事実ではないが可能性はある?

維新梅村みずほ氏の、参議院法務委員会での入管法改悪案についてのひどい発言が話題なっています。「憶測でしかない」などと批判されていますが、彼女の発言は、「憶測」というより論理破綻、意味不明な発言だと思います。16日の法務委員会で、弁護士らの質問状に対して答える中で、彼女は
よかれと思った支援者の一言」が原因で、「ウィシュマさんに「病気になれば仮釈放(仮放免)してもらえる」という淡い期待を抱かせ」たとの事実があるのかご教示ください。
ウィシュマさんが本当に「病気になれば仮釈放(仮放免)してもらえる」と淡い期待を抱いていたのは事実であるか、ご教示ください。」
 に対して、いずれにも
事実はありません。しかし可能性は否定できません
と答えています。
 これはむちゃくちゃな話です。「事実はない」と認めた段階で、可能性もなくなります。「昨日雨が降っていた事実はありません。しかし降っていた可能性は否定できません」と同じで、これは意味不明な文です。つまり、梅村氏が「事実はない」と認めた瞬間にいわば試合終了であり、梅村氏の負けは確定しているはずです。あとは撤回と謝罪しかありえません。にもかかわらず、梅村氏は、「しかし可能性はあります」などという意味不明な文を付け加え、要するに、まるで、まだ負けていないような、試合が続いているかのような印象操作をしているのだと思います(そこまで考えてやっているのではないかもしれませんが)。
 その意味で、梅村氏の発言を「憶測」と言ってしまうと、その印象操作に乗ってしまうことになるのではないかと少し気になります。「憶測」とは、真偽不明なことについて勝手に推測して述べることだと思いますが、この件に関しては真偽はすでに定まっている(梅村氏自身が認めている)のであり、彼女がしているのは意味不明な「悪あがき」「負け惜しみ」ではないか、と私には思えます。