世間には特権が「ある」という人と「無い」という人、両方が存在します。であるならば、両方の意見を開陳する機会は均等に確保されるべきです。
「特権がある」という意見を「ヘイトの扇動」と決め付け、黙らせようとする報道機関があることに大変驚いています。
サルトルは『ユダヤ人』(岩波新書、p.4(一部訳語改変))でこう書いています。
意見を持つということも、政府のワイン醸造政策についてでもあったら、まだ承認出来ないこともない。(……)これに反して、明示的に特定の個人を対象とし、その権利を剥奪したり、その生存を脅かしたりしかねない一主義を、意見などと呼ぶことは、わたしには出来ない。