ため池と豆腐と花火と

 ため池の危険性について水難事故の専門家が警告する記事を読んだ*1

 それで思い出したが、わたしは、甲府市に住んでいた小学生のころ、近所のお寺のため池に落ちたことがある。友人と二人で寺に遊びに行って(たぶんザリガニとり)、どういうきっかけだったかは忘れたが池に落ちた。この記事を読むかぎり、このとき私は実はけっこう「死」の近くにいた、のかもしれない*2

 わたしが落ちたのは、市の中心部から離れた山のふもとの寺*3にある池で、その時まわりには友人の他誰もいなかった。小さな池だったが、周囲には植物が生い茂り、水も濁っていたと思う。私は、必死でもがいて、自力で這い上がることができたのだが、その間友人はゲラゲラ笑っていた。池から上がったあと、私は本気で怒って、友人はしゅんとなって「ごめん」とか言っていたような気がする。だが、なにしろ40年以上前のことなので記憶はあいまいである。

 そのあと、家に帰ろうとびしょ濡れで歩いていたときに、豆腐屋のおじさんと出会った。寂しげな音のラッパを鳴らして自転車で豆腐を売り歩く、あの昔ながらの豆腐屋さんである。びしょ濡れの私を見ておじさんは声をかけてくれた。どういう言葉をかけられたかまではおぼえていないのだが、「ぼう、どうしただ」とかそんな感じだったのだろうと思う。ちなみに「ぼう」とは、甲州弁で「坊主」のような意味で、男児に呼びかけるときに使う言葉である。

 豆腐屋のおじさんは、黒縁メガネの片方のレンズの内側に白い眼帯をしていた。兼業で花火師もしていたのだが、花火の事故のせいで眼帯をしている、と(たぶん親から)聞いていた。それでまた思い出したのだが、当時、学校の運動会や遠足が雨天決行かどうかは、朝、学校の校庭で打ち上がられる花火の音で知らされることになっていた。メールもスマホもない時代のことである。しかし、それにしても今思えばずいぶん原始的だ。そうした合図の花火も、豆腐屋でもあるそのおじさんが打ち上げていると聞いていた。運動会や遠足の日の早朝、かすかに聞こえるドン、ドン、という乾いた花火の音、今でもおぼえている。

 豆腐屋でもあり花火師でもあるおじさんは、フレンドリーという感じでもなく、どちらかというと近寄りがたい雰囲気があったような気がするのだが、とにかくその時声をかけられたのはおぼえている。そのあとどうなったのかはまったくおぼえていない。また、おじさんと話したのもその一度きりだったと思う。

 さて、この話にとくに落ちはないのだが(最初から落ちている話なのだが……)もう一つおぼえていることがあって、それは、池に落ちたしばらく後に、山梨の風土病である日本住血吸虫症の検査を受けたことである。この病気を引き起こす寄生虫は、ミヤイリガイという貝を中間宿主としてため池などに生息しており、人間を含む動物が水に入ったとき、皮膚から侵入して感染するのである。古くから甲府盆地で流行していたこの病気は、1970年代にはすでにだいぶ下火になっていはいたようだが、両親が心配して私に検査を受けさせたのだと思う。結果は陰性だったが、これも、今思えば、検査を受けておいてよかったと思う。ちなみに、近代に入ってからのこの病気の撲滅のための壮絶な戦いの歴史についてはこのページ(地方病 (日本住血吸虫症) - Wikipedia) に詳しい。小学校の保健室だったか、病院の待合室だったか、壁にこの病気について写真入りで説明するポスターが貼ってあった。子供心に、恐ろしいなと思って見ていたうっすらとした記憶がある。

*1:

ため池に落ちると、なぜ命を落とすのか(斎藤秀俊) - 個人 - Yahoo!ニュース「とにかく、ため池には近づかないこと。これにつきます。ため池は構造上、人が入ることを想定していません。一度滑って落ちれば、這い上がることができない構造になっていると考えてください。」とのことだ

*2:後記:こんな風に書きましたが、恥ずかしながらちゃんと記事を読んでいませんでした。「漏水や斜面崩落を防ぐために、コンクリートやゴムなどで斜面が保護されているのが、一般的なため池の構造となっています」ということで、命を落とす危険があるのはそうしたタイプの新しい「ため池」で、私が落ちたお寺の池はそうした危険はなかったものと思われます。

*3:たぶん、大泉寺