4

 玄関に郵便・連絡用のボックス、というか棚があった話は前回したが、O荘の玄関には、大家から下宿人にメッセージを伝えるもう一つの手段があった。それが、壁に貼ってあった「標語」である。これは何かというと、O氏が、達筆の筆書きで書いた月々のモットーなのである。例えばこんな感じ。

さあ五月です
勉強に仕事に最適の季節です
みなさん頑張りましょう

 というような。
 ところで、O荘の住人は、私を含めて学生が多かったが、時々、学生以外の「社会人」が入居することもあった。そんな中で、2人の住人のことは忘れられない。
 まず一人目は、私が入居した時から奥の部屋にいた人。この人は、当時たぶん30代(ひょっとすると20代?)の人で、銀縁眼鏡にオールバック。「ダンディー」で、すごく几帳面な人だった、というイメージがある。
 彼は、アパレル関係に勤めているようだった。世間話の時にO氏が「○○さんはブチックに勤めてる」とか言っていたから知っているのだが。彼は、O氏にいたく気に入られていたようだった。几帳面なところもだが、ハイカラな仕事をしている、というのも好評価のポイントだったようだ。O氏は、「あの人は毎日のように終電がなくなるまで仕事をしていてえらいもんだ。それで帰りはタクシーでしょう。すごいもんだ。」というように言っていた。しかし、それにしては家賃2万円のボロ下宿に住んでいたのはなぜだろう。世の中はバブル前夜だったけど、ちょっと謎といえば謎だ。
 とにかく、たしかにこの人は、タクシーで帰宅していた。部屋にいると、夜12時ごろに、下宿のちかくにタクシーが止まる音、車のドアがしまる音、がする。そして、例の「ブー」という電子音が二回する(門の扉を開ける時と閉める時ね)。そして、玄関から二階にあがる狭い木の階段を上ってくる、パタ、パタ、パタ、という音が近づいてくる。……そう、彼は、下宿の中ではマイ・スリッパを履いていたんだよね。もちろんそんな住人は彼だけだったと思う。4畳半の畳敷きの部屋なんだけど、彼は部屋の中でもスリッパ履きだったようで、彼が部屋の中であるくパタ、パタ、という音を今でも思い出すな。とにかくものすごくきれい好き、几帳面な人だったという印象がある(いや、私がその正反対だったからそういう印象が残ったのかもしれないけど)。
 そうだ、一回彼には助けてもらったことがあるような気がする。
 ある日、通学の途中、下宿近くのゴミ捨て場に、木の勉強机が捨てられているのを発見した。ちょっと古くて安っぽい感じではあったが、抽斗付きの立派な机である。私の記憶では、「ご自由にお持ち下さい」と書いてあったことになっているのだが、いずれにせよ、捨てられているのは明白だったと思う。一日ぐらい逡巡したように思うが、結局私はそれをいただくことにした。といっても、もちろん、車も何もない。ゴミ捨て場は下宿からは少なくとも百メートルは離れていたと思うが、ある日の夕方、私はそれを手で抱えて、途中はズルズル、ズルズルと引きずって、下宿までもって帰ってきた。玄関に入れるまでは順調に進んだのだが、その後が問題だった。2階に上がる階段は狭かったので、机を抱えてのぼることは不可能だった。そこで、私は机を裏返しにし、いわば橇のようにして、階段の上から机の脚をもって引っ張り上げることにした。今思えば、階段も机も傷つくし、無茶苦茶である。しかし、どうしてもこれがうまくいかなかった。何しろ体力が無いので、もう少し、と言うところまでは引っ張り上げられるのだが、そこで力つきてズルズルと滑り落ちてしまう。何回かトライして途方に暮れていたところ、物音を聞いてその住人が出てきて、彼に手伝ってもらって無事机は部屋に入れることができたのだった*1
 さて、もう一人の忘れられない住人は、一番奥の部屋に住んでいた。といっても、たぶん当時30代(か40代)だったその人とは、何回か廊下であって挨拶をしたことがあるだけで、顔も名前も全然覚えていない。ただ、とても穏やかで感じのいい人だったと思う。しらふの時はね。(つづく)

*1:あ、でもやっぱり記憶はあいまいだ。ひょっとしたら手伝ってもらったのは別の住人だったかもしれない。まあいいや。