サルトルの演劇について(2)鈴木忠志とサルトル

 サルトルの演劇自体は、今日の目からみると、あまり前衛的とは見えず、むしろ古典的というか、オーソドックスなものに思えます。しかし、かつてはそうでもなかったようです。鈴木忠志は、『現代思想』のサルトル追悼特集に寄せた「サルトルの”ことば”」という文章で、それまでの伝統的演劇(新劇)に反旗を翻した、鈴木と同世代の演劇人(唐十郎菅孝行津野海太郎の名前が上げられています)に対するサルトルの影響の大きさを振り返っています。

(……)若い演劇人たちにこれほどの影響をあたえる思想家の出現も、もうないのではないかという気がする。
 まともに影響をうけたという点では、唐十郎がいちばんかもしれない。「状況劇場」という劇団名はシチュアシオンからきているし、第一次状況劇場の旗あげ公演は『恭々しき娼婦』で、唐は役者で出演している。(……)唐は卒論もサルトルのはずである。(……)われわれの世代でもっとも早い新劇批判の論理を展開したのは菅孝行である。(……)当時彼が学生劇団やミニコミ誌に書いていた文章は、ほとんどサルトルの論理の演劇状況への応用編といってもいいぐらいのものだったと記憶する。(『現代思想』1980.7. 116頁。)

 鈴木自身は、早稲田大学在学中一度だけサルトルの戯曲(『蝿』)を演出したことがあるそうなのですが、その時の感想をこう書いています。

 実際やってみて、大変だったことをおぼえている。俳優にとっては、それまでしゃべったことがないような観念的なセリフの連続だったからだ。特にオレストのセリフなどは、全編これ演説というか、アジテーションのようなものだった。(……)ともかくスタニスラフスキー的なリアリズム演技でいくと、どうしていいか皆目わからない形象である。どういう所作をしながら、どういう気持ちで舞台上にいたらいいのか、とっかかりがつかみにくい。逆にいえば、ただ怒って立っている以外にない、といった感じなのだ。(『現代思想』1980.7. 118頁)

 「全編演説」「アジテーション」というのは、当の鈴木や唐の演劇のことのように思えますが、それはともかく、鈴木は、そうしたサルトル演劇のセリフ(ことば)について

 こういうセリフは、俳優のからだを作者の観念や論理の道具にしてしまうもので、演劇ということからはいちばん遠い”ことば”であろう。(同)

 と言っています。にもかかわらず、サルトルの演劇は当時「多くの若者たちから支持された」と鈴木は言います。その理由を、鈴木は次のように分析します。

 演劇行為にあっても、観念や論理というものの力をいちばん大事にしなければいけないといったことを、正面きって信じようとしていた時代だったからだといえるかもしれない。(同)

 つまり、この時代は、まだ、サルトルの「ことば」を、みんな「本気に」聞いていた、ということです。しかし、そうした時代は過ぎ去ります。「演説」や「アジテーション」がベタとして「本気に」聞かれる時代ではなくなる。そうすると、そうした表現は、「違う響き」を持つようになる。そのことを、鈴木はまさにこのように言っています。

おそらく、現在の若い演劇人だったら、[サルトルの芝居の]こういうセリフはパロディのようにしていうだろうし、観客もユーモアだと思うのではないだろうか。(同)

 ところで、鈴木忠志は、1974年に岩波ホールで『トロイアの女』(サルトル脚本版ではありません)を演出しました。ヘカベは、あの白石加代子*1。鈴木は、サルトルと同じギリシア悲劇、同じ『トロイアの女』を演出し、題材という点ではサルトルを継承しているとも言えるわけですが、鈴木の演劇においては、もはやサルトルの「観念や論理」は中心的なものではない。鈴木は、サルトルのセリフが「俳優のからだを作者の観念や論理の道具にしてしまう」もの、と言っていましたが、鈴木の演劇では、逆に作者の観念や論理ではなく「俳優のからだ」こそが重視されているのではないでしょうか。
 「エウリピデスの悲劇(またベケットなど現代演劇)は、先行する演劇を継承しながらも、言葉の内容の方が本気で信じられなくなり、様式が重視されるようになった」……このようにサルトルは分析しました。それでいうと「サルトルの演劇を継承しながらも、言葉の内容の方が本気で信じられなくなり、様式が重視されるようになったものが、鈴木らの演劇だ」と言えるのではないかと(例のごとくちょっとこじつけめいていますが)思いました。

*1:そして、カサンドラは、市原悦子だったそうです。ビジョルド中嶋朋子>……>市原悦子??つながらない……。若い頃はビジョルド似だったのだろうか……。