クルド問題はわれわれの問題である

 最近、安彦良和*1の漫画『クルドの星』(文春デジタルマンガ館、上下2巻)を読んだのだが、なかなか面白かった。安彦の漫画作品はいくつか読んでいる(たぶん最初に読んだのは1990年代の『虹色のトロツキー』)が、『クルドの星』は未読だった。1985年から1987年にかけて、徳間書店『月刊少年キャプテン』で連載していたのだという。
 文春デジタルマンガ館版『クルドの星』の巻末には、複数の版に掲載されていた著者のあとがきが再録されているが、2005年に書かれた文で、彼は本作について「本業のアニメがかなり多忙だった中で書いた」もので「出来が良くない」と謙遜している。たしかに、歴史ものだと思って読んでいたら、最後の方で突然SFになったのは面食らったし、ラストもちょっと唐突なのだが、しかし、全体としては面白く良くできた作品だと思う。

 『デジタル大辞泉』によると、『クルドの星』とは次のような作品である。

安彦良和による漫画作品。クルド独立運動に巻き込まれた少年が人類史の壮大なミステリーの扉を開く、SF冒険譚。1985年から1987年にかけて、『月刊少年キャプテン』で連載。徳間書店少年キャプテンコミックス全3巻。クルドの星とは - コトバンク

 作品の舞台はトルコである。トルコには、「国をもたない世界最大の少数民族」とも言われるクルド人が1500万人居住している(これはトルコの総人口の20%近い数)が、トルコ政府は、長年に渡って「クルド独立運動」に苛烈な弾圧を加えてきた。
 『クルドの星』には、漫画連載当時トルコ首相だったオザルと思われる人物の演説シーンが描かれている。

一九二〇年の国辱的セーブル条約の幻影を追い、クルディスタンの独立を画策する彼らの主張は、国父アタチュルクの名において!!断固排撃しなければならない!クルドのゲリラは見つけしだい殺す!!諸君!!これが共和国トルコの決意であります!!(上巻173ページ)

クルドの星』上巻173ページ

トゥルグト・オザル

 セーブル条約とは、第一次世界大戦後の1920年8月、連合国とオスマントルコとの間で結ばれた講和条約であるが、この条約では、オスマン帝国の分割案が示されると同時に、クルディスタンクルド人の土地)の独立を認める内容も含まれていた。ムスタファ・ケマル(アタチュルク)*2が20年4月にアンカラに樹立した新政権はこれに反発。トルコに侵入していたギリシア軍を撃退し、オスマン帝国を倒した後、1923年にセーブル条約は破棄され、新たにトルコに有利なローザンヌ条約が結ばれた。その後、クルド人の居住地は、もともとは西欧列強が勝手に引いた国境線にしたがって、トルコ、イラク、シリアなどに分断されてしまった。以来、トルコ政府は、クルド人は「山岳トルコ人」であるとして、クルド語の使用やクルド名を禁ずる同化政策を行うとともに、クルド労働者党PKK)などによる独立運動を弾圧してきたのである。
 さて、先程引用した『デジタル大辞泉プラス』では、『クルドの星』の主人公の少年(ジロー)が「クルド独立運動に巻き込まれた」と書かれている。しかし、この記述には問題がある。主人公の少年ジローは、クルド独立運動に「巻き込まれた」というわけではなく、少なくとも途中からは明らかに主体的にこの運動に参加し、トルコ軍との激しい闘いに身を投じていくのである。
 日本人の父親とクルド人の母親をもつジローは、幼い頃に生き別れた母親を探してトルコを訪れるのだが、クルドゲリラに、母親に会わせると騙され、クルドの共同体の族長の元に連れてこられる。ジローの母親の行方は未だにわからないのだが、彼女は実は族長の娘であり、族長はジローを跡継ぎにしようと考えていたのだった。一度はそれを断ったジローだったが、その後、クルドの集落に対するトルコ軍のみさかいのない爆撃と機銃掃射を目の当たりにする。爆撃で妻を失ったクルドゲリラのリーダー、デミレルは、ジローを騙して連れてきてしまったことを反省し、ジローに「帰ってもいいんだぜ、日本(ジャポン)に…族長には……なんならオレが話してやったっていい。選ぶなら……たぶんいまが最後だ」と提案する。しかしジローは、「クルド人」として、ゲリラとともに戦うことを選ぶ。

その顔は………いいんだな オレたちと一緒でかまわねえんだな!?ならばおまえは…”クルドの星”の戦士(フェダイーン)だ、ジロー!!」(上巻167ページ)*3

 だが、ジローのこの主体的な選択を否定し、彼が単に「巻き込まれた」ことにしておきたい人々が、作品の中には描かれている。日本政府である。「日本人」ジローがクルドゲリラに加わっているという情報を得たトルコ軍の大佐は、アンカラ日本大使館に赴いてそれを報告する。駐トルコ日本大使ヒライは「ウ〜〜ム…まずいな、クルドといい…年齢といい…、過激派の関係とか、そういった思想的な背景はないと思いますが…いけませんな、それにしても」と迷惑そうにつぶやくが、トルコ軍大佐はこう詰問する。

「そう!!貴国との親密な関係にキズがつく!!ゆゆしきことです!!他のことならともかく、クルドのゲリラに加担するとは、子ども一人のこととて軽々にすますわけにはいきませんな。」

 ヒライ大使はこう答える。

「よくわかりました。しかし大佐、当方はあくまで日本人真名部次郎は誘拐されたものと考えたい。ゲリラとともに居るということで即断はしたくない。」

 つまり、日本政府は、ジローの行動を「あくまでも彼の主体的な行動ではない」ということにしておきたいのである(下巻18〜19ページ)。

クルドの星』下巻19ページ

 ところで、1998年に書かれた、中公文庫版の著者あとがきによると、あるジャーナリストが安彦の『クルドの星』を、トルコ領クルディスタンクルド人たちに見せたのだという。クルド人たちは喜んだそうだ。「トルコ軍と戦うクルド人が格好良く描かれているという点が圧政下の彼等にウケた」と聞いた安彦は、赤面した、と書いている。

クルドの星』上巻266ページ

 しかし、圧政下の民衆とともに戦うゲリラが「格好良く」描かれる漫画は、おそらく極めて少ないのではないか*4。主人公ジローがクルド独立運動に主体的に加わっていったのと同様に、クルド独立運動を「格好良く」描くことで、作者安彦良和も、この運動に主体的にコミットしているといえる。また、上で引用した大使ら日本政府の態度や、幼少時のジローが日本で差別を受けるシーン(上巻99ページ)を描くことで、安彦は、クルド問題が他人事ではなく「われわれの問題」でもある*5ことをはっきりと自覚している。

クルドの星』上巻99ページ

 実際、日本には『クルドの星』で描かれたようなトルコ政府の圧政から逃れてきたクルド難民が多数暮らしている。しかし、日本政府はこれまでただの一人もクルド人難民認定していない。それは、漫画の日本大使館での会話にあったように、日本政府が、トルコとの「親密な関係にキズがつく」ことを恐れているからである。それだけではなく、難民申請が却下されたクルド人たちは退去強制となり、従わない場合は入管収容施設での長期収容、医療放置、職員による暴行などの虐待が行われている。トルコ政府によるクルド人への弾圧を、日本政府が肩代わりしている形である。
 しかし、多くの日本人は、クルド問題だけではなく、あらゆる「政治的な」問題を、自分とは関係のない、決して「巻き込まれ」てはならないもの、として捉えている。だから、日本の漫画では、主人公が「政治的なもの」に主体的にコミットする場面が描かれることは少ない。「政治的なもの」に関わる人間は、狂信的な、残忍な、あるいは愚かな人間として描かれる。「政治的なもの」から距離をとる作者のそうした態度こそが、今の日本では、世の中を冷静に俯瞰して見ている「格好良い」ことだとされているのだ。だが、実際は、上に述べたようにわれわれはすでに「巻き込まれて」いる。そのことに気づかないふりをしているだけなのだ(それを「自己欺瞞」と言う)。
 最後に、『クルドの星』の終盤のSF描写についてだが…。ネタバレになるが、本作のSF設定をいくつか書き出してみる。

  • 旧約聖書ノアの方舟)がモチーフ
  • 秘密の研究室の地下に「アダム」が保存されている。
  • 「アダム」とは、20年前にアララト山で研究者が発見した氷づけの古代人
  • 「クロマニヨンはどこからきたのか…ひょっとすると彼らは外来者=宇宙人じゃないのか」との言及あり(上巻128ページ)。
  • 研究者だった主人公の父は、主人公の母の母体とアダムの生細胞を使ってアダムのクローンを生みだす

 等々。どうだろうか。1990年代に一斉を風靡したあのアニメのことを思い出したのは私だけではないと思う(ネット上では、両作品の類似性について言及している人は見つけられなかったが)。『クルドの星』が、某アニメのストーリーの発想元の一つだった可能性はあるのではないだろうか。
 本人も公言しているが、庵野秀明は先輩アニメーターである安彦良和から多大な影響を受けているようだ。しかし、「政治的なもの」に対する態度について言えば、両者は全く違うと言えるだろう。庵野が監督した『シン・ゴジラ』の中で、市民のデモ隊が、徹夜で働く政府の役人と対比して、とても「格好悪い」ものとして描かれていたことからもわかるように*6

 

*1:安彦良和といえばガンダム、かもしれないが、私はガンダム世代にもかかわらずガンダムにははまらず、というかはまりそこねて今に至る。そのことについてはそのうち書こうと思っている。

*2:「アタチュルク」とは「父なるトルコ人」という意味

*3:ジローはその後、イラクでのクルド人蜂起の指導者になってほしいとデミレルの要請を受けるのだが、ジローはこのときもまた「いやだ」とはっきり断っている(失踪した父親の手がかりを求めてアララト山に向かうことを決断していたため)(上巻233〜235ページ)。

*4:架空実在を問わず、大国の正規軍が「格好良く」描かれる漫画ならいくらでもあるが。

*5:「黒人作家のリチャード・ライトが最近、言っている。「合衆国には、黒人問題など存在しない。あるのは白人問題だ」と。これと同様に、われわれは、反ユダヤ主義は、ユダヤ人の問題ではない、われわれの問題であるということが出来よう」(サルトルユダヤ人』岩波新書、187ページ)。

*6:もちろん、政府の役人を「格好良く」描くのも「政治」なのだが、その自覚はないだろう。

うちはワイロで大きくなった〜!

www.tokyo-sports.co.jp

 この記事を読んで、「ソ、ソ、ソクラテスかサトテルか〜」というダジャレを思いつきました。

 前から、「サトテル」という文字列を見るたびに「サルトル」に空目していたので。

 元ネタは、1976年のサントリーオールドCMでの、野坂昭如の歌「ソ、ソ、ソクラテスプラトンか〜、ニ、ニ、ニーチェサルトルか〜、み〜んな悩んで大きくなった〜」という歌詞です(作詞は野坂ではなくコピーライターの仲畑貴志らしい)。

youtu.be

 それにしても某会社、悩んで大きくなった哲学者とは違って「うちはワイロで大きくなった〜」ということのようです。

【安倍晋三】社長はアベ友…「桜を見る会」前夜祭にサントリーがお酒無償提供で関与の衝撃|日刊ゲンダイDIGITAL

 ところで、当時、このCMに合わせて、底に哲学者の顔が彫られた「哲学者グラス」という販促品が作られていたのですが、調べたところ、どうも「ソクラテスプラトンニーチェゲーテ」の4種類しかなかったようです。サルトルが、歌詞にないゲーテ*1に置き換えられている、サルトルフォビアか!*2と思いましたが、当時サルトルは存命中(1980年死去)なので、作りにくかったとかかな。

 それにしてもサトテルこと佐藤輝明、「固定観念に縛られない、自分が正しいと思っていることでも、本当はそれが間違っているかもしれないという視点を持つことで、本当の正解にたどり着くことができる」とは良いことを言うではないですか。野球選手としてだけではなく、なかなか「大物」です。「お前はもっと(固定観念に)縛られろ!」などという洞窟の住人たちの言うことは気にせず、権力者にすり寄って「大きく」なった某会社の真似もせず、悩んで大きくなってほしいですね。

*1:と思ったら、ニ番にギョエテが登場するようです。

野坂昭如 ソ・ソ・ソクラテス 歌詞 - 歌ネット

*2:哲学・思想業界では長い間サルトルを嫌ったりバカにしたりする風潮が続いていて、その現象をサルトルフォビアと言います。

『やさしい猫』の昨日と明日

※小説『やさしい猫』および映画『イエスタデイ』についてのネタバレが多少含まれています。

 日本人は、入管のこと、在留資格のことを、なにも知らない。それらをすべて説明するのは困難だと思ったのです 。(中島京子『やさしい猫』中央公論新社、2021年、p.382)

 中島京子の『やさしい猫』は、入管問題をテーマにした小説だ。舞台となっている多くの実在の場所、例えば、東京都港区の東京入国管理局(現在は東京出入国在留管理局)や、茨城県牛久市の東日本入国管理センターの、建物周辺、面会受付、面会室の様子、などは、克明に描写されているので、その場所を「知っている」人ならば、情景が即座に目に浮かぶだろう。もちろん、「知らない」人にはそうではないだろう。
 ところで、「知っている人ならわかるけど、知らない人にはわからない」もの、といえば、これもそうだろう。

 クマさんの困った顔は、『イエスタデイ』という映画の中でジャック役のヒメーシュ・パテルがする顔に似ている。売れないミュージシャンが自動車にはねられたあと、気がつくと自分しかビートルズを知らない世界にいるっていうコメディ映画で、主役をやってたひとだ。その映画には、本物のエド・シーランが出ていて、ジャックが「ヘイ・ジュード」を歌うと、すごくいい曲だけど提案がある、タイトルは「ヘイ・デュード」にしろよ、と言う。そのときのジャックの顔は、クマさんの困った顔に似ている。(『やさしい猫』25-6頁)

 私は、『イエスタデイ』という映画は観たことがなかったし、ヒメーシュ・パテルという俳優も知らなかったので、いったいどんな顔なのか、想像するしかない。しかし、気になる。行ったことのない場所(たとえば『やさしい猫』の主人公クマさんの故郷であるスリランカ)にはすぐ行くことはできないが、観たことのない映画は、最近は、場合によってはネット経由で即座に観ることができる。というわけで、ネットレンタルして、映画『イエスタデイ』を早速観てみた。そして、めでたくその「クマさんの困った顔」を確認することができて、つまり、「知らなかったこと」が、「知っていること」に変わって、すっきりした。

 が、観終わったあと、『やさしい猫』という小説と、『イエスタデイ』という映画は、実は「知らない」ということに関していろいろつなげて考えられるのではないか、と気がついたので、少しそれについて書いてみる。
 『やさしい猫』の語り手であるマヤが言っているとおり、『イエスタデイ』という映画は、「売れないミュージシャンが自動車にはねられたあと、気がつくと自分しかビートルズを知らない世界にいる」という映画である。もちろんこれは「ビートルズ」というところがポイントで、おそらく映画を観る世界中のほとんどの観客が「知っている」超メジャーなバンドであるからこそ、それを「誰も知らない世界」というのが映画になる。たとえば、マヤが説明しているように、映画にはエド・シーランというミュージシャンが本人役で出演しているのだが、この人のことを私は知らなかった。ロック系の音楽に疎いので、名前ぐらいは聞いたことがあっても、顔も、曲も、思い浮かばなかった(映画を見て、こちらも確認できたが)。というわけで、もし映画の設定が「自分しかエド・シーランを知らない世界」だったら(エド・シーランさんには失礼な言い方になるかもしれないけど)たぶん微妙すぎるし、映画として成立し難いだろう。
 さて、自動車にはねられたあと、主人公のジャックは、最初は、世界が昨日までの世界と変わってしまったこと、つまり「自分しかビートルズを知らない世界」に変わってしまったことに気が付かない。ジャックは、マネージャー役の幼馴染エリーとの会話の中で何気なくビートルズの曲名やバンド名を出したときに全く反応がないので、違和感を少しづつ感じ始めるのだが、決定的だったのは、友人たちが開いてくれた彼の快気祝いのパーティーでの出来事だ。事故で壊れてしまったギターの代わりに、新しいギターをプレゼントされたジャックは、「楽器にふさわしい曲を」とビートルズの「イエスタデイ」を歌う。感動したエリーは、驚いて、ジャックに「いつ書いたの?」と聞く。ジャックは「俺じゃない、ビートルズだ」と答えるが、「誰、それ?」というみんなの反応。なんの芝居だよ、からかうなよ、とイラつくジャック。微妙な空気が流れたあと、友人ニックがこう言うのだ。

 ミュージシャンてやつは、誰もがマイナーなバンドを知ってると信じてる。で、知らないと驚くんだ。ニュートラル・ミルク・ホテル*1とかさ。ビートルズも同じだ。(ダニー・ボイル監督『イエスタデイ』2019年)

 ここでニックは、ジャックの態度に、「知らない」ことを見下すような雰囲気を感じ取って、皮肉を言っているのだろう。「誰も知らないことを私だけが知っている」ことは、優越感につながる場合があるからだ。しかし、実際にはそれは誤解である。ジャックは、「誰もが知っているはずのことを誰も知らない」というパラレルワールドに迷い込んで、純粋に「驚き」と「戸惑い」を感じていたのである(そして、あの「困った顔」になっていたのだ)。
 ところで、『やさしい猫』の主人公の家族が体験したことも、映画『イエスタデイ』の主人公ジャックが体験したことと、実は少し似ているのである。『やさしい猫』の主人公たちは、突然、予想もしなかったトラブルに巻き込まれる。一種の「事故」とさえ言える出来事だ。家族の一員であるスリランカ人のクマさんが入管に収容されてしまったのだ。この事故のあと、家族にとっての日常は、とてつもなく理不尽なパラレルワールドのようなものに変化する。そして、彼女たちは、信じられないような入管の実態を知ることになる。しかし、そうした実態は、日本社会の中でほとんど知られていない。つまり、彼女たちは、「誰も知らないことを知っている」状態に(心ならずも)なる。

 だけど、クマさんはクマさんで、ほんとにたいへんな日々を過ごしていたらしい。だって「収容」って、なにがなんだか、わからないでしょう? クマさんだって、自分がそんなことになって、はじめて実態を知ることになった。東京入管の収容所は、あの湾岸の大きな建物の七階にある。JRの品川駅よりも、もっと近いのは、りんかい線東京モノレールが乗り入れている天王洲アイル駅だってことは、意外に知られていない。 天王洲アイルっていえば、ドラマの撮影とかしてるとこでしょ。レインボーブリッジも近い、ウォーターフロントおしゃれエリアから徒歩圏内に、いろんな国から来た外国人がさまざまな理由で「収容」されてる一角があるなんてこと、知ってる人のほうが少ないんじゃないかと思う。(『やさしい猫』p.184)

 もちろんこの状態(誰も知らない入管の実態を自分たちが知っている状態)は、優越感を感じさせるようなものではまったくない。むしろ、自分たちを苦しめている入管のことを「誰も知らない」ことが、さらに主人公たちを苦しめるのである。
 こうして、主人公たちの「孤独な」たたかいがはじまる。ただ、彼女たちは、たたかいの中で、入管のことを「知っている」人たちと出会い、いっしょにたたかうことになる。ちょうど、映画『イエスタデイ』のジャックが、パラレルワールドで、自分と同じようにビートルズのことを「知っている」少数の人と出会い、お互いをはげましあうことになるように。
 そんな中、主人公マヤは、ハヤトというクルド人の青年と出会う。ハヤトの父親と兄は、クマさんと同じように入管に収容された経験を持っている。ハヤトの両親は、トルコでの迫害をのがれて来日した難民だ。しかし、一家は難民申請をしているにもかかわらず、認定はされず(日本での難民認定率は1%以下で、難民認定されたクルド人はこれまで一人もいない)退去強制令が出されている。ハヤトは日本生まれだが「赤ちゃんのときから」正規の滞在資格をもたない「仮放免者」として生きているのだ。日本で生まれ日本で育っても、行ったことのない国に「帰れ」と言われる。おかしな話だが、これはパラレルワールドでも鏡の国でもなく、現実の世界での話なのである。
 あるときマヤは、収容されているクマさんと面会して、被収容者が病気になっても詐病と決めつけられたり、医師の診察を受けるには申請書を書いて2週間も待たされる、という入管収容の実態を聞かされる。心配になったマヤはハヤトにその話をする。ハヤトはそれを聞いても驚きもせず、入管の中で死亡した被収容者もいる、と答える。

「え、まさか、ほんとに、亡くなった人が、いるの?」
「マヤ、知らないの?」 
「どういうこと? 病気で、治療が受けられなくて、亡くなった人がいるの?」
「日本人は、あそこでなにが起こってるか、ぜんぜん知らないよね」
そう言うと、ハヤトはきれいな茶色の瞳でまっすぐこっちを見た。それから、目をそらして遠くを見て、なにかをあきらめたみたいに言った。
「オレはいろいろ知ってるけど、言わない。だって、マヤ、父ちゃんのことが心配になっちゃうだろ。オレは兄貴や親父が収容されたとき、心配で気が狂いそうだった。(……)」(『やさしい猫』p.227)

 こうして、マヤは、入管に苦しめられている自分が、入管のことを何も知らずに暮らしてきた「日本人」でもあることを思い知らされるのだ。でもそれだけではない。マヤはこの後、あることを「知らなかった」ことで大切な人を傷つけてしまう、という残酷な体験をすることになる*2
 このように、主人公たちは、実に「たいへんな日々」を過ごすことになるのだが、彼女たちをこんなたいへんな目にあわせたもの、それは『イエスタデイ』のジャックの場合のような事故でもタイムスリップでもなく、「入管」である。そして、入管は、なぜこんなにも好き勝手に外国人やその家族を「たいへんな」目にあわせることができるのか。その原因の一つが、ハヤトが言うように、日本人が、入管でなにが起こってるか「ぜんぜん知らない」ということにあるのはたしかだろう。入管による人権侵害が、「密室の人権侵害」と言われるゆえんである。
 ところで、住宅街などで、恐ろしげな眼のイラストと「みんな見てるぞ」という文字が書かれたステッカーが貼られていることがある。これは、防犯ステッカーで、窃盗犯などへのメッセージらしい。つまり、みんなが見ていると思えば悪事をしにくくなるだろう、ということなのだろう*3。このステッカーにはメッセージの外国語訳が添えられているものもあるのだが、中国語が不自然に大きく書かれていることがある*4。となると、このステッカーは、窃盗犯へのメッセージと見せかけながら、実際は「日本人」へのメッセージなのではないか、という疑惑が生まれる。つまり、ここには「窃盗犯には中国語でメッセージを書く必要があるのですよ、つまり窃盗犯は中国人なのですよ」というメタ・メッセージが隠されているのではないか*5
 ちょっと脱線してしまったけれど、入管はというと、逆に、誰も見ていない、誰も知らない、と思うからこそ、思う存分悪事(人権侵害)に励む*6ことができる、というわけだ。
 ところが、自分たちは人々の「無知」の陰に隠れて悪事を働いておきながら、入管は、あろうことか、主人公たちの「無知」を責めたてるのである。退去強制の行政処分の取り消しを求める裁判の中で、被告代理人の訴務検事は、原告であるクマさんにこう質問する。

 入管を、なにか冷酷非情な組織のように勘違いされている方も多いんですが、オーバーステイにならないように、いくつものオプション、いくつもの救済策を準備しているんですよ。それをご存知なかった。調べようともしなかったとは、ご自分で、怠惰だとは思われませんか?(『やさしい猫』p.376)

 つまり、クマさんが「知らなかった」こと、それによって苦しんでいることは、全部「自己責任」だ、と言いたいようだ。かと思えば、この訴務検事は、クマさんが「知っていた」ことも、攻撃材料に使ってくる*7

さっきの質問に答えてください。不法就労だと知っていましたね?(『やさしい猫』p.377)

 ただ、この裁判の中で、原告代理人の恵弁護士は、クマさんがあることを「知らなかった」ことを逆手にとり、決定的な反撃の武器にする。ここは、この小説の中で最もスリリングであり、痛快な場面である。
 このように、日本人が入管のことを「知らない」ことは大いに問題なのだが、ただ、「知らない」と、「知らないふり」の境界線は、実はけっこうあいまいなのだ。1950年代、アルジェリア戦争の際、フランス軍によるアルジェリア住民の虐殺、レイプ、拷問、などの残虐行為を本国の人々が「知らない」ままでいるように、フランスでは周到な情報統制が敷かれていた*8。しかし哲学者のサルトルは、当時、「無知な」フランス人たちが、眠らされ、騙されていた、とは考えない。彼らはある意味で「無知」であることを選んでいたのであって、フランス軍による虐殺に対して、無罪ではなく共犯者ですらある、と言うのだ。

 もしわれわれが眠れるものなら、そして何も知らずにいられるものなら! もしわれわれが沈黙の壁によってアルジェリアから隔てられているのだったら! もしわれわれがほんとうに騙されているのだったら──そのとき、外国の人びとはわれわれの知能を疑うかもしれないが、われわれの無罪は疑いようもないだろうに。
 われわれは無罪ではない、汚れているのだ。われわれの良心は乱された〔トゥルブレ〕のではない、しかしそれは濁っている〔トゥルブル〕のだ。指導者たちはそれを良く承知しており、われわれがそういう状態にあることを好ましいと考えているのである。彼らがその慎重な配慮や見え透いた手心によって獲得したがっているものは何かといえば、それは見せかけの無知に隠れたわれわれの共犯なのである。*9

 入管もそうだ。日本人が、入管のことを「知らない」ままでいようとすること、つまり「見せかけの無知に隠れたわれわれの共犯」こそが、入管が欲していることだろう。

 でも、遅いということはない。いまからでも、「われわれ」は、入管のことを知るべきだし、知ることができる。入管のことを「知っている」のは、意識高いことでも、偉いことでもない。しかし、入管のことを多くの人が「知らない」「知ろうとしない」ということは、本当は、おかしいことで、驚くべきことで、困ったこと、なのだ。

 小説の最初のほうに、マヤのこんな言葉がある。

 でも、きみは知っておくべきだと思う。(p.19)

 小説を最後まで読むと、われわれは、この「きみ」が誰なのか(そして「やさしい猫」というタイトルの意味も)知ることになる。しかし、マヤが語りかけている「きみ」とは、そこで明らかになる人物のことだけではなく、読者である「われわれ」でもあるのではないだろうか。

www.chuko.co.jp

 

 

イエスタデイ (字幕版)

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*1:もちろん私は知らなかったが、これも実在のバンドだそうだ。

*2:そういえば、映画『イエスタデイ』も、主人公ジャックがあることを「知らなかった」ことで大切な人を傷つけてしまう、ということがストーリーの軸となっている。

*3:哲学者サルトルの主著『存在と無』には、窃視者が、背後に他者のまなざしを感じて羞恥にとらわれるという有名なシーンがある。(Sartre, Jean-Paul, L'Être et le néant, Gallimard, 1943, rééd., coll. «Tel», 1976, pp.298-299, ジャン=ポール・サルトル、松浪信三郎訳『存在と無』Ⅱ、ちくま学芸文庫、2007年、107-110ページ。))

*4:このサイトhttps://san-tatsu.jp/articles/82742/の中程にその写真がある。

*5:このステッカーを2000年代はじめに発案したのは石原慎太郎であるとも言われていて、ますます疑惑は強まる。

*6:もちろん、主観的には「日本を悪い外国人から守る」という良いことをしている、と思っている場合も多いわけだが。

*7:この訴務検事は架空の人物だが、こうした主張はいかにも入管が実際に言いそうなものである。

*8:「フェラガ〔アルジェリアの抗仏パルチザン〕」たちがヨーロッパ人の一家を殺害したとすると、大新聞はこと細かにこれを報道し、段損された死体の写真まで掲載する。ところが逆に、イスラム教徒の一弁護士がフランス人の拷問に対して自殺以外の救いを見出せなかったとすると、この事件はわれわれの感受性を傷つけないようにわずか三行で片づけられてしまうのである。隠蔽し、ごまかし、嘘をつくこと。これがフランス本土の報道関係者の義務なのだ。唯一の犯罪とはわれわれの平安を乱すことだ、というわけであろう。」(Sartre, «Vous êtes formidables», dans Situations, V [«Colonialisme et néocolonialisme»], Gallimard, 1964, p.59. /サルトル、二宮敬訳「みなさんは素晴らしい」『シチュアシオン V』(サルトル全集第31巻)所収、人文書院、1965年、44ページ。)

*9:Ibid., pp.60-61. /同、45ページ。

過去との戦い

 連日記録を更新している阪神である。「猿虎」の「虎」はタイガースのことで、このブログの前身のホームページでは、しばしばタイガースの話題を書いていた。そしてそのころはいわゆる暗黒時代。なんかそのころを思い出す懐かしさである。

 今年の阪神はもちろん大変なことになっているが、去年の横浜もなかなかに大変なことになっていた。

新型コロナウイルス感染症の影響で外国人選手が12球団で唯一全員来日できず、戦力が揃ったのは4月15日のことであった。この影響で3・4月は2引き分けを挟んで10連敗を含む6勝21敗4分と大きく負け越した。

2021年の横浜DeNAベイスターズ - Wikipedia

 つまり去年の横浜は3.4月勝率は .222であったことになる。

 さて、2022年の阪神は、現在17試合で、1勝15敗1分、勝率  .063である。4月はあと残り14試合。勝数でいくと、あと5勝すれば、横浜の3・4月の勝数6に並ぶ。しかし、去年は延長がなかった関係でどのチームも引き分けが多く、横浜も3・4月だけですでに4引き分けしている。今年はそこまでの引き分けはないだろうことを考えると、もし阪神がこのまま4月に引き分けがなかった場合、残り5勝では、3・4月は6勝23敗1分、勝率 .206 となり、去年の3・4月の横浜の勝率を下回ってしまう。というわけで、阪神は4月はのこり6勝しなければならない。あるいは、5勝しかできなかった場合あと3回引き分けがないと勝率で去年の3・4月の横浜に負けてしまう。

 4月残り6勝8敗とは、勝率 .429という、現在のセ・リーグ5位横浜(.417)、パ・リーグ4位オリックス(.400)、5位西武(.400)、6位日ハム(.250)を上回るペースで勝たなければならないということ。なかなか厳しいっすね。

 

「人が死んでるんですよ」「それで?」

一日過ぎましたが、4年前の昨日、2018年4月13日、東日本入国管理センター(牛久)でインド人のディパク・クマルさん(当時32歳)が自殺しました。この年は、5月中旬に40代の日系ブラジル人、30代のカメルーン人、20代のクルドトルコ人が相次いで自殺未遂をしています。

(自殺したクマルさんは)極貧家庭の5人きょうだいの末っ子。家族らによると、インドでは靴職人として働いたが、月収は家族7人で計7千~8千ルピー(1万2千円程度)。同州の1人あたりの平均月収すら下回る。家計を助けるため金融会社でも働いたところ、借金を肩代わりする羽目になった。「殺す」と脅され、身を守るために2017年4月、「安全」と聞いた日本へやってきた。

 だが、ビザは短期滞在しか認められない「乗り継ぎ」名目。不法滞在を理由に17年7月、東京入管に収容された。「インドに戻れば殺される」と、帰国は拒否。難民認定を申請したが、結果は不認定。センターの外に出られる仮放免の申請も認められなかった。

 命を絶ったのは、仮放免不許可を知った翌日。収容者仲間は「絶望した」と推し量り、インドに住む兄のサンジブさん(35)は「弟は重罪を犯したわけではないのになぜ、死に追い込まれたのか」と悔しがる。(……)

 難民とは別に、家族状況や素行などを考慮し、法相が裁量で決める「在留特別許可」もある。外国人問題に詳しい指宿昭一弁護士は、長期収容者の状況を精査すれば、この対象になる人が多い可能性があると指摘する。ただ、ここ数年は日本人の配偶者や子どもがいても、許可が出ないケースが相次いでいるという。

 法務省の担当者は「在留特別許可はガイドラインにのっとっており、厳しくも甘くもしていない」と話すが、17年に許可を得たのは1255人で、12年の2割程度。現在、在留資格のない約50人を担当しているという指宿弁護士は「多くが従前なら認められていたが、全く許可が出なくなっている。異常な事態だ」と語った。

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 ところが、クマルさんが亡くなったあとも、入管は何事もなかったかのように通常業務を続けていたということです。

 東日本入管センターの被収容者たちは、15日ごろから、クマルさんを追悼できるように花や写真を置くこと、また職員たちがクマルさんの死をいたむ意思を示すことを職員らに求め、それによって、ささやかな追悼の場がやっと設けられたということです。人一人の死を悼むという当たり前の人の心を持っていた被収容者たちと、その心を失ってしまっている入管職員たちの違いは明らかです。

 同じブロックの仲間の死にショックを受けた5Aブロックの被収容者たちは4月15日ハンガーストライキを開始しました。このハンストは東日本入管センターでまたたく間に広がり、120名以上という日本の入管収容施設における史上最大規模のものとなりましたが、当時日本社会においてどれだけ注目されていたでしょうか。

 ハンストを通じての要求項目は、以下のようなものだったそうです。

 

・Dさんの死亡の原因について、自分たち被収容者に説明すること。ほんとうに自殺なのか、そうでないのか。自殺なのだとして、その原因はなんだと入管は考えているのか。センターの所長は、Dさんの死についてどう責任を認識しているのか。

・長期収容をやめること。Dさんは仮放免不許可をつげられた翌日に死亡している。東日本センターをふくむ入管収容施設における、近年の超長期収容がDさんを死に追いやったのではないか。

・医療を改善すること。診療を求めても、1ヶ月以上も待たされる。

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 このハンストに対して、センター側は、表向きは「(ハンストは)健康を害する恐れがあり、中止するよう説得している」とマスコミに答えていました。ところが、実際は、入管はこの大規模ハンストに対して説得など何もせず、無視、黙殺する姿勢をとっていたということです。

 また、クマルさんが亡くなった4月13日の夕方には、彼が亡くなった5Aブロックでこのような出来事があったそうです。開放処遇の時間が終わっても居室に戻らない被収容者たちに「部屋に戻りなさい」と命じる職員に対して、同国のひとが「人が死んでるんですよ」と言ったところ、職員のひとりがこれに「それで?」という言葉を返したというのです。

 この発言を近くで聞いていたべつの被収容者が「人が死んだのに『それで?』と言うな!」と厳しい語調で職員に抗議したそうです。この人は、このときに自分で自分の頭を壁に何度か強く打ち付けたといいます。職員たちはこの人を組み伏せておさえつけ、力づくで連行して隔離処分にしました。頭を壁に打ち付けた行為を「自傷行為」とみなしてこれを防止するための隔離処分なのでしょうか。しかし、自傷・自殺をふせぐために入管がなによりもまずしなければならないのは、入管が被収容者の人命を大事にするのだという意思と決意を被収容者全体に示すことではないのでしょうか?

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 クマルさんの自殺から1年後の2019年4月13日、牛久センター近くで、市民約40人が哀悼の意を表し入管に抗議の声を上げました。

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#0413NeverForgetDeepakKumar

嘘つき火事場泥棒と、嘘を暴く弁護士と、後ろ弾を撃つ泥棒の応援団

 児玉晃一弁護士の「論座」記事「『ウクライナ避難民』を口実に入管法案を再提出するなら火事場泥棒だ」

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の要約解説です。

 

バナナもおやつに入ります(でもおやつは10円以内です)
 5つの理由(難民条約が定める人種、国籍、宗教、特定の社会的集団、政治的意見)に該当しなくても「迫害を受ける恐れがあるという十分理由のある恐怖」があれば準難民として認定しますよ(政府)
 ↑
日本の難民申請がほとんど認められなかったのは5つの理由に該当しないからではなく「迫害を受ける恐れ…」について国際常識に反した厳しすぎる判定していたから。
 例えるなら「おやつにバナナも入れていいことにしました」と言ってまるで規制を緩めたかのような言い方してるが、もともと「おやつは10円以下」というような常識はずれの厳しすぎる基準がおかしかったということ。そしてそれは政府が再提出をねらっている改正案(旧法案)でも変わらない。 

 

去年廃案になった法案はウクライナ避難民を保護できる法改正です(嘘)
 ウクライナ避難民は現状では難民認定できないので、去年廃案となった入管法改正案をもう一度通して「準難民」として保護します(政府)
 ↑ 嘘

今回報道された「準難民」というのが、旧法案の「補完的保護対象者」と同じものであれば、ウクライナからの避難民はまず該当する人はいないと断言できます(児玉)

補完的保護で今まで以上に保護できるようになります(嘘でした)
 廃案となった(そして再提出しようとしてる)旧法案の「補完的保護」では今まで保護されていた人も逆に保護されなくなる。
 2017〜19年に人道配慮で保護された18件に補完的保護の基準を当てはめると13件が保護されなくなる。

 

難民保護しまーす(タリバンに銃で脚を撃ち抜かれた人も戦下のアフガニスタンに強制送還しましたけど)
 日本政府はタリバンに脚を銃弾で撃ち抜かれたアフガニスタン難民が日本で難民申請した際、単なる内戦の被害者だから難民ではない、と、当時米軍によって空爆を受けている真っ最中のアフガニスタンへの強制送還を命じた。東京地裁、東京高裁もその判断を是認した。

 

ウクライナ避難民を保護しますよ(2年かかるけど)
 去年廃案の旧法案では、「補完的保護」には難民認定手続が必要となっていた。そして難民認定手続の「標準」は6カ月なのに、日本では平均2年以上かかっている。ウクライナ避難民に対してもそのぐらいかかることが見込まれる。

 

現行法ではウクライナ避難民は保護できませーん(嘘)
 国連難民高等弁務官事務所が2016年に公表した「国際的保護に関するガイドライン12」に従えば、ウクライナ避難民のほとんどは「難民」として認定・保護されるはずなので、そもそもウクライナ避難民を保護するために新しい法律の枠組みは必要ない。

ですから、新しい制度を設ける必要はなく、現在の難民認定制度の中で、UNHCRのガイドラインに沿って適切に難民認定をすればよく、もし難民として認定できない方がいても、人道配慮による在留特別許可をすればよいのです(児玉)

 

現行法では難民認定できない人も準難民で保護しまーす(その代わり人道的配慮のビザは出せなくなりますけど)
 また難民認定できなくとも人道配慮による在留特別許可をすることが現行法でもできるが、旧法案では逆にこれができなくなる(旧法案では人道的配慮による在留特別許可の条項が削除されている)

 

ウクライナ侵略に対応して法改正を急ぎまーす(専門部会の提言を7年間放置してましたけど)
 2014年の専門部会提言「難民条約上の難民に該当しないと考えられた場合であっても(…)国際人権法上の規範に照らしつつ(…)在留許可を付与するための新たな枠組みを設けることにより、保護対象を明確化するべき」を受けて準備していればウクライナ避難民も保護できていたが入管は提言を7年間放置していた。

 上記提言を受けて7年間以上も放置していたところ、今回のウクライナ危機を受けて、旧法案に盛り込まれていた「準難民」の概念を持ちだし、あれだけ批判を浴びて廃案に追い込まれた法案の再提出を目論む政府の姿勢。私は真っ先に「火事場泥棒」という言葉を思い浮かべました。
 ウクライナから庇護を求めてきた方々を保護するのは、現行法だけで十分対応できます。これに乗じて、どさくさにまぎれて、あれだけ多くの批判を受けた旧法案を提出する「火事場泥棒」は絶対に許されません。(児玉)

「難民を保護しますよ(政府)」←「嘘ですよ(児玉)」←「難民を受け入れるな!(ネット民)」

 以上「論座」児玉弁護士記事を要約紹介したが、これについているコメントが悲惨。
「立憲も今回の事態に便乗して難民受け入れ拡大を狙っている」
「ご都合主義の難民に日本を開放してはいけない」
「悪夢の民主党政権で改悪され、罪を犯した不良外国人に悪用されている入管法を必ず改正し…」

など。
 「(野党の難癖で)廃案になった旧法案は、本当は難民をより受け入れられるようになる法案だったので、再提出しますよー」という政府の嘘を批判する児玉さんに「難民を受け入れるな!」と言ってもそれは政府を後ろから殴ってることになってるのだがまあそんなことは彼らにはどうでもいいんだろうね。
 「難民・外国人を受け入れるな!」のコメントは、ある意味、政府の嘘の下に隠れた本音を暴いてしまっているとも言えるが、まあただ政府の本音は正確には「労働力は受け入れたいが居着かれるのは嫌」だけど。

 あとは、入管のこんな見え見えの嘘を批判的論評もなしにそのまま垂れ流すマスコミもどうかと思うし、児玉記事を「論座」に載せた朝日新聞も、入管のデマの報道官みたいな滝沢三郎のコメントと渡辺彰悟弁護士のコメントを「両論併記」みたいに載せた記事 

(ウクライナ侵攻)見える貢献、首相旗振り 国際社会や世論、意識 専用機使用、公平性に疑問も:朝日新聞デジタル

を出しているので、困ったものです。「デマ」と「正解」を「両論併記」であるかのように乗せると、デマがまともな論に格上げされ、正解への疑いが喚起されるので最悪です。滝沢三郎と渡辺彰悟を「両論併記」にするのは「太陽が地球の周りを回っている」と「地球が太陽の周りを回っている」を「両論併記」するに等しいですよ。

 

 

2010年4月9日

12年前の今日、2010年4月9日、40代の韓国人男性が東日本入国管理センター(牛久)で自殺しました。
2010年には、ブラジル人が牛久で自殺(2月)、ガーナ人が強制送還途中の空港で窒息死(3月)、フィリピン人女性が品川で死亡(4月)など相次ぎ、5月には牛久で約70名のハンストが始まりました。