ペルー手話は「スペイン語の手話」ではない!

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 ペルー訪問中の天皇の姪が、ろう学校で子どもたちと手話で交流した、というこのニュース、見出しに「スペイン語手話」、本文に「ペルーの公用語であるスペイン語の手話」とある。この件について伝えるネットニュースをいくつか調べたが、多くの報道機関が、彼女が「スペイン語の手話」で交流した、と書いている*1

 これはめちゃくちゃである。なぜなら、ペルーの手話は「ペルー手話」であり、スペイン語ともスペイン手話とも別の言語だから。
 ペルー手話についてはスペイン語wikipedia

Lengua de señas peruana - Wikipedia, la enciclopedia libre

にかなり詳しく記述されている。

ペルー手話(Lengua de Señas Peruana、頭字語: LSP)は、ペルーのろう者コミュニティによって作られ使用されているペルー固有の言語である。他の言語と同様、独自の語彙と文法を持ち、ペルーの音声言語とも世界の他の手話言語とも異なる。LSPは、スペイン手話やアメリカ手話など、他国で使用されている手話語彙の影響を受けている。(DeepL翻訳一部改変)

 wikipediaスペイン語版「ペルーの言語」Lenguas del Perú - Wikipedia, la enciclopedia libreによると、ペルーでは、人口の94.4%がスペイン語母語としているが、その他、ケチュア語(全体の5.6%)、アイマラ語(1.1%)が話されている。その他の少数言語として、ペルー手話もちゃんと記述されている。言うまでもなく、ペルーにスペイン語が入ってきたのは、16世紀のスペインによる侵略以降であるが、それ以前からペルーでは手話が話されていたことが推測できる。wikipediaスペイン語版「ペルー手話」には以下のように記述されている。

他のろう者のコミュニティと同様、ペルーのろう者も有史以来、独自の手話を生み出してきた。しかし、他の手話言語と同様、その歴史に関する資料的証言は多くない。というのも、これらの言語は周辺言語であっただけでなく、言語として認識すらされていなかったからである(1960年にウィリアム・C・ストーキー(William C. Stokoe)の研究が発表されて初めて手話が言語として認識された):(DeepL翻訳一部改変)

 同wikipediaでは、紀元前4世紀に書かれたプラトンの対話篇「クラテュロス」の中の以下のようなソクラテスの発言が引用されている。

仮にもしわれわれが声も舌ももっていないで、お互いどうしに対して事物を示そうと欲するとするならば、どうだろう、そのばあいわれわれは、現実にろう者たちがやっているように、手や頭やその他の身体の部分を使って表現しようと試みるのではないだろうか。
プラトン「クラテュロス」422E、水地宗明訳(一部改変)『プラトン全集2』岩波書店、1974年、120ページ。)

 したがって、上記wikipediaに書かれているように、この箇所は「ろう者が共同体を形成することを許されたすべての社会が手話を生み出したという証拠」の一つといえるわけだ。また、スペイン人による征服以前のペルーにおいてろう者の共同体が存在していたことを示す記述が、フェリペ・ワマン・ポマ・デ・アヤラの証言の中に見られるのだという(ワマン・ポマはインカ帝国出身の先住民だが、スペインによる植民地支配の実態を告発するスペイン国王への手紙を書き、この手紙には、スペイン人来訪以前のインカ帝国の社会が豊富な挿絵とともに克明に記述されていた)*2。上記wikipediaスペイン語版「ペルー手話」はこう結論している。

したがって、これらの地域にカスティーリャ語(=スペイン語)が到来する以前に手話が存在しなかったと考える理由はない。

 スペイン語到来以前のペルー手話と現在のペルー手話がどのぐらい異なっているのかはわからないが、いずれにせよ、ペルー手話はペルーのろう者たちが作り上げたもので、ペルーの聴者のマジョリティが話す音声言語のスペイン語とは別の言語だ。それは、「日本手話」が、日本のろう者たちが作り上げた、「日本語」とは別の言語であるのと同じことである。この記事の中には「日本語の手話」という言葉も使われているが、その意味で、これもまったく不適切な、あるいは意味不明な言葉だ。
 ペルーでは、2010年に制定された法29535(ペルー手話を公的に認定する法 LEY QUE OTORGA RECONOCIMIENTO OFICIAL A LA LENGUA DE SEÑAS PERUANA)によって、ペルー手話を「言語として」公的に認めている。つまりペルー手話はペルーの「公用語」であると言ってもいいだろう。この法では、国が、ペルー手話の研究・教育・普及を促進する、としている。また、 公共サービスを提供する公共・民間の団体および機関に対して聴覚障害者用の通訳サービスを無料で段階的に提供する義務を定めている。さらに、国は通訳者の養成を促進するとしている。*3。日本の場合、このペルーの法律に類した条例はあるが、法律はまだない。そういう意味では、ペルーは日本より進んでる*4。しかし、テレビ朝日の記事で「ペルーの公用語であるスペイン語の手話」と書かれているのは、明らかにそのことではない。「ペルーの公用語はスペイン語……なら、ペルーの手話はスペイン語の手話だろう」程度の、手話についてまったく何も知らず、おそらく手話に関心を持ったこともない記者が、調べもせず、各社で手話についての記事を書いているということなのだ……。
 特にひどいのが、TBSのニュースのこの記述。

教諭によりますと、子どもたちは「なぜそんなにスペイン語の手話が上手いの?」と驚いていたということです*5

 これは「佳子さま」が、間違えてスペイン手話(LSE)をおぼえていってしまったので、ペルーのろう児たちが「スペイン手話は上手だけど、なぜペルーに来たのにスペイン手話で話しているの?」と言った……ということではもちろんない*6。というのも、おそらく同じ子どもの発言が、日テレのこちらの報道では

学校側によりますと、子どもたちからは「どうしてこんなに早くペルーの手話ができるの?」と、賞賛の声が上がったということです。*7

 となっているからである。つまり、TBSの記者は、ペルーの学校関係者のコメントの中の「ペルー手話」という言葉を、「ペルーの公用語はスペイン語だから」ということで、まったく的はずれな親切心から「スペイン語の手話」と「意訳」したのだろう。TBSといえば、『手話を生きる : 少数言語が多数派日本語と出会うところで』(みすず書房 2016年)という著書があり、明晴学園の校長までつとめた斉藤道雄氏がかつて報道局編集主幹だったというのに、嘆かわしいことである。

www.msz.co.jp

*1:NHKは「現地の手話」と表現している(NHK 7日11時
日本テレビと読売新聞は、「ペルーの手話」「ペルーで使われる手話」という表現の報道もある。
ペルーの手話(読売新聞 7日12時
ペルーで使われる手話(日テレ 7日20時

しかしいまさらではあるが、そもそもの話、パレスチナでの虐殺に世界が注目している今、各社がここまでこの話題を熱心に報道するということにグロテスクさすら感じる。

*2:上記wikipediaにリンクが貼られているこちらのサイトhttps://cultura-sorda.org/peru-atlas-sordo/によると、その内容はこのようなものらしい。

「ワマン・ポマ・デ・アヤラは、その著書『新しい記録と良き統治』(1615年)の中で、インカ帝国時代の聾唖者の生活について何度か言及している。この年代記記者によると、すべての障害者は、働くか奉仕することができる限り、尊厳をもって生活できるように仕事と財産を与えられた。障害を理由に施しを受けることはなかった。また、すべての人が婚姻を認められ、子孫を残すことが許された。各自が自分の同等の者と結婚させることで、子孫を増やし、あらゆることに奉仕することができ、畑、家、農場を持ち、自分たちの農奴制からの援助があり、病院や施しを受ける必要はなかった(Poma de Ayala, 1615, folio 201.)(DeepL翻訳一部改変)」

*3:https://docs.peru.justia.com/federales/leyes/29535-may-20-2010.pdf

*4:こちらのサイト(手話言語法と手話言語条例について | 【みみとこころのポータルサイト】一般社団法人 4Hearts(フォーハーツ))のリストには入っていないが、この法29535があることによって、ペルーは「手話を認知し、手話について規定した法律を制定」している国の一つだと言えるだろう。

*5:佳子さまペルー・首都リマの特別支援学校を訪問 子どもたちとスペイン語の手話で交流 子どもたち「なぜそんなにスペイン語の手話が上手いの?」 | TBS NEWS DIG (1ページ)

*6:その場合でも「スペイン語の手話」という表現はおかしいが。

*7:佳子さま 「ペルーの手話」完璧に習得 聴覚障害の子どもたちと交流|日テレNEWS NNN