大学生のいじめ

 また立ち聞き話。先日電車に乗っていたら、近くにいた女子大学生数人のグループの話が耳に入ってきた。その中の一人が、ゼミ旅行に行きたくない、というようなことを言い始め、その理由は「○○が行くから」ということらしい。どうも○○は男性らしいのだが、「生理的に受け付けない」などと言われていた。
 「15対1みたいになっている」「本人は気づいてるの?」「うすうす」
 で、なぜ嫌いかという話が、ありそうだな、と思ったのだが、彼がかつてゼミで○○(非常に一般的な学術的テーマ)について発表したのだそうだ。ところが彼はその○○について「マニアックな話をいろいろした」のが、キモい、というのだ。彼はそれいらい「○○」というあだ名で影で呼ばれているらしい。さらに、「すぐ英語とかひけらかすのも嫌だ」というようなことも言われていた。わからないが、ひょっとすると彼は勉強には熱心で教師には覚えがいい学生なのかもしれない。だがおそらく、大学生にもなって勉強がんばっちゃうのがキモい、ということなのかもしれない。そのほか、しゃべり方が生理的に受け付けないだのなんだの、さんざんひどいことを言っていた。非モテ差別的なニュアンスも感じられ、聞いていてかなり腹がたったのだが、正当化するつもりはないが、私は聞いているだけで結局何も言わなかった。
 あまりにあっけらかんとこれらの話をしていた彼女たちは、自分たちが「いじめ」をしている、という意識はないのかもしれない。まあたいていの「いじめ」がそうなのかもしれないが。
 ところで、11月16日に行われた青少年問題に関する特別委員会で、本田由紀氏はこのように言っている。

ここでちょっと思い起こしていただきたいのは、例えば大学生の中でのいじめというものは実は非常に少ないということを皆さん思い起こしていただきたいのです。これは、大学生になると年齢が高くなって大人になるからいじめが少ないということでは説明できません。なぜかといいますと、大学生の中でも、例えば運動部だの体育会系的な、閉じ込められて結構圧迫的な環境の中で過ごす場合にはいじめが生じる。あるいは、大学生よりもさらに年長の、職場においてかなりいじめというものが、ハラスメント的なものが非常にたくさん生じているということを考えますと、大人になったから大学生の間ではいじめが少ないというふうには考えられない。つまり、大学生が日常的に暮らしている大学生活の構造の中にいじめを生み出しにくい要因があるのではないかと考えられます。
 その大学生に見出されるようないじめを生み出しにくい環境といいますものが、そこで一から五まで列挙しているような流動性や異質性、開放性、協働性、有意味性などになってくるかと思います。
http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/007316520061116003.htm

 言いたいことはわかる。いじめをなくすために、学校システム自体の流動性や異質性、開放性が必要だ、というのはわかる*1。だが、上記の例でわかるように、大学生の中にいじめがないわけではない。ただ、大学生の場合、学校に来なくなること、つまり不登校が、小中高生にくらべれば比較的容認されているということはいえそうだ。しかし、それは、大学の環境がいじめを生み出しにくい、という話とはちょっと違うような気がする。
 また、運動部や体育会系のいじめがひどいというのは本田氏も指摘しているが(表に出にくいだけで、むしろ小中高の運動部よりひどいものがあると思う)別に体育会だけではない。文化系でもある。たとえばかつて、某有名ジャズ研*2で、新入生に対する上級生による通過儀礼*3があるとのうわさを聞いた。
 ところで、実を言うと私は、「ゼミ」というものがかなり嫌いだった。特有の嫌な空気があると、思っていた。特に大学院。数人の院生が、それこそマニアックな議論を延々としている。黙っていると、議論に参加しなさい、と言われる。で、勇気を出してしゃべりはじめた瞬間、マニアックな人たちが、じろっとこっちを見る(ように感じる)。緊張して口の中が乾き、どんどんしどろもどろになってくる。自分で何言ってるかわからなくなってしまうことさえある。すると、マニアックな院生たちの目に明らかに失望の色が浮かぶ(ように感じる)。何とかむりやりまとめてしゃべり終わる。すると、私が話したときに限って、なんともいえない長〜い沈黙が流れる(ような気がする)。そして、再びマニアックな院生たちが、私の言ったことと全く関係ない議論を、嬉々として再開する。その瞬間、「あー、またやっちゃった、とんちんかんなこと言っちゃったんだ」と、目の前がまっくらになり、残りの時間は意識もうろうである。そんな感じで、私は大学院に入ってどんどん学校が嫌いになっていった*4
 私のいたゼミの場合はマニアックな院生が多数派だったので、私はいつも疎外感を感じていたような気がするが、電車であった女子たちのゼミでは、マニアックな人が逆に少数派なので疎外されているのかもしれない。
 ところで、文科系の大学教授なんかでも、よくむちゃくちゃ厳しいセンセイというのがいた。特定の女子院生が毎回泣かされるゼミ、なんかもあった。そういうのって、「ガクモンというのは厳しいものなのである」みたいな感じで、わりと当たり前のこととされていたような気がする。しかし、それって、理由はどうあれ、いじめだろ、と思わないでもない。もちろん、センセイも、泣かされている院生も、いじめであるとは思っていなかったりするのだろう。最近は「アカハラ」なんていわれるようにもなっているけど、「大学生の中でのいじめというものは実は非常に少ない」というのを聞くと、やっぱりそいう教授による学生いじめのことはどうなんだろう、とちょっと気になってしまうのも事実。
 ちなみに、上野千鶴子氏は、自他共に認める、そういうムチャクチャ厳しい先生ということで有名らしい。そういう上野氏は、一方で、自分の大学生時代は授業はサボってばかりで、マージャンとセックスばかりやっていた、とワル自慢ぽいことをしばしばおっしゃる。正直言って、そういうところは、どうしても好きになれない。

*1:もっともそのような学校システムがそもそもありうるのか、という話もあるだろうが。

*2:某大物タレントが出身

*3:内容ははっきり言ってセクハラ犯罪

*4:一方、私は一般教養などの講義授業は大好きだった。学部のときはすごくまじめでほぼ欠かさず授業に出ていた。