適当にやりすごす

 近況報告……の予定が結局また政治ネタ(?)連発。

卒業式で『日の丸』反対記事配布
元教師宅を捜索
 東京都板橋区の都立板橋高校の卒業式で、元教師の男性(63)が都教育委員会の方針を批判する記事のコピーを配布した問題で、警視庁板橋署は二十一日、元教師が開式を遅らせた威力業務妨害の疑いがあるとして、埼玉県内の元教師宅を家宅捜索した。
 この問題で、同校と都教委は同署に被害届を出していた。
 関係者によると、三月十一日の卒業式で、元教師は都立学校の日の丸・君が代問題を掲載した、雑誌記事のコピーを保護者らに配布し、校長の制止に反して「この卒業式は異常だ」などと叫んだ。
 このため開式が約五分遅れたとされる。
 都教委は昨年十月、都立学校の式典で日の丸掲揚と君が代斉唱を義務付ける通達を出しており、一部教職員らが反発している。
 元教師は「雑誌の記事の内容を説明しただけで、式を混乱させたつもりはない」としている。
東京新聞 2004年05月21日)

 この記事を読んで、「戦前と同じ弾圧の時代に突入だ!」と驚き怒る人も多いでしょう。もちろん私もそう思います。といっても、この先生の行動を賞賛するのかと言われれば、正直言って答えに窮するのですが……。
 では、生徒や親の、この教師に対する反応はどうだったのでしょう。「ケシカラン反日的分子だ!非国民だ!」などと言う人は……もちろん少数でしょう。おそらく、大多数の生徒や親の反応は、こんなところではないでしょうか。「卒業式は生徒のものなのに、ほんとに迷惑な先生だね。君が代反対?そんなの、口パクでもなんでも、てきとうに歌っとけばいいじゃん。たかが歌なんだから。」
 多くの人が、君が代や日の丸に敬意の念を抱いているか、というと全然そんなことはないと思います。昔は祝日というと日の丸を玄関先に出している家がたくさんありましたが、今はそんなの見たことありません。カラオケで君が代を歌っている人も見たことない。つまり、みんな君が代なんてどうでもいいと思っている。そんな風潮を憂いているウヨや戦前オヤジの方々は多いでしょう。そうした焦りが、君が代日の丸強制、という時代錯誤的な動きにつながっている面もある。逆に言えば、「強制されなきゃ歌われないほど、君が代の権威が失墜している」ともいえる。というわけで、私の知り合いの中には「強制されればされるほどますますうっとおしがられて嫌われていくのだから、君が代強制の動きなど放っておけばいいのだ」と楽観視(?)している人もいます。
 が、どうも私はそこまで楽観的にもなれないのです。たしかにみんな、君が代なんて「たかが」歌、と思っているかもしれない。そこはウヨや戦前オヤジにとってはがゆいところなんだろう。が、それは逆に、どんなものでも「たかが」と思えてしまう人が多い、ということを示してもいる。てことは、どんなものでもやれと言われたらやる、という人が多いことでもある。「熱心に」やる人は、少ないかもしれない。それは、安心材料かもしれない(戦前オヤジにとっては不満材料)。しかし、「やらない人」は、圧倒的少数となり、しかもそれだけでなく、その少数者が、ヒステリックなまでに否定され、排除される。結局、圧倒的多数の人が、「そんなに嫌な顔もせずやる」。そしてこれ、まさにイラク人質の問題とリンクしているんじゃないだろうか。「ダサイことすんなよ、たかが歌なんだからどうだっていいじゃんかよ」と言う人は、君が代を「重視」しているわけではない。それどころかどっちかというとバカにしている。それと同じで、人質とその家族を非難した人々も、必ずしも自衛隊イラク派兵を「重視」しているわけではない。おそらく、実質的にはそんなに意味のあることをしているのではない、というのは分かっている人も多いだろう。ところが、いや、だからこそ、彼らはイラク派兵に反対しないのです。「いいじゃん、たかが自衛隊、たかが水くみに行くだけでしょう。アメリカがやれっていうんだったら、適当にやっとけばいいじゃん。」そして、その「たかが水くみ」に目くじらをたてて、キーキー言うダサい人たちは、たまらなく目障りなんでしょう。てわけで、昨日の日記のように「自衛隊は無駄なことやってるんだよ」なんていくら言っても、あんまり意味ないんですよね……。

 「バカなやつだよ。まったく迷惑なやつだ。適当にうなずいてりゃ会議なんて終わるのに、発言なんか初めやがって。おかげで長引いちゃったじゃねえかよ。こんなくだらない会議、適当に終わらせろっつの。今日は定時で帰って塊魂やろうとしてたのに。だいたい、ああやって会議で積極的に発言しちゃったりするようなヤツってさ、なんか目がキモいんだよな。声でかいし。ウザイっつの。」

 急いで付け加えねばならないが(<この言い方、お堅い文章でたまに見かけますが、笑っちゃいますよね)もちろん私だって、いうまでもなく「会議なんて適当にうなずいてやりすごす」派、ですよ。だからこそ、でもあるんですが、イカレ小泉をいくら非難しても空しいだけ。君が代をダラダラ歌っている人だって、コーチョー先生やキョーイク委員会が大好きなわけではない。むしろどうでもいいと思っている。だけど、そういうのにいちいちたてつくニッキョーソの先生、プロ市民のやつら、福島瑞穂とか? ああいうの、ウザイ。大嫌い。……てわけでしょう。

 だから、サヨは泥沼にはまっていくわけ。「『ケシカラン反日分子!』などと言う戦前オヤジは、ケシカラン!!」などと、声を張り上げれば張り上げるほど、ウザがられ、浮いていく。

 サヨ的な表現で、こういうのありますよね。「権力の横暴が白日の下にさらされた!」しかしこれ、権力にとって、「失敗」なのでしょうか。言い換えると、「あからさまな弾圧」というのは、弾圧のやり方としては「拙劣な」やり方なのでしょうか。一昔前まではそうだったのかもしれないですが、ひょっとして、今は逆なんじゃないでしょうか。上のニュースのような、ビラをまいただけで家宅捜索とか、逮捕とか、そういう戦前と見まごうばかりのひどい弾圧が明らかになったときに起こるのは何か。弾圧されている人への同情の声?……いや、こういう声なんじゃないですか?「ああ、あの人達って弾圧されるような人たちなんだ、ハンタイとか、トウソウとか、いっちゃうようなああいう人なんだ」
 ということは、上のようなニュースに対して、「戦前と同じ弾圧の時代に突入だ!」などと怒れば怒るほど、不利になっていく。闘えば闘うほど、負けていく。ひょっとすると、戦前オヤジは、コイズミは、イシハラは、わざと、時代錯誤的な、低レベルなウヨ言説を振りまいているのではないか?と勘ぐりたくさえなります。つまり、サヨどもに与えられた毒まんじゅうというか、撒き餌というか。
 それにしても、ほんと、しんどい時代すね。ていうかちょっと悲観しすぎ?