場所をゆずってくれると思うかい? 社会主義者の議員の数が危険領域にたっして、しかもその議員たちを手なずける方法がみつからなかったとき、資本主義者どもが反撃して来ないとでも?」

労働者その1 「だけど、普通選挙で退かされるんだから、あいつらも、したがうしかないだろ。」

労働者その4 「あー! きみちょっと単純に考えすぎだね。ブルジョワたちは、財産没収のおそれでもないかぎり、選挙なんて尊重しないとおもうよ(カルモーでやつらが選挙をあつかったやりかたを「尊重」というならべつだけどね*9)。だけど、選挙がじゃまになったときは、やつらがようしゃなくそれを踏みつぶすやろうことだけは、ぜったいに確実だ。それにやつらは、いろんな選挙区でパン屋が当選してしまわないように、うまく選挙制度をこしらえている……。」

労働者その1 「そうかもしれない。だけどとにかく、議会で社会主義者が多数派になって、資本家を議会から追い出すはずだ……。」

労働者その2 「やつらにだまされなかったらの話だけど。1851年の12月2日に議会がだまされた〔ルイ=ナポレオンのクーデターのこと〕みたいに。」

労働者その1 「やつらはずるがしこすぎるんだ……。」

労働者その2 「ずるがしこすぎる、ねえ……それ、集会でぜひみんなに言ってくれよ。だけど、そんなことぼくたちはいわれなくてもわかってるだろ? ……やつらが窮地におちいったとき、警察と軍隊をじっとさせておくはずがないことは、きみもよくしってる。『血の一週間』〔パリ=コミューン弾圧のこと〕で、軍隊がどんなことをするかはわかったはずだ。警察がなにをするかは、1893年7月6日、フォリ・メリクールの街角でやつらに蹴りつけられたとき*10、肌で感じることができた。」

労働者その1 「うーん、戦闘はあるだろ。おれたちの議員は人民軍を招集するだろうし、3月18日〔パリ・コミューン蜂起の日〕がまたはじまるだろう。」

労働者その2 「5月24日〔パリ・コミューンが弾圧された日〕はつけくわえないのかい? ていうか、こんどはあのとき〔パリ・コミューン〕ほどももたないだろうね。社会主義議員先生がたを人民が議会に送りこむのは、散歩させに行くようなものさ。運動の指導者たちについては、だいたい察しがつくってもんだ。フェリックス・ピア〔社会主義者のジャーナリスト。パリ・コミューンで暴動を煽動。〕はうまく利用された。いつか、資本主義者のブルジョワ社会主義者ブルジョワがやりあうようなときがきたら、議会主義によって去勢された人民はこんなふうに考えるだろうけど、それももっともなことだ。『社会主義者の候補者たちは、自分たちが多数派になったときは、ブルジョワの財産を法のもとに没収する、ておれに断言してた。さあ、多数派になったんだから、約束を果たしてもらおう。』そうなったら社会主義者議員は人民の慎重派ぶりをあつかましくも非難するだろうけど、今日では、人民が搾取者に対してきばをむいてみせたとたんに、人民の代表者〔社会主義者議員〕たちは人民にむかってこう叫ぶのさ。『だめだだめだ、暴力はいけない、冷静に! 冷静さは力だ、冷静になったときが勝ちだ!』武装蜂起を呼びかけたら、一万人のおろかものたちがあつまるだろう。きみやぼくのようなね。そいつらは、二・三百人の警官どもによって殺されたり、ガボンギニアに送られたりしてまうだろう。警視総監がくしゃみしたら、革命扇動者たちの集団なんか、ふきとんでしまうのさ。それに、人民が──人民というのは10万人の人間のことだが──街頭に降り立ったとして、何をするんだい? バリケードをつくる? 何をつかって? 木レンガで? どこに? レピュブリック通りに? 武器はなんだい?」

労働者その1 「まじめに議論しろよ。」

労働者その2 「おやおや!……去年、ナントの大会で、ゼネストについての議論のさいちゅう、いじわるなやつらはトロワイユの代表を、〔武力〕革命〔を主張するところ〕までおいつめたんだよ*11。トロワイユの代表はとにかく革命を宿命的なものとみとめていたみたいなんだが、その代表にいじわるなやつらはきいたんだ。『そのとききみは何をするんだ?』『闘うんだ』『どうやって?』そしたらね、その代表はだまりこんでしまった。こう言いたげだった。『アナキストのやつらの質問はいつもこうだ』その代表は、あまりにゲード派だった。つまり、その質問に答えるには、あまりに慎重派すぎたんだ。」

労働者その4 「じゃあ、ゼネストってなんだよ。もしそれが平和的な運動なんだったら、たとえそれが労働者の全員一致で支持されても、何にも生み出さないだろ。もしそれも革命だというなら、それはあらゆる形の革命と同じ運命をたどるだろ。」

労働者その2 「ゼネストは平和的運動ではないよ。平和的なゼネストは、かりにそれが可能だとしても、どこにも行き着かないだろう。金の力を借りた闘争が金持ちどもを利することは明らかだし、金に勝つのは暴力〔フォルス〕しかない。労働者は、ストが長引くことにそなえて生活物資をたくわえなければ、といわれる。ばかばかしい! たくわえるのは経営者たちのほうがずっと得意じゃないか。双方ともおなじ量の生活物資のたくわえがあるとしようか。そのたくわえを使いつくしたときになにがおこるだろうか? そのばめんを想像してくれ。一方にブルジョワども、反対側に、労働者たち、どちらも飢え死にしそうだ。そのまんなかには、生産手段、つまり食うための手段がある。きみは、敵が、お皿がならんだテーブルに、消耗しきるまでおとなしくすわってると思うかい? 「空腹に聞く耳なし」だ。すぐに戦いがはじまるだろう……。でも、もう子供ではないので、ブルジョワが生産手段をゆずってくれるなんて、信じたくても信じられない。労働者たちはやつらにに何をのぞむだろうか? 全面降伏だろうか。もちろんちがう。そうなったら、血で血をあらう戦いになる。ブルジョワはいちかばちか戦闘にうってでるほうをえらぶだろうし、ゼネストは革命になるだろう。だから、労働者は手打ちをのぞむだろう。ところが、現在の経済システムにおいては、金もちたちがあたらしい搾取階級をつくりだすのに10年とかからないだろうし、そうして歴史はくりかえしになるはずだ。そうなると、消化不良の時代の到来だ。ヴィシーやコントルゼヴィルの水でも、間歇的(かんけつてき)におこるストをのみくだすことはできないだろう。というわけで、はっきりいうけど、ゼネストは革命だ。でも、どんな革命だろうか? そこがむずかしいところだ。かつて、ある朝、愛国主義とか、普通選挙とか、そのほかのどうでもいいことのために、2・3人のぬけめのないやつら(こいつらは失敗したばあいの逃げみちはちゃんと確保してある)の呼びかけに応じて、2・3の都市で、2万人が銃をとり、街頭におりたち、しき石をはがし、二輪馬車をひっくりかえし、銃撃戦にそなえたもんだ。それにたいして政府は、平静をたもっている近隣の都市から、3・4万の兵士と多数の砲兵隊、それに工兵の一部を呼びよせ、そいつらぜんぶをバリケードに突撃させたわけだ。戦いは、軍隊にとってたしかに困難なものだった。というのも、蜂起者のがわは兵士たちとおなじ兵器をもっていたし、兵士たちは市街戦になれてなかったからだ。……だけど、けっきょくは、蜂起はいつもおしつぶされた。限定された空間に集中していた蜂起は、数の力で圧倒することが簡単だったからだ。今日では、そうした革命にたいしては、政府はもっと優勢だろう*12。蜂起者のがわには兵器がないのにたいして、兵士のがわには何百メートルかわからないほど遠くからオーク材の板をうちぬくどえらい武器がある。蜂起者のがわには、たくさんのちいさな路地はもうないし、また、幅30メートルで長さ3000メートルの大通りにかこまれた四辺形の島状の一角で、なかに路地がいり組んでる、そういった場所ももうない。それに、バリケードをつくるためのしき石、ノルウェーふうのしき石ももうない。つまり、兵士のがわには、不案内な土地での戦闘展開からおこる困難(しかもそれは工兵の工作によってすでにある程度克服されてたんだが)は、なくなったということだ。だが、ゼネストによる革命は、そういうのとはぜんぜんちがうんだ!」
↓ブルボン宮(国民議会)と、注12に出てくるアーティチョーク

労働者その3 「わからないなあ……。」

労働者その2 「蜂起ではないかもしれないけど、蜂起のいっぽ手前、という状況が、同時にいたるところに生まれるんだ。それはつまり、政府が守備隊を出動させられない、ということだ。古典的な革命のばあい、3万人の蜂起者にたいして、必要とあらば周囲39キロメートルの空間のなかをうごきまわる10万、15万、20万の兵士が対峙するよね。ゼネストの場合、ここでは20万の労働者が1万の兵士と対峙し、あそこでは1万の労働者が500の兵士と対峙し、また、ドカズヴィルやトリニャックといった町では、1000から1200の労働者が、憲兵の1小隊と対峙する、というふうになる。ちがいがわかるかい? スト側はなんでもできるってことだ! 輸送の停止、街灯の中止、大都市への食料供給の中止……。」

労働者その1 「たしかに、そこは気がつかなかった。いままでの革命にくらべてすぐれている点があるかもしれない。だけど、もっと進歩した武器を手に入れたら、パリの守備隊だけでは蜂起者をけちらすことはできないのじゃないか?」

労働者その2 「そうだね。蜂起者が2・3の中心で群になればね。だけど、それはまさに避けないといけないことだし、すべてをうしなってしまわないために、スト参加者たちが避けるだろうことだ。スト参加者たちはそれぞれ自分の地区にとどまり、そこで、生産手段を占拠する。最初はちいさな作業場やパン屋を占拠し、ついでもっと重要な作業場、そしてさいごに、勝利したあとにのみ、大きな工場を占拠するだろう。この場合、つぎの二つのうちどちらかだ。政府が、兵力を地区の数にあわせて分割する場合。その場合、兵士の大群が一にぎりの蜂起者をふみつぶすのではなく、蜂起者の大群が一にぎりの兵士をふみつぶすことになるだろう。あるいは、政府が、散発的なデモの発生や、さらにはデモ参加者たちの軽率な行動がおこるのを待ち受けながら、彼らに襲いかからせるための軍隊を兵舎にとどめておく場合。だけど、もしそうした地方あるいは中央のデモがおこらなかったとしたら、あるいは、各工場を占拠するのが少人数のグループだけだったら、したがって、敵があまりにも分散しとらえどころがなかったとしたら、部隊はくぎづけになるだろうし、そうなると政府はどれぐらいの期間補給をつづけられるだろうか?」

労働者その1 「3ヶ月てとこだろうね」

労働者その2 「2週間ももたないだろう……。軍の経理部はきまえがいいかいらね……。ついでに、ゼネストのもうひとつの長点をおしえよう。それは、ゼネストがとくに、権威主義的なあるいは政権奪取をめざす社会主義者を失望させるということだ。」

労働者その4 「つまりゼネストはどこにもあり、どこにもない*13のだし、生産手段の奪取は、地区ごと、街路ごと、建物ごとにおこなわれる。もはや、『蜂起者の政府』や『プロレタリアート独裁』をうちたてる必要はない。暴動に『震源』はもはやなく、レジスタンスに中心はもはやない。それぞれのパン工場には、パン焼き工のグループの、それぞれの錠前工場には錠前工のグループの自由な連合〔アソシアシオン〕がある。ひとことで言えば、自由な生産があるってことか。」

労働者その1 「そうだな、そうなったらいいさ……。だけど、そんな条件なら、ゼネストは、絵に描いたもちじゃないか? そのゼネストをするように、労働者にどうやって決心させるんだ?」

労働者その2 「きみが行政権力の獲得のことを話してたとき、そのことを言いたかったんだ。革命ストライキのためには、仕立て屋や売り子たちの協力は必要ない、ということは明らかだ。(時間がかぎられていてストライキが全体化しない場合)主要目標は、輸送の停止、つまり軍隊を足止めすること、燃料不足にして大工場を停止に追い込むこと、軍隊への補給を不可能にすること、だ*14。つぎに、すくなくとも何日間かは、そしてとくにパリでは、ガスや電気を動力とする機械の停止……。」

労働者その3 「坑夫たちは?」

労働者その2 「坑夫たちは運動の成功のたすけにはなるだろう。でも、坑夫たちのゼネストだけが可能で効果的なものだ、と主張するもののウソをまかりとおしたらダメだ。彼らは、ゼネストに全面的に敵対しているようにみせずに、しかも同時に、自分たちが指揮する運動を利用して失われた威信をとりもどそうとして、そんなことを言うんだ*15。鉄道をおもいどおりにつかうことで、資本家たちは外国から石炭を輸入するだろう。産業を通常に機能させるには不足だろうが、すくなくともストライキを混乱させ、ストやぶりをひきおこし、不和をあおり……そうして反抗者たちを消耗させるに充分な量のね。」

労働者その1 「じゃあきみは、それだけ限界があるっていうのに、ゼネストは、鉄道、炭鉱、ガス工場のすべての労働者をひきつけると思ってるのか?」

労働者その2 「ぜんぜんちがう。ぼくたちは5万、3万、いやおそらく2万人の鉄道労働者も獲得できないだろう。」

労働者その1 「じゃあどうするんだ?」

労働者その2 「百年前から資本主義者の政治経済に教えられてきた教訓を使うんだよ。分業は、ブルジョアたちの富と力の源泉だった。しかしそれは現在の社会体制を終わらせるための道具となるんだ。パリには5万機のガス・エンジンがある。ガス労働者たちが仕事を止めると、都市は、照明がうばわれるだけではなく、5万機のエンジンが停止し、それに直接間接に関係するトータルで20万人の職業に影響がおよぶんだ。ある分岐駅、たとえばトゥール駅のポイントが機能停止すると、オルレアン支線、ボルドー支線、そして国鉄本線が同時に停止する。西部鉄道会社の社長が何ヶ月かまえに言ったことをおぼえているかい? 『われわれの路線網のたった一区間が停止したら、たった一区間ですよ、おわかりですか? わたしは、ただちに路線網全体を停止させます。安全確保が可能だとは思えないので……。』分業は、すばらしい武器だった……資本家階級にとって。しかしそれは、〔彼らにとって〕不幸にももろ刃のつるぎだったのさ。これほど長いあいだ、労働者の搾取のために役立ってきたあとではあるんだけど、分業は、資本家たちを排除するために役だってくれるんだよ。

労働者その4 「きみは、ゼネストがいったんはじまると、分業の効果によってかならず全体にひろがっていく、という話をしてくれた。それには反論のよちはないだろう。その例はほかの労働組合、たとえばぼくたちの労働組合にあてはめることもできるだろうね。ぼくたちのところでは、機械工がストにはいったら、フライス盤〔金属に穴をあける機械〕、平削り盤、そのほかさまざまな機械が動かなくなる。だけど、きみが言わなかったこと、それは、このゼネストを決定する方法のことだ。分業のちからをかりたとしても、通常の革命をおこなうために必要な蜂起者の人数以上に、スト参加者が必要となるのはたしかだ。だとすると、今日では、ミリタンじしんが古典的戦闘に参加することをためらっているというのに、ようするにあたらしい革命の形でしかないひとつの運動にたいして、どうやって、ミリタンたち以上の人数をひきずりこむんだい? たしかに、戦略はいい。25年前の戦略より百倍いい。でもけっきょく、まだ仮定のはなしでしかない。同志たちはこう言うだろう。『よし、すすめてくれ。実例を示してくれないか。』とね。そして、虐殺されてしまうという以外のことを例示するためには、きみたちはあまりに少数派だ。だから、ゼネストは、つねに可能でありながら、決して行われないだろうさ。」

労働者その2 「じっさい、そこが問題の核心だ。ぼくの信念はこうだ。しだいに、労働者は〈政治〉*16に無関心になっている。組合でおこなわれている、三年前と今日の議論のちがいに注意してくれ。かつては、選挙や、選挙戦術や、『反動勢力や宗教右翼』に対抗する戦略や同盟、などなどが関心のまとだった。ぼくたちに苦しみをわすれさせるために、こんなことが言われてきた。『たえるんだ! 改革のときはやってくる。ちょっとのあいだ、台頭しつつある反動、反抗する教会を倒すために力をかしてほしい。共和国をたすけ、坊主どもをけちらせ。』ぼくたち、あわれなおひとよしは、山ほどいるペテン師どもに肩をかすが、そのあいだに、このペテン師たちは反動どもにそっと耳うちしているのだ。『アカどもをやっつけるために手をかしてくれませんか。あとの手はずはよろしく。』今は、そんなことはもうないんだ。ぼくたちは、解放されること、自由になることをのぞんでいるが、革命をすること、急進共和党のポールを社会党のピエールにすげかえるために危険に身をさらすことをのぞんではいない。ぼくたちは、ポールの横暴がどんなものであるか知っているが、ピエールの横暴がどんなものとなるかは知らないだろう? ぼくたちは、ぼくたちの組合や労働取引所を広め、強めてきた。またそこで、それらが革命のためのすばらしい手段となりうることを学んできた。生活は次第に困難なものとなっている。まずいラタトゥイユ、輪切りのソーセージ、粗悪なワイン、これがぼくたちが食べているものだ。そしてこの困難は毎日増大している。この25年で、労働者の収入と支出の差が6パーセントもちぢまったということをよく考えてくれ。それで?……ときどき、蜂起の気運が高まる。でもどうやって? 銃によって? そんなにバカじゃない。ストによってだ。そしてこのストというのは、どんなばあいでも死を覚悟した闘争にはならないだけに、より容易におこなわれる。成功したら、上々。失敗したら……まあいいさ! またやりなおし、もうちょっとがんばる、てだけだ。ストがこれほどくりかえしおこなわれるのは、ストのこの平和的性格のおかげだ。だが一方で、ストがあまりためらわれないことによって、しだいに、労働の停止の全体化〔ゼネスト化〕がくちにされるようになっていく。おとなしいストがちっとも成功しない、ということがわかってくるからだ。さて! 重要だが、ひじょうに平和的におこなわれるストがはじまったとしよう。資本のがわの執拗な抵抗があり、なんらかのトラブル、おそらく銃撃がおこったとしよう。怒りがいたるところに広がっていく。おなじ地方の労働組合がさいしょのストをひきついでいき、その産業は、ゼネストに好意的な労働組合を獲得していく。こうして、いつのまにか、大衆は渦に巻きこまれていく…。また、政府の暴力が、いくつかの職業における組合の自由にたいしておそいかかったとしよう。きみがのぞむあらゆること、経済的な性格をもったことがらが、ゼネストにとっての多くの切り札となるとしよう。でもぼくは、いま話したような思いがけない事態がないかぎり、ゼネストは労働者というよりむしろ政府からやってくるだろうと思っているけどね。しかし、原因が何であろうと、ゼネストがいったんはじまったら、もう誰にも止められない。それは確実なんだ。」

労働者その4 「よくわかったけど、だとするとそのゼネストを組織する必要はまったくないってことにならないか?」

労働者その2 「ゼネストを組織するだって! ばかばかしい……。ことがあればいつでも労働を停止できるように労働者たちを組織する? よろしい。新聞、パンフレット、集会、あらゆる有効なプロパガンダをやる? けっこう。そして、生活物資の配給窓口や、巨大なレジスタンス金庫を空想するのかい? ……ゼネストは、はっきりとした結果、つまり成功か失敗か、を出すまで、一週間もつづかないんだよ。けっきょく、スト参加者が最強で、生活に必要なだけ以上のものがいたるところにあるのか、またはかれらが最弱で、はじめから政府がようしゃなくかれらのわずかなたくわえを没収するか、どちらかなんだ。」

労働者その4 「だけど、この問題にかんしてみんながきみみたいに考えるわけじゃない。ゼネストについてフランスで書かれたさいしょの報告は、たしか、創造力にみちているだけでなく、経理部をモデルにつくられた、日常の生活物資や予備の生活物資の配給サービスが充実しているような協同組合が必要だ、としていたぜ。*17

労働者その2 「その報告の著者ではないが、やはり、生活物資配給の組織は可能だと考えている人がいたな。しかし、そうした考えがまちがっていることはまえからわかりきったことだよ。というのも、運動のさいしょから、また組織がかためられるまえから、スト参加者は、貯蔵された食品を押収するために資本家たちと必ず一戦まじえなければならない、という危険にさらされるからさ。」

労働者その1 「そりゃそうだ。」

労働者その2 「ぼくたちがゼネストを採用する理由はなんだい? それは、さっきぼくが言ったように、軍隊との本格的な戦闘を避けること、兵士たちと対面しながら、その動きをとめ、士気をそぐこと、かつてのような局地的革命や集団的蜂起ではなく、どこにもありどこにもないような革命、体と体のぶつかりあいではないような革命をすること、そうしたことの必要だ。ところで、生活物資配給センター(または協同組合など)は軍隊が投入される標的となり、さいしょからスト参加者はその防衛のためにかけつけて緊密な一群となるので、おびただしい血がながれるだろうし、48時間以内にぼくたちは敗れるだろう。もういちどくりかえすけど、ゼネストは〈標的以上〉なんだ。いいかえれば、あまりに標的の数がおおくて(とつぜん飛び立ったカモの群れにでくわした猟師のように)射撃手が銃の照準をあわせられない、という状態なんだ。」

労働者その1すこし考えたあと)「なるほど、そういう理屈ってわけか。もっとはやく気がつけばよかったな。スト参加者を分散させることは、結果として、軍隊の無能力化、兵士のいらだち、ついで士気喪失、指揮官の仕事放棄、資本のパニック、スト参加者の5から10人程度の小グループによる各通りの作業所の獲得、などにつながるわけか。そりゃたしかに新しい戦略だ……なるほど、びっくりしたよ……だが……そうだ、まだふたつの重要な反論があるぞ。」

労働者その2 「ひとつめはなんだい?」

労働者その1 「もし、ゼネストがはじまったときに政府が鉄道労働者を動員したら、同志たちのなかでどれぐらいが、けっきょくは軍務となってしまう労働を拒否できるだろうか?」

労働者その2 「それはたしかに重要な反論だね。だが、反論しかえせないいこともない。いいかい、動員令が出されても、鉄道労働者たちのなかで、解放にむけた共同作業にくわわることをかたく決意したものたちを止めることはできない。というのも、動員されようがされまいが、革命に参加するものは、あらかじめ命をささげなければならないということをよくわかっているからだ。叛徒のがわに寝がえる兵士は、けっきょく、武器を手にもった労働者とおなじように罰せられる。どちらも銃殺されるのだ。だから、決意がかたいものたちは、軍の召集令状なんて気にもとめないのさ。ほかのものたちについていえば、革命ではなくてゼネストをやりたいものたちは、ストが失敗におわったとき、軍法会議にかけられることをさけるためのとてもかんたんな手段をもっている。」

労働者その1 「ほう、なんだいそれは?」

労働者その2 「それはね……もっと近よって……わかったかい?」

全員 「なるほど〜〜」

労働者その2 「さあ、ふたつめの反論をおしえてくれよ」

労働者その1 「ゼネストが革命になるはずだ、というのはわかった。だが、一国単位の革命ははたして持続するのだろうか? 運動が成功し、労働者たちが生産手段を奪取し、社会機構をみずから稼動させるようになったとしよう。しかし、隣国の諸政府が、自分たちの『奴隷』たちにとってこれほどおぞましい前例となるものがそばにあることを、長くほうっておくと思うかい?」

労働者その2 「べつの質問をだすことできみの質問にこたえてもいいかい?……いい?……よし。きみは、政治権力獲得の賛成派だったね。それが成功したとしよう。きみの友人たちが、ブルジョアの要塞ですべての席を占領し、資本家どもの財産を収用し、集産主義国家をつくりあげたのちに、あらゆる生産手段を国有化したとしよう。しかし、隣国の諸政府が、自分たちの『奴隷』たちにとってこれほどおぞましい前例となるものがそばにあることを、長くほうっておくと思うかい?」

労働者その3 「うまい答えかただ。」

労働者その1 「いいや。その第二の質問が、権力奪取による社会革命の弱点をあばきだすとしても、だからといってゼネストによる社会革命の弱点がなくなるわけじゃまったくないじゃないか。」

労働者その2 「きみが言うことももっともだ。でもぼくは、さっき言った第一の点をあきらかにするためだけにその質問を出したんじゃないんだ。革命家は、ゼネストによって革命と敵対するようなことをしてはならない。そのときかれがつかう理屈が、あらゆる形態の革命にあてはまったとしても、そんな理屈を使うものにはかならず報いがあるよ。きみの反論がもとめているほんとうのこたえは、こうさ。ヨーロッパのあらゆる国で、革命の発生数はすごい勢いで増える。たとえばドイツでは(うたがいなくぼくたちはこの国の政府をとくに警戒しなければならない)何人の社会主義者が、かれらのところの皇帝をこづきあげようとてぐすね引いているだろうか。イタリアでは? スペインでは? ロシアでは? さて、ぼくたちのしめす〔ゼネストという〕実例は、外国の同志たちをあまり刺激しないといえるだろうか? またきみは、ぼくたちがあたらしい組織を強固にするために必要な期間に、隣国の皇帝が、自国民をじゅうぶんにおさえつけておけるとおもうのかい?」

労働者その1 「ぼくはもうなにも言わないよ。」

労働者その2 「じゃあぼくが結論をだそう。ゼネストが不可能であるとしよう。だったら、ゼネストと敵対するのはおろかなことだということになる。というのも、ゼネストをわざわざ攻撃して強化してやらなくても、黙っていればそれは破壊されてしまうだろうから。堤防をつくって急流に対立しようとすることは、むしろ急流が大災害をおこす能力を増やすことだ。反対に、川床をひろげて川を大きくすることは、むしろ川を無害なものにすることであり、小川のようなものにすることだ。それはゼネストにとってもおなじなのさ。あるいは、ゼネストが可能であるとしよう。だったら、ゼネストは独裁体制を滅亡させるものなのだから、ゼネストと敵対するのは罪びとであることになる。ぼくは言うことを言ったよ。さあ、グラスをとって、どうやって経営者をしめあげてやるか考えようじゃないか。」
訳:ながのじゅん(永野潤)2010年

*1:すくなくとも、マクシム・ルロアは『労働者の慣習』(La Coutume ouvrière (p. 501, note 4)のなかでこの見方を示している。これにかんして、この文書の共同署名者であるアンリ・ジラールHenri Girardという名前はわれわれにつぎのことを思いおこさせる。すなわち、モーリス・ドマンジェMaurice Dommanget(『フランス労働騎士団』La Chevalerie du Travail française)とロベール・ブレシーRobert Brécy(『フランスにおけるゼネラル・ストライキ』La Grève génèrale en France)が立証したように、アルマーヌ派〔アルマニスト〕の傾向があったこのサンディカリストは、さまざまな偽名をつかって、パリ警視庁への密告者を熱心にやっていたのである。1895年11月16日──つまり発売の数日前──アルマーヌの出版局が編集したこのパンフレットの情報を彼が警察庁に知らせたのは、ブーダンという名前によってだった。[編者注]

*2:アルマーヌ派のリーダーだった元パリ・コミューン闘士の印刷工[訳注]

*3:パリ・コミューン後に組織されたフランスの組合運動が、全体としてはストライキの実践に反対していた──さらにいえばプルードン自身もそうだったのだが──ということをおもいおこすのはおそらく無駄ではないだろう。ストライキは「経営者にとっては高くつき、労働者にとっては命とり」とみなされていたのだ。ミシェル・ペローMichelle Perrotによれば、「ストライキをおもて舞台に登場させ、満天下にしらしめたのは……1878〜1880年の社会的勃興期であった。」(『ストライキの青年期』(Jeunesse de la grève, p. 61))/部分的ストライキにたいする不信は、ユージェーヌ・ヴァルランEugène Varlinをはじめとする第一インターナショナルの多くのメンバーによってすでに表明されていた。ヴァルランは、部分的ストライキを「労働者がその中で無限に回転しつづける悪循環」とみなしていた(J・ギョーム『インターナショナル』参照(Cf. James Guillaume, L’Internationale, t. I, p. 241))。ジュネーヴ大会(1873年)において、ベルギー代表は、「部分的ストライキはさんざんいたましい結果をもたらし、その失敗はおおくの労働組合を落胆させ押しつぶしたが、ゼネラル・ストライキはそれをやめさせる」とし、「ゼネラル・ストライキプロパガンダにとってそれほど効果的な事実はない」と表明した(J・ギョーム、前掲書(J. Guillaume, op. cit., t. III, p. 81))。[編者注]

*4:この発言はペルーティエによってつくりだされたものではなく、ボルドー労働取引所の書記だったゲード派のエミール・ノエルÉmile Noëlによる、ナント大会での発言を引用したものである。それにさきだつ発言においては、つぎのような言葉で、ゼネストの理念にたいする公然たる反対が表明されている。「われわれは、ゼネラル・ストライキは敵の笑いものとなるもっとも象徴的な行為だと考える。じっさい、部分的ストライキを維持することもできないわれわれが、いったいぜんたいどうやって、ゼネラル・ストライキをおこなうなどという野望をいだくことができるだろうか?」(アンドレ・ソーリエールAndré Saulière『ゼネラル・ストライキ』(La Grève générale, p. 112))[編者注]

*5:社会主義者の地方大会。ペルーティエはサン=ナゼールとナントの労働取引所の代表として参加し、ゼネストを提唱。[訳注]

*6:労働党(ゲード派)系の全国労働組合連盟主催の第5回労働組合大会。ブリアンがゼネスト提案をおこない、可決される。(喜安38ページ)[訳注]

*7:サンディカリスト系の労働取引所連盟主催で開かれた第一回の労働組合大会。ゼネスト原則が決議された。

*8:サンディカリスト系の労働取引所連盟と、労働党(ゲード派)系の全国労働組合連盟の合同開催の労働組合大会。ゼネスト原則が可決され、ゲード派は会場から退場した。[訳注]

*9:1892年、南仏カルモーで、炭鉱労働組合の指導者カルヴィニャックCalvignacがカルモー市の市長に当選したが、炭鉱会社はこれを理由として彼を解雇した。これに抗議して、炭鉱では80日間にわたる大ストライキが展開された。これは普通選挙の原則を侵すものとして政治問題となり、世論に労働問題の重要性をあらためて認識させた。(喜安46ページ)[訳注]

*10:1893年7月6日、政府は、1884年労働組合法を認めない労働組合が存在することを理由に、パリの労働取引所を閉鎖するという挙に出た。7月3日から5日にかけて、労働者は労働取引所にたてこもり、軍隊を出動させた政府との間に衝突が起こった(喜安93ページ)。[訳注]

*11:ゲード派のエティエンヌ・ペドロンEtienne Pédronのことである。かれは、1894年のナント大会で、とくにブリアンBriandとペルーティエの呼びかけによって採決されたゼネストの決議に反対した少数派に属していた。[編者注]

*12:ペルーティエは、ディジョンのアルマーヌ派の新聞『アヴニール・ソシアル』l’Avenir socialの記事で、まさにこの議論を提示していた。1893年11月9日号で、かれはこう書いている。「街頭での戦争、バリケード、銃撃戦、これらすべてはもはや歴史的なおあそびでしかない。古典的革命家のお気には召さないだろうが、内戦は、軍の技師たちがシャスポ銃をレベル銃と無煙火薬におきかえた日以来、不可能になった。」またもっとあとで、ふたたび蜂起を──理論的に──擁護する声がフランス労働党のリーダーたちからあがったのを聞いたとき、かれはこう明言した。「ゲードが、プロレタリアート少数派のたすけをかりた資本主義世界の破壊について語ったとき、プロレタリアートたちは、かれがブルボン宮〔国民議会議事堂〕のアーティチョーク〔民衆の侵入をふせぐための鉄格子の先端についているアーティチョークのつぼみ型の鉄の突起〕にむかって突撃させるには十分な数ではあったものの、ゲードは、この十五年間に殺人技術がいかに進歩したかということをすっかりわすれてしまっていたのだ。」[編者注]

*13:ペルーティエのこのパンフレットのなかで、もっとも知られ、もっともしばしば引用されたフレーズである。『暴力論』の第七章(「生産者の道徳」)において、ソレルはこのフレーズについてのつぎのような注釈を書いている。「……ゼネストに心をうばわれた労働者の集団(……)は、じっさい、個人主義的とも形容できるような巨大な蜂起としての革命を思いえがく。各人は、可能なかぎりの熱意をもち、自分の責任ではたらき、じぶんの行動を、あたまでっかちにつくられたおおまかな計画に従属させたりしない。プロレタリア・ゼネストのこの性格はなんども指摘されてきたが、それはいじきたない革命屋たちをおびえさせずにはいなかった。というのもかれらは、そのようなしかたで革命がおこなわれると、かれらが政権をとるチャンスがまったくなくなってしまうということを完全に理解していたからである。/だれもがその点にかんしてもっともぬけめのない男とみとめるだろうジョレスは、かれを脅かす危険について非常によくわかっていた。かれは、生活をバラバラにし、それゆえ革命に逆行しているからと、ゼネストの支持者を非難した。」(『暴力論』(Réflexions sur la violence, Le Seuil, p. 245))〔岩波文庫、下、185-6ページ〕[編者注]

*14:ここで問題となっているのは、1894年のナントでの労働組合の大会で、またすでにそのまえから『アヴニール・ソシアル』誌(上で引用した論文参照)で提出された、ペルーティエにとって重要な論点である。そこでかれは、ゼネラル・ストライキ grève généraleとトータル・ストライキgrève totaleを混同しないことが重要だと言っている。かれがめざしているゼネラル・ストライキは、「大都市への補給をさまたげ、指導者たちにパニックをおこし、社会主義者が国家権力を奪取しそれを廃止できるようにするために十分なだけの、運輸産業と食品産業の労働者の数」だけが問題なのである。[編者注]

*15:ペルーティエはここで、1890年にリールのゲード派大会の最後に採択された、坑夫のストライキについての決議にたいして答えている。この決議のなかで、ゲード派は、「ほんらいの意味でのゼネラル・ストライキ、すなわち、さまざまな組合の労働者全員による労働の計画的かつ同時的な拒否は、それが成功するために、社会主義者の精神と労働者の組織をもった状態を前提し要求するが、これはプロレタリアートが到達しなかった状態である。[……]この条件をみたし、空想的でも時期尚早でもないような唯一のストライキは、全国の坑夫のストライキである。」と表明した。[編者注]

*16:ここでは、普通選挙などの、直接行動に対立するものとしての「政治」のこと[訳注]

*17:フェルディナン・ペルーティエによって、サン=ナザールとナントの労働取引所名義で書かれ、トゥール大会(1892年9月3日)で採択され、1893年ディジョンの『アヴニール・ソシアル』l’Avenir social誌によって出版された報告。[著者注]