「中立」のデメリット

何かで「左右」を覚えなくちゃならないことってありますよね。たとえば道順を覚えるとき「○出口を出て左へ」とか。そういうときよく、「左右」に「左翼右翼」のイメージを重ね合わせて覚えるってことしませんかそうですか。私はよくします。「○出口を出てサヨク」とか覚えるのです。そうすると、たんなる中立的な「左右」という概念に、「共感」ないし「反感」という心理的に正反対の価値をもつラベルがつけくわわるので、たいへんに覚えやすくなります。さらに応用して「○出口を出て右」はたとえば「○出口を出て反革命」とかしたりするのも、より覚えやすいでしょう。
ところが、政治的「中立」を自認する方々は、そんな変換をしてもなんの意味もないのでしょうので、このワザは使えないはずですよね。本当にかわいそうだと思います。「中立」の方々は、「左右」を覚えたいときいったいどうしているんでしょうか?