「サルトル=おしぼり顔拭き」説

みなさんどうも。
いやあ、決して絡むわけではなく、あくまで半分冗談として書くのですが(>mojimojiさん@6日のコメント欄)やっぱりサルトルって、「実は」をつけないと、すなおに好きって言えない存在なんですよね。人文系に関わっている人間にとって素直にサルトルを評価できない雰囲気(サルトルを評価すると自分の評価が下がりそうな雰囲気)もう何十年も続いてます。たとえば、ええと、音楽で通ぶろうとする人間が素直に「尾崎豊が好き」(さだまさし etc. 何でも代入可)と言えないような感じでしょうか(尾崎さんに何の恨みもないですが)。高橋さんらに関しては、「あれ?尾崎豊なんて昔バカにしてたような気がするのに、最近何か尾崎みたいな曲やってない?」といういささか皮肉も入っているのです……。まあ、80年代後半サルトルの卒論を書いたときから「なんで今頃サルトルなんてやってるの?」と数え切れないほど言われてきた「サルトル萌え族」のひがみなので、あまり気にしないで下さい(>みなさん)。
「実は」をつけないと好きと言えないモノって、「実は自分のおならの臭いが好き」「実はメガネっこが好き」「実は喫茶店のおしぼりで顔を拭くのが好き」とかいろいろありますが……脱線しそうなのでやめておきます。あ、例に挙げたのは全部私のことぢゃないすよ。
サルトル=おしぼり顔拭き」説も面白いかもなあ。
でも、そういう「ほんとはダサいものが好き」という意味ではなく、「サルトルも、よく聞くと結構かっこいいサウンドしてるのに」と、サルトル萌え族としては言いたい面もあるんですが。(尾崎さんやさださんに何の恨みもないです。すいません)