SCOT「トロイアの女」

 鈴木忠志演出の「トロイアの女」のDVDを買いました。こちら(株式会社カズモ)から、通信販売で買いました。届いたので早速見ました。すばらしかったです。これは、1982年の、第一回利賀フェスでの上演です(同年NHKで放映された劇場中継のDVD化)。以前ここで書いたカコヤニスの映画版「トロイアの女」にも、やや前衛的な演出が見られますが、鈴木の「トロイアの女」はその比ではありません。とにかく、小さな画面からでも、70年代のいわゆるアングラ演劇の、迫力というか、パワーが伝わってきます。まあ、その迫力の80%ぐらいは白石加代子の怪演、いや大名演が担っているのも事実ですが。
 さて、鈴木は、このギリシア悲劇に大胆な脚色を加えています。番組冒頭に入る、故・高橋康也による解説を引きます。

落城後のトロイアの女達の悲しい姿を描いたエウリピデスの悲劇「トロイアの女」、鈴木忠志はこれを一種の枠入り芝居に仕立てました。第二次大戦敗戦後の東京で、焼け出されてひとりぼっちになった日本の老婆が、幻想の中で死者たちを呼び出す。その死者たちと老婆が、トロイアの女の悲劇を演じる。そして最後には老婆はまた焼跡の現実にもどる、そういった構造になっています。

 芝居がはじまり、まず真っ暗な舞台の上に、白塗りの顔でパンチパーマの男が、威厳に満ちた動きでゆっくりと登場します。これは何かというと、ギリシアの神(ポセイドン)なのですが、同時に地蔵菩薩でもある。衣装が、地蔵のようなポセイドンのような雰囲気を上手く出しています。エウリピデスの原作とサルトルの脚色でも、冒頭にポセイドンが登場します。が、それらと違って、鈴木版のポセイドンは劇中常に舞台の上にいるのですが、一言もセリフを発しません。すべてを無言で見守る地蔵菩薩という意味なのだと思います。次にコロス(古代ギリシア劇における合唱隊)が登場します。コロスは、ボロのようなキモノを着た貧しい農民の姿です。それが、しゃがんだまま小刻みに足を動かすあの独特の歩行法で現れます。次に現れるのは3人のギリシア兵たちです。こちらは、髷を結い、日本刀や槍を持った「侍」の姿なのですが、といっても、野武士のような、悪党のような出で立ちです。しかし、よく見ると、一人は銀縁のメガネをかけています。さらによく見ると、彼は赤十字をつけた白い救護カバンを肩から下げています。ジャングルか焦土をさまよっている旧日本軍の救護兵の霊でもあるのかもしれません。彼らは、足を前に投げ出すような独特の歩行法*1でゆっくり進んでいきます。最後に、黒いキモノを着た白石加代子が、ゆっくりと登場します。
 跪いた白石は、老いた王妃ヘカベとして語り始めるのですが、ここで私はもう彼女の演技に圧倒されてしまいました。セリフの内容は、ほぼエウリピデスの原作通りです。途中、3人の侍が、ギリシア兵タルテュビオスのセリフを合唱します。原作では、次に狂った王女カサンドラが登場するのですが、鈴木版では、白石がヘカベとカサンドラを両方演じます。遠くに火が見え、「まさかトロイアの女どもが家の中に火を付けたのではあるまいな」と言うギリシア兵たち(侍)に、ヘカベは「いやいや、火を付けたのではない!娘カサンドラが駆けだして来ますのじゃ!」と答えるのですが、これをきっかけに、ヘカベである老婆が黒いキモノを脱ぎ捨てると、死に装束のような白いキモノを着たカサンドラが現れます。狂女カサンドラに憑依した白石の演技は、これまたゾクゾクするような圧倒的なものでした。次に登場するのは、原作通り、息子を抱えたアンドロマケ(王子ヘクトルの妻)です。こちらは杉浦千鶴子が演じています。カコヤニス版で子役が演じていた息子アステュアナクスは、鈴木版では、布製の、不気味な白いのっぺらぼうの人形です。アンドロマケのシーンは、少し原作と違っています。原作では、息子をギリシア兵に渡したアンドロマケは、そのまま兵士に連行されることになっているのですが、鈴木版の場合、息子を奪われたアンドロマケは、キモノをはがれてその場でギリシア兵(侍)たちに犯されてしまいます。原作にある、母が息子へ語りかける甘いセリフもカットされています。さらに、侍は、息子アステュアナクスを刀で斬り殺すのですが(人形の腕が実際に切り取られ、ある意味でかなり強烈なシーンです)*2同時にコロスである農民も斬り殺します。瀕死の農民は、地蔵菩薩(ポセイドン)に歩み寄り、救いを求めて手を伸ばすのですが、力つきて倒れます。地蔵菩薩はそれをただ見下ろすばかりです。この辺は、カコヤニスがいう「人間の人間による抑圧」を、原作以上に印象的に表現することに成功しているのではないか、と思いました。その後は、焼け跡での老婆のシーンを付け加えた、ラストへとつながっていきます(原作に出てくるヘレネは登場しません)。
 鈴木版とくらべると、ありきたりの感想ですが、やはりサルトル版(カコヤニス版も)は、身体性を欠いた、言葉だけの芝居だなという感じがします。鈴木によると、新劇を超えようとする演劇人はサルトルの大きな影響を受けた、ということですが、こうして見ると、鈴木の演劇は、サルトルの演劇をも明らかに超えています。とはいえ、この第一回利賀フェス時代すでに20年以上前なのですが……。とにかく、最近はまったく演劇を観ないので(といっても、昔もそんなに観ていたわけでは全然ないですが)たまにまた何か観に行こうか、という気もしてきました。
 さて、このDVDには、特典映像として、第一回利賀フェスのリポート(同じく当時NHKで放送されたもの)も収録されているのですが、これも面白かった。それについてはまた書こうと思います。

*1:しかしこれ、モンティ・パイソンのバカ歩きsilly walkに似ている。

*2:原作では崖から落とされて殺される。