先週の日曜日、http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20090925/p1で書いたデモに行ってきました。
これは、「みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会」主催の、「渋谷の宮下公園のナイキ化と、公園からの野宿者排除反対」のデモです。
ところで、おなじ日に、秋葉原で もうひとつのデモがありました。それは、「在日特権をゆるさない市民の会」主催の、「外国人参政権反対」のデモです*1。
後者のデモ(在特会のデモ)の参加者にむかって、ツネノさん(id:toled)が「排外主義に反対です」という紙をかかげたところ、デモ参加者に集団で暴行をうける という事件がおこりました。そのようすを うつした映像を、なんとデモ参加者じしんが、ほこらしげにyoutubeにのせたのです。
したのほうの映像には、おおくのはてなブックマークコメントがつきました。http://b.hatena.ne.jp/entry/www.youtube.com/watch?v=tTyANPKCczc
ここでは、在特会の「暴力」を肯定する意見はほとんど みられません。つまり(よそう されることですが)「暴力はいけない」という意見がほとんどです。
こうしたコメントをつけている人たちは、このような在特会の「暴力」が あらわれたことを憂いている、暴力を きらう、「ふつうの」「一般の」ひとたち、かもしれません。
そして、在特会の排外主義に反対しているひとの中には、「一般の」多くの人たちが在特会の暴力に反発している、ということにひとまず安心する、という人もいるかもしれません。
しかし、「一般の」ひとびとの「暴力にたいする反発」は、「デモにたいする反発」や「政治にたいする反発」と まざりあっています。じっさい、うえで紹介した「はてなブックマーク」のコメントには、「これだから右翼も左翼もきらい」という感じのコメントがたくさん見られました*2。
>右翼にしろ左翼にしろ、思想に染まっちゃうやつってどうして一般人が引くようなことを共感を得られると信じて言ったりやったりするのかね?カルト宗教とどこが違うの?バカなの?死ぬの?
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.youtube.com/watch?v=tTyANPKCczc
>政治活動といっても、思想や意見をマジョリティに訴える気は最初からないのだろう。
>右組も左組もマナーを守りましょう。印象操作もやめましょう。世の中を良くしたいという気持ちは共有できるはずなのだから・・・
>この手の話は左右係らずお互い自重って事で。
>イデオロギー以前に、人間として守んなきゃいけないものを守れないから右翼も左翼も嫌いなんだ。
>とにかく、こういうバカなことやる連中は右も左も淘汰されるべきだけど。これだから「自称絶対正義」は。
しかし、「右翼も左翼も」って言うけど、たとえばこの在特会のデモで誰も逮捕されなかった(警察の数もぜんぜんすくない)のにたいし、蕨市で在特会のデモがあったときは、それにたいする抗議行動をしていた左翼のがわが何人も逮捕された、というところを見ても、左翼と右翼のあつかいがまったく非対称的であることがわかるんですがね……。
また、この右翼の暴力を見て、「これでは昔の左翼と同じだ」とコメントしている人も何人かいました。
>暴力的な政治集団は誰からも支持を得られないのは新左翼運動で経験したはずなのに、この人たちは何も歴史から学ぼうとしていない
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.youtube.com/watch?v=tTyANPKCczc
>左翼のキチガイさを知ってる者としては同じ穴のムジナであるとしかいいようがない。
>新左翼が陥った地獄ロードを急加速させるのがネットの怖さ/しかし「9・27〜〜デモ」って表現、左翼運動の様式そのまんまだなあ。
「昔の左翼と同じ」っていうけど、じゃあ「昔の右翼」は暴力的じゃなかたとでも?といいたくなりますけど……。
というわけで、おそらく、私が参加した「みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会」主催の「野宿者排除反対」のデモも、「在日特権をゆるさない市民の会」主催の「外国人参政権反対」のデモも(どちらも「○○会」の「○○反対」デモだということもありますが)、「一般の」人たちにとっては、おそらくほとんど同じようなものと見えていた可能性があります。
「デモとかしているような暴力的でアブナい人たちは、ウヨクだかサヨクだか知らないけどいいかげんにしてほしい」という感じでしょうか。
じっさい、主張内容はともかくスタイルとしてみれば、この二つのデモはよく似ています。どちらが先だからどうだ、ということもないのですが、在特会の方が、「〜市民の会」という名称もそうですが、トラメガを使って「シュプレヒコール!」なんてやっているところもふくめて、左翼のスタイルをかなり取り入れていることは明らかだと思います。
それはともかく、在特会の排外主義・差別主義に反対する「左翼」としては、「一般の」人々に見られる「暴力きらい」の声に安心したり、ましてやそれに同調して、「在特会は、このように暴力的な集団〈だから〉ひどい」なんて言っていてはだめだ、ということです。そこのところは、事件の後、ほかならぬツネノさんが、ご自身のブログで明確に指摘しています。
nopikoさんが指摘したように(さるとら注:id:nopikoさんのブクマコメント「有形力の行使<だから>ひどいんじゃなくて、もうずっと長い間在特会は人傷つけてきたからひどいし、見過ごしてきたのもひどい。」のことだと思います)、問題はここに物理的暴力がうつっていることではありません。フランス国王の支配を覆したのも、大日本帝国を倒したのも、暴力です。暴力はそれ自体が直ちに悪いわけではありません。
http://d.hatena.ne.jp/toled/20090929/p1
しかしここには まごうかたなき悪があります。日の丸です。日の丸の暴力は、悪い。
そして街を歩いてみれば、いたるところにこの悪の旗を見つけることができます。役所に、学校に、競技場に。その旗と旗をつなぐようにして外国人差別のシステムは日本国家を構成しています。それが、すでに暴力です。なにもおこっていないかのような日常が、常に暴力です。そして在特会はこのシステムを構成する一要素です。けっして例外的なゴロツキではありません。
在特会を例外的な絶対悪として切り捨てたり、彼らの未熟さを嘲笑うことは、日本というもの自体の暴力や、「一般の」日本人の責任を曖昧にしてしまうでしょう。
単一民族強制されて、俺らほんとに超うぜえ(id:terracao)。在特会は、日本人の鏡です。
「在特会の暴力」は「日本というもの自体の暴力」でもある。在特会の暴力を「汚いもの」のように切断処理することで、「日本というもの自体」のほうが、まるで暴力とも排外主義とも無縁な、なにか「クリーン」で「ニュートラル」なもののように見せかけられてしまう。そうしたまやかしをも批判しなければならない。
同じことは、ロマンスさん(id:Romance)も書いています。
「在特会」なんていう差別者集団が大声をあげるに至る前から、もっと「ソフィスティケイトされた差別」が微量栄養素みたいに当たり前に必要とされて、日本社会のすみずみまで、血流のようなお金の流れに乗ってどこにでも存在していたように思います。
http://d.hatena.ne.jp/Romance/20090614#p1
この、「なにもおこっていないかのような日常」と切り離せないような、「日本というもの自体の暴力・差別」は、「ソフィスティケイト」されているため、一見「非暴力」であり「反差別」であるかのような見かけをとっているのです。
ここに書かれていますが、渋谷区の公園課課長は、宮下公園の野宿者にたいして「強制排除はしないが、〈やわらかな〉排除はする」と言っているそうです。この「〈やわらかな〉排除」ということばは、まったく象徴的だとおもいます。〈やわらかな〉排除によって作られるNIKEパークが、いかに〈やわらかな〉イメージをもっているか、が、渋谷区とナイキの調印を伝える「シブヤ経済新聞」の記事を読むと、よくわかります。
渋谷・原宿間のJR山手線と明治通りに挟まれるかたちで広がる宮下公園は、広さ1万808平方メートルの細長い立地。2006年6月には園内にフットサル場を開設し、壁面にグラフィティアートを施す「リーガルウォール」や、公園入り口ふもとの緑地帯に植物を育てる「シブハナ」など、地元NPOにも活動の場を提供してきた。
http://www.shibukei.com/headline/6347/
整備工事では、子どもや若者が楽しめるスポーツ施設としてスケートボードエリア、クライミングウォールなどを新設するほか、身体障害者や高齢者へ向けてエレベーターも設置する。フットサルコート、トイレ、外周フェンス、園内灯、ベンチも改修。ナイキジャパンの地域貢献の一環として、老朽化が進む園内環境の改善と、若者から高齢者まで幅広い層への場の提供を目指すという。
「ナイキはトップアスリートだけでなく、すべての人にスポーツの魅力を伝え、スポーツを通した社会貢献を行うことを使命とする」というナイキジャパンのジェームズ・ゴッドバウト社長は、調印に当たり「リニューアルについては、地域の皆さまや若者、子どもたちが、都会でも気軽に安心してスポーツを楽しめる環境を提供したいと考え、渋谷区に提案した。より多くの人たちが公園を利用し、活気ある場所になってくれることを願う」とコメントを寄せた。(強調引用者)
「リーガルウォール」*3!グラフィティというのは、リーガルな空間に抵抗するからグラフィティなんだと思っていましたが……。また、ナイキパークでは、有料のスケートボードエリアが作られるそうですが(ここに完成予想図があります)、wikipediaを見ると、スケートボード文化も、フィラデルフィアなんかでは、街からの排除をめぐって公権力とやりあってきた歴史があるみたいなんですよね。
とにかく、グローバル企業と国家権力が結託してつくりあげるこの〈やわらか〉で〈リーガル〉な空間は、イリーガルを身上としていた文化ですらも、無害化してとりこんでしまうのです。
ところで、宮下公園からの野宿者排除に反対するデモを主催したのは「〈みんなの〉宮下公園をナイキ化計画から守る会」ですが、じっさい、「一般の」ひとびとにとって、野宿者も、野宿者排除反対のデモをする人も、そもそも〈みんな〉のなかに入っていないのではないでしょうか。そしてむしろ、NIKEは、キタナくてアブナかった古い宮下公園が整備されてNIKEパークになって、「安心してスポーツを楽しめる」〈みんなの〉公園になるのだ、と言っています。それに納得する「一般のひとびと」も多いのではないでしょうか。
さて、デモの後、デモに参加した数人の人々と、代々木公園で開催されていた「インドフェスティバルhttp://www.indofestival.com/」(インド料理の屋台とかがいっぱい出ているイベントです)に行きました。そこでツネノさんとも合流し、とても楽しいときをすごしました。ツネノさんは「インドフェスタすばらしい 排外主義よりも、インドフェスタ!」(在特会のみんな、排外主義やめて毎日インドフェスやろう)と言っています。また「革命が成功したら毎日インドフェスやろうよ」とも言っています。(http://toled.iza.ne.jp/blog/entry/1244449/)
まったくそのとおりだとおもいます。しかし、そう言うと、こんなことを言う人があらわれるのです。「排外主義なんかよりもインドフェスタのほうが楽しい、なんていうことは、〈一般のひと〉〈大衆〉こそがよくわかっているんだよ。だからこそ、在特会のデモは数百人動員したかもしれない*4けど、インドフェスタは何万人というくらべものにならないぐらい多くの人出だよ」「『マンガ嫌韓流』とやらが売れているっていうけど、心配しなくても韓流ドラマに熱中する人のほうがはるかに多いよ」「排外主義とかいっても、みんな結局外国人が働いている居酒屋に行ってるよ」「というわけで、そんなに心配することはないんじゃないかな」とか。
いや、まあ、一般のひとびとが在特会よりもインドフェスを好む、というのが事実だとしても、だからっといって「排外主義よりも〈やわらかな〉共生主義?が結局勝つんだから、心配しなくていい」みたいなのは、ちょっと違うんじゃないか、と思うわけです。
じっさい、そのインドフェスにしたって、じつは〈やわらか排除〉の上に成り立っている、という面もあります。たとえば、インドフェスが行われた代々木公園でも2004年に野宿者の排除が行われたそうです(http://www.geocities.jp/nojirenjp/text/041119.html)。そして、インドフェスはその排除を行った東京都に使用許可を与えられて行われているわけで(東京都と外務省が後援に名をつらねています)まあいってみればこれも「リーガルウォール」だ、といえなくもない。いまはまだ革命前なので、わたしたちはどこへいってもリーガルウォールからのがれられないのです。とはいえ「欺瞞的なインドフェスタなんかいっちゃだめだ」とかそういうことではありません。わたしたちは、インドフェスタでおもいきり楽しむ〈と同時に〉、インドフェスタを〈ほんとの〉インドフェスタにするために、在特会的排外主義と、日本というやわらか排外主義に反対して、ハードなデモとかもしなくてはならないのではないでしょうか。
ところが、排外主義反対の〈ハードな〉デモにたいして、「じぶんも左翼なんだけど」などと前置きをした上で、「そんな〈ハードな〉やりかたじゃあ一般のひとびとに引かれちゃうよ、それじゃあ在特会と〈同じになっちゃう〉よ」などと忠告する人が、けっこういるのです。さきほど、在特会のデモを見て「これじゃあ左翼と〈同じになっちゃう〉」と言う人がいる、ということを紹介しましたが、ある意味でその裏返しなのですね。そうした「忠告」をする人にとっては、とにかく〈やわらかい〉ということは、何よりも大切なことらしいのです。
たとえば、高橋哲哉(たかはし・てつや)に「ネオ・ソフト・ナショナリスト」と批判されたとき「〔自分は〕「ソフト」であり続けることに身体を張る、という点については、けっこう「ハード」なのである(http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/6142/0305.html#01)*5」とか言って、高橋に「そんなハードな語り口じゃナショナリストと〈同じになっちゃう〉よ」などと意味不明な反論をしている内田樹(うちだ・たつる)なんかが、典型です。まあ、あと、れいの「壁よりも卵」ってあれも、けっきょくそういうことですよね。
そして、彼らは、これまでの左翼が失敗し、衰退したことの原因を、とにかく〈やわらかくなかった〉ということのみに還元してしまいます。「かつての左翼は大衆から離反し「地獄ロード」を突き進んだ<<それは、左翼がやわらかくなかったから」「内ゲバ殺人<<それは左翼がやわらかくなかったから」「連赤事件<<それは左翼がやわらかくなかったから」「ポルポト<<それは左翼がやわらかくなかったから」レベルの言説を、耳にたこができるほど聞かされましたが、その手の話を聞くと、いまではこう言いたくなります。「やわらかきゃいいってもんじゃないだろが」と。
ツネノさんが「暴力はそれ自体が直ちに悪いわけではない」と言っていましたが、そのまったく裏返しで「〈やわらかい〉ことそれ自体は何の意味もない」と思います。
*1:この、さいきん活発に活動しはじめた「在特会」という右翼集団が、どんな団体でどのような行動をしてきたか、ということについては説明をはぶきますが、http://d.hatena.ne.jp/lever_building/20090414#p1やhttp://d.hatena.ne.jp/Romance/20090614#p1などを参照してください。
*2:そのご、ネット上では、「サヨクの自作自演じゃないか」とか「暴行した在特会も、〈挑発した〉ツネノさんもどっちもどっち」などという意見さえあらわれたそうです。
*3:下北沢へのリーガルウォール導入を推進する建築学者のきもちわるい文章http://kobayashilab.net/research/legalwall.htm
*4:これはこれでゆゆしきことではありますが
*5:このリンクさきのわたしの6年前の記事、内田樹にきもちわるくすりよっていて、今読むと「恥」でしかなく、いますぐ削除したいですが……じぶんへのいましめとして残しときます。