コミー映画『ミルク』(追記あり)

映画『ミルク』を観てきました。お客さんはあんまり入ってませんでした。
(以下、ネタバレといえばネタバレなので未見の方はご注意を)


オフィシャル・サイト>http://milk-movie.jp/enter.html
google:images:トラメガがとてもかっこいいアイテムとして登場します。ハーヴィー・ミルクは何かあると愛用のトラメガをぱっとつかんで、街頭にとびだしていくんですね。このトラメガのいわくについても確か最後の方で出てきますがネタばれなのでやめときます。そして、シュプレヒコールを叫ぶ群集、ひるがえるプラカード、みたいな感じでデモがかっこよく描かれていて、ケーサツが悪く描かれている、というのは大変はよかったですね(笑)あと、基本的には「アメリカ独立宣言を真に受ける会」の映画、だったと思います。
数年前、1984年公開のドキュメンタリー映画ハーヴェイ・ミルクThe Times of Harvey Milk)』もDVDで観たのですが

ハーヴェイ・ミルク [DVD]

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また観なおしてみようとおもいます。
公式サイトでは「マイノリティのために戦った政治家」というキャッチフレーズが書かれています。今の日本でそういうキャッチフレーズで紹介されると、下手をすると橋下とか東国原とかのいっしょのくくりで理解されかねない雰囲気があるわけですが(いやシャレにならない)、しかし、上で書いたように、ミルクは、狭義の「政治家」である前は、そして「政治家」になってからも、トラメガを持ってデモ隊の前でアジ演説をするアクティビスト、活動家であったわけです。活動家と政治家のずれ、ということに関して映画の中でちょっと印象的だったシーンがあります。最初の方で、町で出会ったゲイの青年にミルクが選挙人登録を呼びかけると、彼は「選挙なんて中産階級のお遊びだ」みたいなことを言って拒否するのですね。もっともその青年クリーブ・ジョーンズは、その後結局政治家ミルクの側近になるのですが。それから、同性愛者の教師を解雇させる提案6号の反対運動をミルクがやるのですが、「この法案が可決してしまったら暴動が起こるかもしれない」と言う側近に、ミルクは「市政執行委員の立ち場ではそうはいえないが、そうなったら暴動が起こったほうがいいんだ」みたいなことを言います。結局提案6号は否決され、そのとき暴動は起こりません。暴動は、ミルクの死後、ミルクを殺したダン・ホワイト(ミルクと同じサンフランシスコ市政執行委員で、アイルランド系移民の多い地区を地盤としていた)を裁く裁判で、マイノリティを排除した陪審員によって、あまりに軽い判決が出たときに起こります(ホワイト・ナイトの暴動)。ただ、ドキュメンタリーでは描かれていたその暴動については、今回の『ミルク』ではまったく描かれていませんでした。そういう意味では、『ミルク』は、結局は「政治家」「偉人」ミルクの栄光と、道半ばに倒れた悲劇、というまとめ方になっていた、ともいえます。
ところで、ダン・ホワイトをかなり悪役で描いている1984年のドキュメンタリーについては、短い(かどうかは見方によりますが)刑期を終えてダンが出所した直後に(それにあわせて?)公開され、さらにその公開直後にダンが自殺した、という重苦しい事実があるそうです。今回観た『ミルク』は、最後のクレジットでこのドキュメンタリーに特別な感謝をささげているのですが、ダンの自殺の経緯については特に触れてはいませんでした。しかし、ミルクを殺す前のホワイトについては、かなり丁寧に描かれていました(ダン・ホワイト役の俳優は、本人とものすごく似ています)。
さて、観た後にパンフレットを買ったのですが、いくつか気になったことがあります。まず、表紙の裏に、主演のショーン・ペンアカデミー賞授賞式でやったスピーチの翻訳がのっています。

最初の一言が、訳文ではこうなっています。

受賞は予想外でした。みんなゲイが好きな、素敵なロクデナシだね?!

ぐぐったところ、これの原文は

You commie, homo-loving sons-of-guns

だ、そうなのです。「homo-loving」は、「ゲイが好きな」ですよね。で、「sons-of-guns」という言葉は知らなかったのですが、ネット辞書によると「(1) 君, お前 《★【用法】 親しみを表わす》.」ということなので、これが「素敵なロクデナシ」に対応するのでしょうね。……で、「commie」は?てことなんです。「commie」ってのは、コミュニストの蔑称ってことなのですよね?てことは、「共産主義者」とか、「アカ」とか「サヨク」とか(「ブサヨ」とか「はてサ」とか)いう言葉が入ってないと、おかしいような気がするのですが。もちろん、意訳してはいけないてことはないわけですが、「commie」をあえてはずした*1ということに、「なんとなく政治的なものを避けとこう」みたいな「配慮」があったとしたら(まあ無意識的なものかもしれませんが)、ちょっとがっかり、ていうか台無しのような気がします。最初に書いたように、この映画はどう考えても「コミー」の映画です。「サヨクの映画」というイメージじゃ余計観客が逃げていきそうだから、配給会社としては「コミー」の言葉を隠したかった…ていうのはかんぐりすぎでしょうかね(笑)それとも「commie」をそのまま訳さない何か他の理由があるのでしょうか?
パンフレットでは、他に、一箇所「性的『嗜好』」という言葉が使われているところもあって気になりました(「性的『指向』」になっているところもあるのですが)。それから、GLBTの「T」の訳語が「性転換者」となってましたが、これもどうなんでしょう。

*1:それとも「ロクデナシ」が「commie」にあたるとか?