政府の道具ども

大杉文庫http://www.geocities.jp/sartla/oosugi/index.htmlを少し更新し、新しいファイルを追加しました。「政府の道具ども」「正気の狂人」「創造的進化──アンリ・ベルグソン論──」です。
「正気の狂人」と「創造的進化」も非常に興味ぶかいのですが、これについてはまた紹介します。
とりあえず今回は、1922年に書かれた「政府の道具ども」を紹介します。まあこの構図はいまもぜんぜんかわってないんじゃないかと思います。

政府の道具ども
大杉栄
 今、政府の過激思想取締法案に対して、だいぶあちこちに反対の声があがっている。しかしそれは、はたしてほんとうに反対なのだろうか。試みにその反対の声なるものを聞いてみる。

 無政府主義や、共産主義や、その他の朝憲を紊乱(びんらん)するような思想の宜伝を許せとは言わない。その宣伝や実行に対して厳罰を加えなければならんことはもちろんである。ただその条文が曖昧だ。あまりに抽象的だ。役人の手心一つで勝手放題な取締りができそうにみえる。それではわれわれ善良な新聞雑誌記者や学者が間違って引っかかる恐れがある。そんな法律はいけない。

 まあ、たいがいはこうだ。もっと体裁のいいようなことを言っているものもあるが、詮じつめればやはりまずこうだ。
 反対どころじゃない、立派な賛成だ。そしてこの善良な新聞雑誌記者や学者らは、そのいわゆる反対によって、この法律を通過させる有力なお手伝いをしているのだ。
 彼らのいわゆる反対運動が盛んになって、ついに、それが効を奏したと仮定してみるがいい。はたしてどうなるか。要するに、それは今回の法案の修正である。彼ら善良な新聞雑誌記者や学者らのめったに引っかかることのない、しかし無政府主義者共産主義者やその他の直接行動論者に対して容赦のない、厳罰である。
 が、それだけならまだいい。それは彼らのいわゆる反対があってもなくてもくることであるのだろう。しかしそれと同時に、これこそはほんとうに彼らのお陰で、もう一つくるものがある。それは、かくしてできあがるだろう法律に対する、世間の祝福である。
 あの乱暴な法律案が、絶対多数の政府党によって、あのまま無事に通過するとする。誰が、どんな馬鹿者が、そんな法律に衷心(ちゅうしん)から賛成しよう。で、政府はきっと、民主主義者ともいわれているいわゆる進歩思想の人々の持ち出すだろう修正案を、喜んで受けいれるにちがいない。彼らでさえ賛成したのだからということが、一般世間を瞞(だま)すのに一番いい方法だからである。
 この点において僕らは、明白に僕らの敵であろうとする政府そのものよりももっと、自分だけいい子になって政府の道具になろうとする、彼ら進歩主義者を憎むものである。
 政府がどんなむちゃを僕らにしようと、僕らはそれを政府当然の仕事として受けいれる。僕らはただそれに対する僕ら自身の態度をきめればいいのだ。
 けれどもこのいわゆる進歩思想家らに対しては、民衆が瞞されやすいだけ、それだけ僕らは黙っていることはできない。
 まず彼らから叩き倒すんだ。
1922年3月