「強制送還倍増計画」数値達成自体が目標になっていないか 以前は説得に応じない人だけだったのに」「東京新聞」2026年9月5日
東京出入国在留管理局(東京入管)が今夏、帰国の意思を示し航空券も購入していたトルコ出身のクルド人家族などを、強制送還していたことが分かった。政府は非正規滞在者を対象にした「ゼロプラン」で、国費による強制送還の人数を倍増させるとしているが、支援関係者からは、数値目標や予算消化ありきなのではないかと疑う声も出ている。(池尾伸一、飯田克志)
この記事にはこう書かれている
政府は非正規滞在者を生む外国人行政のひずみは放置したまま、送還体制の強化に躍起になっている。
そう、「非正規滞在者」は、外国人行政によって「生み出されている」。記事にあるように「入管庁の難民認定基準は国際比較で極端に厳しく、難民認定されず在留資格を失っても「命の危険があって怖くて帰れない」と帰国できない人も多い。技能実習生が受け入れ先で暴力を振るわれ逃げ出すケースも絶えない」ということによって、非正規滞在者は「生み出されている」のだ。
つまり、非正規滞在者を自ら増やしておいて「減らす努力をしています」とアピールしているのが入管だ。まさに「マッチポンプ」である。
マッチポンプの例えをもうちょっと実際に合わせて変えてみると、こんな感じだろう。
- 人の家に火をつける
- そこの住人を「こいつらが放火犯です!」と宣伝する
- 「放火犯をとりしまれ!」という声を煽る
- 被害者住人をいじめて「放火犯をとりしまつてます!」と宣伝する
問題は「自分で増やしておいて減らす」の、「減らす」の方法で、「強制送還(国費無理やり送還)」か「長期収容していじめて自主帰国を促す」かの二択になってしまっている。入管官僚だった池上務が、外国人は「煮て食おうと焼いて食おうと自由」と言った*1というのは有名だが、それでいうと、「強制送還」が「煮て食う」で、「長期収容」が「焼いて食う」なのだ。
上記記事でお二方の弁護士の見解が紹介されている。
今回の対応について渡辺彰悟弁護士は「自分で帰国する意思を示しているなら少し待てばよいだけ。性急に送還して本人たちに屈辱を与えるのは不当だ」と批判する。
駒井知会弁護士は今回の事例についても「予算消化が目的のようにみえ本末転倒だ。もっと丁寧に本人の意思確認をするステップを踏むべきだ」と警告する。
しかし、長期収容が横行していた2010年代に実際に行われていたのは、「帰国しない意思を示している」場合でも「少し」どころか、法律に期限が書いてないことを悪用して「無期限に」収用して「待つ」(収用は船待ち飛行機待ちのためと入管自身が言っているのだが、これではもはや「待つ」の意味は崩壊している)ことと、また、「丁寧な意思確認」とはほど遠い、自主帰国するように「翻意」させるための恫喝、脅迫、医療放置などの虐待、であった。
「強制送還」と「無期限収用」というこの2つの犯罪手口は両方ともずっと行われていたが、2010年に、ガーナ国籍のスラジュさんが強制送還の途中空港で入管職員に制圧によって殺害され、その後、前者の無理やり送還という手口は(入管にとって)「やりにくく」なった。そこで、後者の「長期収容していじめて自主帰国を促す」の手口がどんどん増えていった。これで多くの死者が出て、特に2021年ウィシュマさんの死亡が世間の注目をあび、またコロナ禍もきっかけで、この手口も「やりにくく」なった。で、結局また前者の「無理やり送還」という手口を増やすに至った、という、どうしようもない流れだ。
排外主義が高まっているので(これも自分たちで煽って高めた結果だが)「多少荒っぽいやり方をしても批判は来ないだろう。仕事がやりやすいぜ」とでも思っているのだろう。ただし実際は、非正規滞在者を全員強制送還することなど不可能なので、この手口も、主に排外主義者へのアピールと、非正規滞在者への脅しの意味が強い。
しかし、非正規滞在者を減らすもう一つの方法、入管がかたくなに使おうとしない方法がある。非正規滞在に在留資格を与えればいいのである。そうすれば非正規滞在者は確実に「減る」。2000年代の「不法滞在者半減5カ年計画」のときは、入管はその「方法」も結構使っていて、5万人も在特(在留特別許可)が出た、ということは知られている(【入管闘争市民連合パンフレット】増補版「なぜ入管で人が死ぬのか〜入管が作り出す「送還忌避者」問題の解決に向けて〜」14頁*2)。
だが、いまの入管は絶対このやり方を取ろうとしない。なぜなら、これをやって正規滞在者が「増える」と、自分たちの味方だと思っている排外主義者たちの支持を失ってしまう、と怯えているからだ。
とにかく、何かすると言えば「拉致する」「監禁する」「脅す」「虐待する」みたいな方法しか思いつかない入管とは、本質的にまさしく「組織暴力」でしかないのであって、そんなもの本当はいったん解体するしかないのである。
サルトルは「植民地主義は一つの体制(システム)である」という文章の中で、「植民者に良いのと悪いのがいる」と考える新植民地主義に警戒せよ、と言った*3。「良い植民者がおり、その他に性悪な植民者がいるとういようなことは真実ではないからだ。植民者がいる。それだけのことだ。」*4これをもじって言えば「良い入管と悪い入管がある」というのは事実ではない。体制(システム)としての入管がある。それだけのことだ。
*1:『法的地位200の質問』京文者、1965年、167頁
*2:入管、外国人、ウィシュマ | 入管の民族差別・人権侵害と闘う全国市民連合 | 日本
*3:Sartre, Jean-paul, «Le colonialisme est un système», dans Situations, V, Gallimard, 1964, p.25. サルトル、多田道太郎訳、「植民地主義は一つの体制である」『植民地の問題』人文書院、二〇〇〇年、三一頁.
*4:Ibid. p.27. 邦訳三三頁。


