音楽室の肖像画

 インタビューの内容も興味深いですが、本筋とはあまり関係のないところにちょっと反応してしまいました。

たとえば学校の音楽室の後ろには、バッハとかベートーヴェン肖像画が並んでますよね。
――必ずありますね。
増田 でも、美術室にゴッホピカソ肖像画なんてないでしょう。そういうのも、音楽の世界の作曲家中心主義を反映したものだし、同時に再生産しているものだと思うんです。

 たしかにそうですね。しかし、どうなんでしょうか。仮に美術室の壁に絵を飾るとしたら、ゴッホピカソの「肖像画」ではなくて、ゴッホピカソの作品そのもの(複製画)を飾るでしょうね。「ひまわり」とか、「ゲルニカ*1」とかね。だからといって、高校までの教科としての美術が作家中心主義ではないということではない。美術(美術史)の教科書とかだったら、やっぱりゴッホピカソ肖像画が載っているのではないだろうか(まあ自画像のケースも多いでしょうが)。
 楽譜を額縁に入れて飾ってもしょうがないし、音楽室に何かの「絵」を飾るとしたら、やっぱり作曲家の肖像画を飾るしかないでしょうね。もし音楽室にBGMを流すのだったら、やっぱりクラシックの「作品」を流すんじゃないでしょうかね。
 むしろ、なぜ、音楽室の壁には絵を飾るのか? ということに興味がわきますね。
 そもそも、何かの教科の名前が付いた部屋といって真っ先に思いつくのは、やはり「音楽室」と「美術室」ですよね。「算数室」とか「国語室」は無い。だけど、「理科室」「体育室」はあります。「〜室」がある教科に共通の特徴は、その教科の授業をするときなんかの道具や作業スペースが必要なこと。だから、みんなが集まってそこで授業を受けた方がいい、ということでしょう。しかし、「理科室」の壁には科学者の肖像画などかかっていない。たとえばガリレオとかアインシュタイン肖像画とかね。そういうのは、勉強をする空間である「教室」には不必要な装飾である、という暗黙の前提があるように思う。
 でも、部屋の壁に肖像画を掛けるというセンス自体はそれほど珍しくもないように思います。歴代○○の肖像がずらっと飾ってあるとか。それはその空間の「権威」を過去の「名士」の肖像画で象徴させようとする手法のように思えます。そういえばサルトルは『嘔吐』の中で、主人公が、街の名士たちの肖像画が並んだ美術館を訪れるシーンでそのことを揶揄している。
 しかし、学校空間の中でそういう一種前近代的?なセンスが残った空間って、音楽室だけだったように思う。校長室だって、もはや歴代校長の肖像なんてなかったんじゃないかな(あんまり入ったことないからわかんないけど)。
 かなり思いつきで適当に書いたのでピントはずれかもしれないけど、ちょっと面白い。

*1:今の学校でゲルニカを飾ったら、「政治的なものを教室に飾るのはどうか」なんて一部父兄や教育委員会からクレームが付きそうだね。