「ゼネストとは何か?」の内容

1895年、ナント大会の翌年、ペルーティエは労働取引所連盟の書記長となりますが、こうした状況のなか、ペルーティエのゼネスト論『ゼネストとは何か?』は書かれました。
このパンフレットは、議会主義、蜂起主義をどちらも否定し、ゼネストによる革命をちからづよくうったえています。しかし、もうひとつ、このパンフレットで全否定されているものがあります。それは、ストライキゼネストではない、個別的・部分的ストライキ)です。ゼネストは称揚、ストは全否定、という考え方は、なにか矛盾しているように思えるかもしれませんが、そういうわけではありません。ペルーティエは、個別のストライキは、「たとえ成功したものであっても」有害だといいます。個別のストが、けっきょくはもとがとれないものであること、また労働者を疲労させるので、ながい目でみると革命への力をそいでしまうこと、などのりゆうです。資本主義というシステム全体が、労働者に対する暴力なのであって、個別の職場における労働者に対する抑圧・暴力は、そのあらわれでしかないのです。個別の暴力と戦うことですこしずつ社会を改良する、という道は、いっけん堅実のように見えても、けっきょくは幻想なのであり、社会全体を一気に変革するゼネスト革命こそが、一見ユートピアに見えても、現実的なのだ、というのがペルーティエらの主張です。
ただし、この部分的ストライキの否定という考え方は、革命的サンディカリスト全体のものではありませんでした。1900年の労働総同盟(CGT)大会で、リヨンの指物工組合の代表ヴォワロvoillotは、こう発言したそうです。「真のミリタンの隊列を徐々に拡大している労働者を獲得するのは、まさしくこの部分的ストライキのさなかにおいでなのである。部分的ストライキの原則を否定するのは、まさにこのストライキのために身銭をきって活動している同志たちの、連帯の精神を傷つけるものであろう」*1。1900年代の革命的サンディかリストは、ゼネスト原則を捨てはしませんでしたが、部分的ストライキをより重視する方向にすすんだということです。
この点にかんして、谷川稔は、サンディカリストは部分的改良ストを称揚しており、それを否定していたペルーティエは「労働大衆への直接的影響力も後世『サンディカリスムの父』と称されるほど広汎なものではなかっったといわれる」と言っています。また、ペルーティエの「部分的改良要求スト否定は当時の社会主義者と同様、ラッサール流の賃金鉄則にもとづいている。したがって彼は一度も現実のストライキに身を投じたこともなく『ゼネストと絶対自由主義的革命のロマンティックなプロパガンティスト』としての性格が濃厚であったと言われる」*2とも言っています。谷川氏は同書でいっかんしてペルーティエの評価にきびしく、アルマニストの重要性を強調しています。たとえば「ペルーチエやブリアンのような机上のゼネスト論」にくらべてアルマニストのゼネスト論は彼ら自身が労働者であっただけにより現実的意味を持っていた、などと言っています*3
さて、このパンフレットは、武装蜂起による権力奪取の方法も否定しています。これは、20年前のパリ・コミューン弾圧の苦い経験をふまえています。しかし、だからといって、革命の暴力そのものを否定しているわけではありません。ペルーティエは「ゼネストは平和的運動ではないよ。平和的なゼネストは、かりにそれが可能だとしても、どこにも行き着かないだろう。金の力を借りた闘争が金持ちどもを利することは明らかだし、金に勝つのは暴力〔フォルス〕しかない。」と断言しています(ここでのforceという言葉は、ソレルの『暴力論』ではviollenceに対応するものです。『暴力論』では、forceは逆に国家権力の側の暴力のことです)。ただ、ゼネストは、蜂起であるにしても、かつてのような武装蜂起とはちがうのだ、とペルーティエは言います。ペルーティエが、軍隊が強力になった現在もはや無効だ、と否定している古いかたちの武装蜂起とは、バリケードをつくって閉じた空間の中から軍隊と対峙する、というタイプの戦いです。ゼネストは、蜂起だとしても、それはまさに「同時多発」蜂起です。それは「蜂起ではないかもしれないけど、蜂起のいっぽ手前、という状況が、同時にいたるところに生まれる」ようなものです。ゼネストは「どこにもあり、どこにもない」といわれ、「暴動に『震源』はもはやなく、レジスタンスに中心はもはやない」とされます。そういう意味でゼネストは「全体的」なものです。ただし、ゼネストが「いたるところにある」というのは、労働者が「全員」ストに参加する、という意味ではありません。「全体的」というのは、「個の総和」という意味での「全体」とはちがうのです。ペルーティエは「ゼネラル・ストライキ」を、全員参加という意味での「トータル・ストライキ」と区別していました(本文注14参照)。
もうひとつ、このパンフレットで特徴的なのは、それが、ゼネストを称揚しながら、ゼネストを準備し、計画し、組織する、ということを重視しない、ということです。「ゼネストを組織するだって! ばかばかしい」といわれています。ゼネストは起こすものではなく起こるものだ、ともいえましょうか。
また、このパンフレットには、サンディカリスムの本質である、政治主義・代行主義に対する反発(これは、マルクス主義者、ゲード派に対する反発でもあります)も、いうまでもなくはっきりとえがかれています。「ぼくたちは、解放されること、自由になることをのぞんでいるが、革命をすること、急進共和党のポールを社会党のピエールにすげかえるために危険に身をさらすことをのぞんではいない」と言われています。その点について、谷川氏はこう書いています。

サンディカリスムの真髄は、ソレルやマルクスが何と言おうと、”職場の主人公はあくまでひとりひとりの労働者なのだ”という頑固なまでの自負が、直接、社会革命の回路につながっているところにある。それは、政治権力論が欠落していようが、大局的見地を欠こうが、また守旧的と非難されようが”自分たちのことは自分たちで決める”という仕事場(アトリエ)の哲学であり、さらには、ブルジョワ文化に対する一種のカウンター・カルチュアの「開き直り」でもある。彼らのこの自負が、この哲学が、そしてこの対抗文化が、大所高所的政治の論理にかすめとられ「国民」文化のなかに包摂されていく時、サンディカリスムはそのダイナミズムを失う。*4

*1:喜安282ページ

*2:谷川176ページ

*3:谷川195ページ

*4:谷川233ページ