サルトル『○○人』──排外主義者の肖像──(1)

岩波新書に入っているサルトルの『ユダヤ人』は、1956年出版ですが、原書の出版は1946年です(ただしこの本第一部は1945年に雑誌に発表され、さらにその一部は1944年にすでに書かれていたようです)。というわけで、げんざい、このサルトルの文章が書かれてから65年ほどたったことになります。とうぜん、時代がおおきく変わっているので、古くなっている……はずなのですが、とても60年以上前に書かれたとは思えない部分も多いです。というわけで、この本をすこし読んで見ようと思います。
ちなみに、サルトルのこの本は、とても評判が悪い本というめんもあって、私が知るかぎり、現代思想(別名ポスト・サルトル主義)系の人からはたいてい「ダメ本」あつかいされています。反ユダヤ主義研究が専門のうちだ・たつる氏も、『私家版・ユダヤ文化論』という新書でたしか、この本については「どこがダメか」というところだけ書いていました。そういうのは世の中にあふれていますので、まあたまにはこの本の「どこがスバラシイか」を書いた文章があってもいいのではないでしょうか。
まあしかしなんですね、「おまえに言われたくない」といわれそうですが、アカデミズムのかたがたというのは、いわゆる「陸(おか)サーファー」みたいなところがありましてね、陸の上から、海の上のサルトル船をながめては、「あんなボロい船はダメだね。ほらあそこも、あそこも、あんな構造では水が入ってきてすぐに沈没だね。ていうかもう沈んでるけどねww え?どんな船がいいのかって?いまはもう最新鋭の船がいろいろあるからねえ。ここがこうなってこうなっててね。ここがサルトル型とはちがうところなんだなー。でここはね…」とか言いながら最新鋭船のイラストを画用紙に描いてる、みたいな。そんな「絵に描いた船」と無関係に、(リアルの)自作のボロ船で海にこぎだしている人がいっぱいいるんだけど、そうした船は、けっこうサルトル型だったりして。
さて、では、冒頭から見ていきましょう。ちょっとあえて、原書の「ユダヤ人juif」という単語を「○○人」に、「反ユダヤ主義antisémitisme」という単語を「排外主義」に、フランス人」を「日本人」に、なおして訳してみました。

国家や自分の災いの全部あるいは一部分を、共同体の構成員に○○人がいることのせいにする人。そして、その状態を、○○人からなにかの権利をうばうこと、○○人を、経済的、社会的地位から遠ざけること、○○人を領土から追放すること、○○人を絶滅させること、などによって修復しようとする人。そういう人は、排外主義的意見をもっていると言われる。この〈意見〉という言葉はいろいろなことを考えさせる……。これは、一家の主婦が、険悪な雰囲気になりそうな議論を終わらせるために使う言葉だ。この言葉は、あらゆる見解は等価であることを示し、ひとびとを安心させ、あらゆる見解を趣味と同化することによって、思想に無害な見かけをあたえる。どんな趣味も、性格の問題であり、どんな意見をもつことも許されている。趣味、肌の色、意見については、議論してもしかたがない、というわけである。(原書7-8、訳1-2)

「趣味」の多様化、なんてことは、現在の日本でもしょちゅういわれますね。おのおのが多様な「趣味」からなにかを選んで生きる、というのはよいこととされています。ただし、お互い干渉してはなりません。「ひとはひと、おれはおれ」なわけです。他人(ひと)の趣味に口出しすることは、もっとも避けなければならないことです。なにか批判されると、「誰にも迷惑をかけていない趣味のもんだいで、なんで他人からあれこれいわれなければいけないんだ」となります。で、「日の丸」についてこんなふうに言うひとがよくいます。「私は日の丸が個人的に美しい旗だと思っています。その個人的美意識を否定されるととても不愉快です。」日本という国家、日本という社会の差別性を批判すると「日本が好きなひともいる。それは日本人差別だ」となります。自分の「趣味」にくぎをさされると怒りをあらわにしますが、そうした人も、他人については、「趣味であるかぎりは」すべて認めているつもりなので、自分はとても寛容な人間だと思っているようです。「私は別に日の丸をみんなに強制するつもりはないですよ。日の丸が嫌いな人は、嫌いでいいと思います。勝手にすればいいと思います。こうやってこっちはそっちの存在を認めているのに、なんでギャーギャーこっちに言ってくるんです?迷惑なんですよ」とこうなります。他人に対する無関心も、政治に対する無関心も、彼らにしてみれば「やさしさ」なのです。彼らにとっては、もちろん「政治」も、「趣味」、しかも「いまどき」よほどのものずきしかやらないきわめて特殊な「趣味」でしかありません。「政治趣味」をたたきたいときに使われる便利な言葉が「イデオロギー」です。きめぜりふは、「イデオロギー(=趣味)を他人に押し付けるな!」です。あと、「文化」という言葉も、「趣味」のほとんど同義語で使われていますね、現在は。

民主主義の名のもとに、また言論の自由の名のもとに、排外主義者は、いたるところで、○○人に対する戦争をあおる権利があると主張する。同時に、フランス革命以来、わたしたちはものごとを分析的精神で見る、つまり、要素に分割できる合成物として見ることに慣れてしまっているので、人間や性格も、モザイクとして見るようになった。モザイクのそれぞれのピースは、ほかのピースと共存しているが、この共存が個々のピースに影響を与えることはないのだ。したがって、排外主義的意見も、わたしたちには、ほかのどんな分子とも変化することなく結合できる分子のように見えている。ある男は、よい父であり、よい夫であり、まじめな市民であり、洗練された教養人であり、博愛主義者であり、そして、一面では排外主義者でありうる、とされる。彼は、つりが好きだったり、恋を楽しんだり、宗教的には寛容であったり、中央アフリカの先住民の援助にはたいそう関心があり、そして、一面では○○人を嫌悪している、ということがありうる、とされる。(原文8、訳2)

出ました!「言論の自由」! まあ、前段落もそうですが、「非実在〜」の問題でもいろいろ似たような構図がありそうですね……。

彼が○○人が嫌いなのは、経験によって○○人が悪いということがわかったからだ、とか、統計によって○○人が危険なことを知ったからだ、とか、ある種の歴史的要因によって左右されてそう判断したのだ、とか言われる。だから、その意見は、外的原因の帰結であるように見えてくる。その意見を研究しようとするものは、排外主義者自身の人格は考慮せず、第一次大戦に動員された○○人の割合や、○○人の銀行家、実業家、医者、弁護士の割合、建国以来の日本における○○人の歴史だけを考慮するのだ、と言う。彼らは、厳密に客観的な状況を明らかにし、やはり客観的なある種の意見の流行を決定する。彼らはそれを排外主義と名づけ、その分布図を作ったり、1870年から1944年までのその変遷をあとづけたりすることもできる。(原書8-9、訳2-3)

「経験によって」というのは、さいきんよくみられる「実感」至上主義につながりますね。これについては、サルトルがもうすこし後でわかりやすい実例をあげていますのでそのときに。
後半については、ネトウヨを「客観的に」分析することの限界、みたいな話にもつながりそうですね。このように、サルトルは、排外主義(反ユダヤ主義)を「個人的な」「趣味」に還元することも批判しますが、同時に、それがなにか「客観的な現象」であるようにみなすことも批判するのです。

こんな風にして、排外主義は、ほかの趣味と結びついて個人を形成する主観的趣味であるかのように見られるが、同時にそれは、数値や平均値で表現され、経済的、歴史的、政治的定数に左右される、非個人的な社会的現象であるかのように見られる。
私は、これらのふたつの考え方が必然的に矛盾をはらんでいる、などと言いたいのではない。私はただ、それらが危険で間違ったものだと言っているのだ。正確にいえば、私は、政府のブドウ酒政策についての意見をもつ、ということなら認めないではない。つまり、アルジェリアからのワインの輸入を自由化するか規制するか、というようなことなら、さまざまな理由から決められる、ということはあるだろう。そこで問題となっているのは、物品の管理についての見解だ。しかし、私は、特定のひとびとだけに向けられ、その人たちの権利をうばったり、その人たちを絶滅させることをめざすような考えを、意見と呼ぶことは容認できない。排外主義者が傷つけようとしている○○人は、行政法の中でその機能によってのみ定義されていたり、六法全書の中でその状況や活動によって定義されているような、形式的な存在なのではない。それは、ひとりの○○人だ。○○人の子供であり、その肉体、髪の色、あるいは服装、さらには性格によって見分けがつくと言われる、○○人だ。排外主義は、言論の自由の権利によって守られる思想の範疇には入らない。(原書9-10、訳4)

「排外主義は危険で間違い。言論の自由によって守られる思想ではありません」
……ええと、まさにこうした「断言」こそがいま必要とされているんじゃないでしょうか?「こまけぇこたぁいいんだよ!!」ってやつです。
ところがですね、いまはむしろ、ちょっとでも何かを「断言」すると、最新船イラストレーター方面からこんな声がわきおこってきます。「ピピピ!断言しましたね!断言は危険です!場合によっては排外主義より危険です!断言はポルポト方面、連赤方面に向かう危険があります。最新式サヨクは左右をよくみて、安全確認のうえ慎重に走行してください」
とまあ、長くなったので今回はこのへんにしときます。えと、今回はほんとに続きますよ(笑)もうちょっと続きすでに訳してるので。

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