タクシーと救急車

 異様なものを見た。「救急車有料化」と大きく書かれたポスターである。「日本維新の会」と書かれているので、選挙ポスターなのだろう。「ER救命医師」とも書いてある。調べたところ、この人は今回の衆院選希望の党から出馬し、落選したようだ。一方で、最近よく「救急車はタクシーではありません」という、消防庁の?ポスターを見かける。言うまでもなく、この二つのポスターが発しているメッセージは同じ方向を向いている。しかし、考えてみるとどうもおかしい。というか、「救急車はタクシーではありません」という言葉は、「救急車有料化」などという世迷言を言うこのような人物に向けてこそ、言われるべき言葉ではないだろうか? だって、救急車が有料なんて普通に考えておかしいでしょ? タクシーじゃあるまいし!
 で、「救急車をタクシー代わりに使う人がいるおかげで、本当に救急車を必要としている人が助からなくなる」という例のお話、「不正な〇〇がいるおかげで、本当に困っている××が迷惑している」系のお話の一バリエーションなわけだが(〇〇には「生活保護不正受給者」「偽装難民」などが入る)、ちょっと検索してみると、「救急車を通院のために何度も呼ぶ不届きものがいる」というような話が出てくる。まあ「救急」でもないのに救急車を使うな、ということなのだろうが、行先は病院なのであるから、程度の差はあれ病人なのではないだろうか? ディズニーランドや観光に行くのに救急車を使っているわけではない。で、「救急車はタクシーではありません」というメッセージは、「そんな用途はタクシーを使え」ということを含意しているわけだが、はたして、通院に毎回タクシーを使える人というのはどれぐらいいるのだろうか? ここからは、私の推測ではあるのだが、自家用車もなく、徒歩や公共交通機関も使えない、かといってタクシー代も払えない、という人が、やむなく通院に救急車を呼んでいる、というケースも当然あるのではないか?
 ところで、私のNHS(イギリスの国民保険サービス)についての知識は、10年前のマイケル・ムーア監督の映画『シッコ』由来の乏しいものでしかないが、あの映画で印象的なシーンがある。NHS運営の国営病院では、治療費は一切かからないので、経理課などの部署がない。信じられないムーアが病院中を探し回るが、「会計Cashier」と書かれた場所を見つける。患者はここで治療費を払うんだ、と思ったらそうではなかった。イギリスの国営病院では、収入が基準額以下の患者の場合、病院に来るまでかかった交通費が支払われるのである。「会計」はお金が入っていく場所ではなく、出ていく場所だったのだ。
 『シッコ』では、その後、雲泥の差のアメリカの状況が描かれる。アメリカでは、治療費が払えない患者を、病院がタクシーで貧困者の支援センターの前まで連れて行き、置き去りにすることがしばしばあるのだという。というか、それはタクシー使うんだ?! いやいや、そんなことにタクシーを使うなよ! 「タクシーは灰色のバス*1ではありません」とでも言いたくなる。「救急車有料化」を訴える件の候補者の理想はこんな社会なんですかね?

「不正な〇〇がいるおかげで、本当に困っている××が迷惑している」系の話についての過去記事

シッコ(字幕版)

シッコ(字幕版)

*1:ナチスが障害者をガス室に連れて行くために使ったバス。