第2章愛国心について その5

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一転してドイツの話

今度はイギリスから離れてドイツの話をしましょう。ナチスドイツの話ではなく、もっと時代を遡って19世紀の話です。プロイセン主導によるドイツ統一を推進し、鉄血宰相といわれたビスマルクは、まさに愛国心の権化でした。当時のドイツ帝国は、愛国の神が降臨した、愛国教の聖地といってもいい場所でした。愛国教がいかに霊験あらたかなものであるか知りたいなら、一度はこの聖地に足を踏み入れてみなければなりません。
わが日本の貴族、軍人、学者をはじめとして、およそ世界万国の愛国主義者、帝国主義者たちの憧れの的だったドイツの愛国心は、古代ギリシアやローマや、また近代イギリスの愛国心とは違って、迷信ではない、虚栄ではない、とはたして言えるでしょうか?

ビスマルク


ビスマルクはまことに圧倒的な実力を持った政治家でした。彼が立ち上がる以前は、北部ゲルマンの諸国は細々とした小国に分かれており、「同一言語の国民は必ず結合するべきだ」とする帝国主義者の目からみて、実に哀れむべき状態でした。だから、これらの諸国を一丸としてまとめ上げたビスマルクの大事業が輝かしいものであることは確かです。しかし、彼ら帝国主義者が諸国を結合統一したのは、諸国の平和と利益を願ってのことではなかった、ということを忘れてはなりません。それは、ただ軍備の必要のためでしかなかったのです。
早くから自由平等の原理を理解して、フランス革命を羨望の目で見ていた人々のなかには、小国同士の愚かな争いをやめて、平和と協力の幸福を享受するため、かつ外敵の侵略に備えるために、ゲルマンの統一を計画していた者もいました。そしてその計画はまったく実現可能だったのです。しかし、実際の歴史においてこうした計画が実現することはどういうわけか決してありません。

ゲルマン統一

ゲルマン統一が本当に北部ゲルマン諸国の利益のためになされたというなら、なぜ彼らは、多数がドイツ語を話すオーストリアとの結合を行わなかったのでしょうか? それを行わなかった理由は他でもありません。ビスマルク自身の理想が、ドイツ人一般の同胞愛では決してなかったからであり、諸国共同の平和ではなかったからであり、単にプロイセンの覇権と栄光でしかなかったからです。

無用な戦争

好戦の心を満足させるための手段として結合や提携を求めるのは、人間の習性です。ある人にとってAが友人であるのはBが仇敵だからであり、Aを愛するのはBを憎んでいるからです。彼が外国のために労を払うのは、その国の平和を欲するからではなく、自国の覇権を誇示したいからです。ビスマルクは、人間のこうした本性をよく理解していました。彼は国民のこの動物的本能を利用し、その手腕を発揮しました。いいかえれば、彼は国民の愛国心を扇動するために敵国と戦ったのです。自分に反対するさまざまな考え方を押さえつけて、希望通りの愛国教を創建するために、無用な戦争を挑発したのです。
ゲルマンの統一者、獣力の使徒、鉄血政策の始祖であったビスマルクは、その野望達成のための第一歩として、1864年、最も弱小な隣国であるデンマークを狙って戦争を仕掛けました。そうしてこれに勝利し、シュレースヴィヒ=ホルシュタインを獲得すると、国民の中で、迷信、虚栄、獣力が大好きなものたちは、競って彼の支持者となりました。これが、新ドイツ帝国の結合、新ドイツ愛国主義の発生課程だったのです。
次に彼は、別の隣国に対して戦争を仕掛けました(1866年のことです)。この隣国オーストリアは、前の隣国よりも強かったのですが、彼は敵の備えが完全ではないことに乗じました。そうして、愛国心とか団結精神というものが、この新たな戦場においてさかんにわき起こったのです。そしてこの運動はビスマルク自身の国であるプロイセンと、その国王の膨張のために、巧みに利用され、絶妙に指揮されました。

プロイセンという国

彼は、純粋な正義の意味でゲルマンの統一を企てたのでは決してありません。彼は、諸国の結合によってプロイセンという国が溶解し消滅することを決して許しませんでした。彼が許したのは、プロイセン王国を盟主とする統一のみです。プロイセン王にドイツ皇帝の栄光を与える統一のみです。「ゲルマンの統一は国民的運動」ですって? とんでもない。ドイツ国民の虚栄と迷信の結果である愛国心は、全く一人の野心と功名のために利用されたのではないですか?

中世の理想

ビスマルクの理想とは、中世の人々の古臭い理想と同じでした。そして、彼がその陳腐で野蛮な計画を成功させることができたのは、社会の多数が、道徳的・心理的に、いまだ中世の時代を脱出できていなかったからです。彼らの心性はいまだに未開の心性でした。ただ彼らは、自らを欺き人を欺くために、うわべだけ近代科学のように装っていただけなのです。

普仏戦争


ビスマルクは、すでに二回、無用の戦争を起こすことに成功しました。そうして三回目の戦争を起こすために、彼は着々と準備を重ね、耽耽と機を伺いました。チャンスがめぐってきました。彼は再び別の強国、つまりフランスの備えが完全ではないことに乗じたのです。ああ、普仏戦争よ。この戦争こそ、最も危険な道であり、最も危険な凶器といえるものでした。しかも彼ビスマルクの中では大成功。
普仏戦争は、北ゲルマン諸国をプロイセンのあしもとに拝跪させました。諸国はいっせいにプロイセン国王、ドイツ皇帝を奉祝しました。「ただプロイセン国王のため」。ビスマルクの頭の中にあったのはそれだけです。同盟国民の幸福などアウトオブ眼中でした。
私は断言します。ドイツの結合は、正義たる好意や共感によるものではありませんでした。ドイツ国民が屍の山を越え血の川を渡って、猛禽や野獣のように統一の大事業を成功させたというのは、ただ敵国に対する憎悪の心が扇動されたからであり、戦勝の虚栄に酔っていたからなのです。これはまともな大人がやることでしょうか?
しかも彼ら国民の多数は、「わがドイツ国民は神に愛された国民である」とか「世界のどの国も成し遂げなかったことを成し遂げた」と自慢しました。世界各国の国民の多数も、驚嘆してこのように言いました。「なんと偉大な国だ、国家たるものこのようでなければいけない」と。日本の山県有朋という政治家も、感激して「われもまた東洋のビスマルクたらん」と言いました。それまでイギリスの立憲政治が世界に誇っていた栄光は、たちまちのうちに消え去って、プロイセンの軍隊の軍事力が評価されるようになったのです。

愛国的ブランデー

国民が国威発揚の虚栄に酔うのは、個人がブランデーに酔うのと同じようなものです。酔っ払うと、耳が遠くなり、目の前がぼーっとして、気持ちだけがハイになります。屍の山を超えてもその悲惨な光景は見えなくなり、血の川を渡ってもその生臭さは感じなくなるのです。そうして、明るく、得意げにしているのです。

道家と力士

国民が、武力が優れて戦闘に長けているという名声を得るのは、柔道家が免許皆伝を得るようなものであり、力士が横綱を張るようなものです。柔道家や力士はただ相手を倒すだけであって、技はそのためにあるだけです。もし相手がいなければ、そうした技があっても何の利益があるでしょうか? 何の名誉があるでしょうか? ドイツ国民の誇りも、ただ敵を破ることにのみあるのです。もし敵国がなければ、そんなものに何の利益があるでしょうか? 何の名誉があるでしょうか?
ブランデーを飲んだ柔道家と力士が、酔っ払ってその技能と力量を自慢しあっている様子を見たからといって、彼らが、才知や学識や徳を持っている証拠になるでしょうか? ある国の国民が戦争の虚栄に酔って、その名誉と功績を誇っている様子を見たからといって、他の国民は、その国で政治・経済・教育における文明的福利が与えられていると信じていいでしょうか? ドイツの哲学や文学は尊敬に値するものです。しかし私は、ドイツの愛国心を賛美する気には決してなりません。

ドイツ皇帝


ビスマルクが補佐した皇帝ヴィルヘルム一世や、ビスマルク自身が過去の人となった後も、ドイツでは鉄血主義が存続しました。第二代皇帝フリードリッヒ三世が在位わずか90日で崩御した後、父親の後をついで1888年に29歳で即位した第三代ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世も、愛国ブランデーの酔いから醒めませんでした。ヴィルヘルム二世が戦争を好み、圧制を好み、虚名を好むさまは、ナポレオン一世やナポレオン三世をはるかにしのぐほどでした。大国ドイツの国民は、その後もなお、血をもって贖える結合統一という美名のもとに、若い皇帝ヴィルヘルム二世の圧制に甘んじました。そうして、愛国心はなおもはなはだ盛んでした。しかし、愛国心は決して永遠の現象ではないのです。

社会主義

愛国心の弊害はすでに絶頂に達しました。マクベスの暴虐が極まったときに、バーナムの森が動いてダンシネーンの城に迫っていったように、愛国者にとっての恐るべき強敵が、すでに土ぼこりをあげて迫りつつあります。この強敵は、迷信的ではなく理知的であり、中世的ではなく近代的であり、狂熱的ではなく組織的であり、その目的は、愛国教や、愛国教が行った事業をことごとく破壊することにあります。これを名づけて近代的社会主義と言います。古代の野蛮で狂った愛国主義が、近代文明の高い道義と理想を圧倒し去るかどうか、また、今後もなおビスマルク時代のようになるかどうか、それは20世紀中に結果がわかるでしょう。しかし、ドイツの社会主義が隆々と立ち上がり、愛国主義に向かって激烈な抵抗を行っているのを見れば、戦勝の虚栄と敵国の憎悪から生じた愛国心が、国民相互の共感や博愛の心に何の益ももたらさないことはわかるでしょう*1

哲学的国民

きわめて哲学的なドイツ国民をして、各種の政治的理想の中できわめて非哲学的な事態を演じさせたのは、ビスマルクの大罪です。ビスマルクがもしいなければ、ドイツを中心としたヨーロッパ各国の文学、美術、哲学、道徳は、いかに進歩し、いかに高尚となったことでしょう。吠えながら噛み付きあう野犬のような醜態を、20世紀に残すこともなかったでしょう。

*1:これを書いているとき、どうも私は一時的に記憶喪失にかかり、20世紀の歴史について失念していたようですが、文意そのものに問題はないと思うので、そのままにしておきます