抵抗としての怠惰1 アフリカ脳

 1961年に出版された『地に呪われたる者』(鈴木道彦・浦野衣子訳、みすず書房)において、フランツ・ファノンはこのように言っている。

 パリあるいはエクスで、アルジェあるいは、バス=テールで、幾度われわれは見たことか、黒人の怠惰paresse と言われ、アルジェリア人の、ヴェトナム人の怠惰と言われるものに、植民地原住民 colonisé が激しく抗議する姿を。にもかかわらず、植民地体制のもとで仕事熱心な自営農民(フェラー)、休息を拒むニグロこそ、まさしく病理学的個性にすぎないということは、まるで真実に反しているのだろうか。植民地原住民の怠惰とは、植民地機構に対する意識的サボタージュだ。それは、生物学的にみればみごとな自己防衛の一方式であり、また所詮は、国全体に及ぶ占領者の支配に、一定の遅延をもたらすものなのだ。
(邦訳291-2頁)

 このように、ファノンは「抵抗」「自己防衛」としての「怠惰」について語る。「怠惰」は、植民地体制が引き起こしたもの、植民地体制に対してアルジェリア人が引き起こした当然の「反応」なのであり、逆に「勤勉」こそが「病理学的」個性かもしれない、とファノンは言う。
 だが、植民地主義は、アルジェリア人の「怠惰」が、アルジェリア人そのものの「民族的特徴」であるとし、それを「科学的に」説明しようとした。植民地主義が「でっち上げた」アルジェリア人の「民族的特徴」として、「怠惰」の他に、「犯罪性」がある。
 例えば、司法官、警官、医者たちは、アルジェリアにおける犯罪発生率が世界有数であり、しかもその多くが殺人であること、さらにはその殺し方が野蛮であること*1、理由無き殺人が多いことなどを主張する。しかも、統計などが援用されることによって、それらは「事実」だと言われる。
 そして、そうした「事実」を、学者たちは、社会学的、機能的、解剖学的に解釈する。ファノンは、アルジェ大学の精神科医たちによる、アルジェリア人の犯罪性についての「科学的」研究について紹介している*2。1939年、アルジェ大学精神医学教授であるポロは、その弟子シュテルと協同で執筆した論文でこう主張した。

 見られるごとく、アルジェリア人の衝動性、彼らの殺人の頻度とその特徴、その恒久的な非行傾向、その原始性は、偶然のものではない。(……)アルジェリア人は大脳皮質を有さない、あるいはより正確に言うならば、下等脊椎動物におけると同様に間脳の支配下にある。(……)植民者が現地人に責任を委ねることをためらうのは、人種主義もしくは温情主義からくるものではなく、まったく単純に、植民地原住民の生物学的に制限された可能性を科学的に評価したものなのである。
(同書299頁)

 中央アフリカと東アフリカで診療を行っていた、WHOの専門家であるカロザーズは、1954年に出版された著書において、アフリカ人全体についてこう言っているという。

 アフリカ人は自己の前頭葉をほとんど使用しない。アフリカ精神医学のあらゆる特殊性は、前頭部の機能低下paresse に帰することができる。(同)

 ところで、現代日本において、若者の犯罪の増加、凶悪化、などの「事実」を指摘する言説は(多くの人がそうした「事実」は実際には存在しないと指摘しているにもかかわらず)多い。また、また、若者の無気力、怠惰などを、最近の若者の「世代的特徴」として指摘し、それを「科学的に」説明する「学説」もある。たとえば、2000年に出版された著書の中で、日本のある脳科学者は、電車の中で平然と化粧をする若者は前頭連合野が未発達であり、「一種の脳機能障害」である、と主張した。また、別の脳科学者による「ゲーム脳」理論も、現代の若者の問題を前頭前野の機能障害として説明する。こうしてみると、それらの学説は、被植民者の「民族的特徴」を「科学的」に説明する50年前の「アフリカ脳」理論のほとんど焼き直しであることがわかる。
 ファノンは、「アフリカ脳」論者の主張を否定して、このように断言している。

 アルジェリア人の犯罪性、その衝動性、その殺人の激しさは、したがって神経系組織の結果でも、性格的特異性の結果でもなく、植民地状況の直接の所産である。
(同書306頁、強調引用者)

*1:失血死させる家畜の殺し方と結びつけて、イスラム教と「血」の関係が大まじめで論じられたりする。

*2:こうした研究は大学で講義され、それを学んだアルジェリア人医師たち自身がそうした学説を流布していくことになる。