小さなことから……

昨日の深夜、たまたまNHKのドキュメンタリー「激流中国 富人と農民工」を見た。これは、4月に放送されたものの再放送だったようで、放送当時結構話題を呼んだものらしい。
いろいろと話には聞いていたすさまじい中国の経済格差の現状を描いたもので、強烈なものだった。改革開放で現れたとてつもない大金持ち(富人)と、きわめて厳しい生活を強いられている人々(農民工)のそれぞれを取材したものだ。
大金持ちの方についてもそのうち書くかもしれないが、貧しい人々について。内モンゴル自治区から天津に出稼ぎに行っている二組の家族が出てくる。そのうちの片方は、事故で怪我をした息子の手術代を作るために夫婦で働いているが、なかなか仕事も得られず、いつまでたってもお金がたまらない。故郷に帰って、両親にあずけている息子に会えるのは、年に一回、旧正月のわずかな期間だけである。
で、ネットでこの番組の評判を少し読んだのだが、そこで、この番組を見ての

内蒙古の出稼ぎの若夫婦、あの夫はなんだ、仕事がない、金がないといいながら、タバコばかり吸っている。まず禁煙して、貯金しろよ、春節に夫婦二人も帰らずに倹約して、母親の治療費ぐらい捻出したらどうだ。あの男はなにがしかの取材協力費をとっているのではないか、との声

があるということを知った*1。こういう「声」は非常にありがちなものだとは思うが、ちょっと興味深い。
確かに、夫がタバコをいつも吸っているのは私も気がついた。ぎりぎりに短くなるまで吸っていたので、まだ吸えるのに捨てたりとかはしていないとは思うし、いったい禁煙をしたことでどれほどの節約ができるのか、わからないが、それはともかく、この声の主が「まず」禁煙せよ、と言っているのは象徴的である。この声は、タバコとは嗜好品であり、無くても生きていける比較的取るに足らないものだ、ということを前提に出発している。そうした、「まず」犠牲にできるはずの「小さな」ことすら残しているこの夫は、本当に困っているとは言えないのだ、というわけだろう。
だが、実際はこの夫婦は、子供と過ごすこと、などをはじめ、彼らにとって「大きな」ことをほとんど全て禁じてきた。そして、「最後に」禁じられずに残ったのがケムリなのである。おそらく。
「まず」小さなケムリから禁じろ、というのは、この夫とは違って、大きなものがたくさん残っている人だから言えるのではないか、などと思ってしまうのである。