楳図かずお『14歳』について

『ビッコミ』で楳図かずおの『14歳』(1990〜95)が、期間限定全話無料というキャンペーンをやっていた。
bigcomics.jp
 読んだことなかったので、全話無料期間の3日間ほど、通勤時間をほぼ全て使って読み進めたが、結局260話のうち半分ぐらいしか読めなかった。そしたら、今度は2週間くらいで半分無料で読めますよ期間がはじまった。「なんだ、ちょうどよかった。ゆっくり残り半分読もう」と思ったら、え?!半分て前半の半分なの?!いやそこはもう読んだし…ていうか前半半分は2週間無料なら、3日間で慌てて読む必要なかったじゃん…。
 ところで、楳図というと、私は小学生のころ『漂流教室』(1972〜74)をリアルタイムで読んだが、とにかくめちゃくちゃ怖かった。『まことちゃん』(1976〜81)も少し読んでいたと思う。その後はまったく読んでいなかったが、だいぶ後になって『漂流教室』を読み直して感動し、その他のいくつかの作品も読んだ。『漂流教室』のほかは、『洗礼』(1974〜76)と『私は慎吾』(1982〜86)が印象に残っている。『洗礼』に関しては、20年前に旧サイトでどうってことのないことを書いている。
「猿虎日記」2004/06/01「梅図かずお『洗礼』、岡崎京子『ヘルタースケルター』他」
 そこでも書いたけれど、これから文庫版楳図かずお『洗礼』を読む人は、第一巻巻末の手塚眞の「エッセイ」はネタバレしているので決して読まないようにしてほしい。

引退の真相

 で、『14歳』だが、この作品を最後に楳図は、まだ50代だったのに(今の私より年下だ……)漫画家を引退している。腱鞘炎の悪化も理由だったようだが、大きなきっかけとなった事件があったという。2022年に朝日新聞に掲載された楳図のインタビューによると、この作品の連載中、新人の担当編集者が楳図の仕事場に入ってくるなり、「手はこうやって描くんですよ」と、げんこつの絵を巨匠に見せてきたそうだ*1
digital.asahi.com

僕は何も言いませんでしたが、その瞬間、この作品を最後にして、もう漫画を描くのはやめようと思ったんです。

 たしかに、この作品、1990年連載開始、つまり例えば大友克洋の『AKIRA』より8年も後の作品なのだが、70年代初めの『漂流教室』と何も変わってない、当時としても古臭い絵だったかもしれない。しかし、そこが楳図漫画の魅力でもあるのであって、楳図が大友克洋のような絵になったら、それはもう楳図かずおではない。
 そういえば、松田奈緒子の漫画『重版出来!』(2012〜23)第一巻で、ネット上で自分の漫画のデッサンの崩れが噂され「オワコン」呼ばわりされていることを知り、ショックを受けて引退を決意するベテラン漫画家三蔵山が出てくる。三蔵山の場合は、主人公の編集者のアドバイスで立ち直り、デジタル作画を導入するにまでなるのだが。それにしても、「オワコン」とか、「老害」とか、いやな言葉だ。
 話がそれたが、この『14歳』という作品、おそらく世の中では、天才的発想による奇想天外なストーリーがすごい、みたいに評価されているのではないか、と推測される。たしかにそういう面もあるのだが、この漫画のすごさは、動物解放、環境破壊、生命操作、優生思想などのテーマをまっすぐに掘り下げた「生真面目さ」にあると思う。以下、最初に書いたようにまだ全体の半分ぐらいしか読んでいないのだが、思いついたことを書いてみる(ネタバレあり)。

動物解放論

 この漫画の舞台は、「人類が古今まれな発展の頂点に至り」日本の遺伝子工学による食品革命によって世界の平均寿命が150歳になっている22世紀の地球である(コミック版第2巻64頁)。この時代、人間によって多くの動物は絶滅させられているのだが、バイオテクノロジーによるチキンが開発され、地球上から動物性タンパク質不足の危機が消え去ったのだという(コミック版第1巻50頁)。本作の主人公、チキン・ジョージは、未来の日本のある人工鶏肉工場で、培養液の中から突然生まれた、鶏の頭と人間のような体をもつ異形の「怪物」である。工場の研究員繁野はこの生物をこっそり自宅に連れ帰り保護するのだが、怪物は培養液の中で急速に成長する。最初は繁野の言葉を鸚鵡返しに発するだけだったのが、短時間で高度な知能を発達させ、繁野の家の書物やコンピュータで様々な知識を吸収する。そして、涙を流しながら、繁野に次のように言い残して、繁野の家を出ていく。

わたしの名前は、チキン・ジョージ。誰にも望まれずに、生まれてきました。(第1巻215‐6頁)
わたしは、動物を代表してやってきました!わたしは、あなたが伏せっている間に、あらゆる勉強をして考えました!!数学、化学、物理、生物……人のために、多くの動物が消えてしまったのですね。ゾウ、クジラ、ゴリラ、ライオン……そしていま生きているのは、犬、猫、カラス、ネズミなど、人の周りのものばかりですね。だが、やがてはそれも消えてしまうでしょう。人の勝手な都合で!!そう考えると怒りがこみあげてきます。(第2巻6−8頁)

 チキン・ジョージはこうも言っている。

わたしは知っている、わたしは誰にも望まれずに生まれてきた、だがこの世で望まれずに生まれてくる者などいない!!わたしは動物の意志なき意志によって生まれた。人間どもに復讐するために!!(第2巻46‐47頁)

 その後彼はさらに知能を発達させて天才科学者となり、ケンブリッジ大学の学位も取得する。彼は人類に対する復讐計画を撤回し、人類から、また地球の滅亡から逃れさせるため、動物たちを宇宙に送る計画に没頭する。

逃げよ!!逃げよ!!人類から逃げよ!!人類がまき散らす災いからできる限り遠くへ!!
(第6巻210頁)

 作中でのチキン・ジョージの思想は、読者によって、下手をすると、マッドサイエンティスト風キャラクターの妄想として作られた架空の奇説、程度に受け取られているのではないだろうか。だが、宇宙に逃がすとかは別として、彼の主張するような「動物解放論」自体は実際に存在しているのであり、楳図は以下のような主張を読者に真面目に問いかけているのだと思う。

このような立場で動物を見つめてはっきりと分かったのは、これまでの人類の動物への扱いが、一部の例外を除くと基本的に不当なものだったということだ。これまで人類は、それが同じ人類同胞だったら決して許されないような仕打ちを、動物に対して行なってきた。つまり人間は、動物はただ彼らが動物であるという理由だけで自由気ままに取り扱っていいと考え、その生殺与奪をほしいままにしてきたということである。(田上孝一『はじめての動物倫理学』集英社新書、2021年、p.4(Kindle版))

 おそらく楳図はチキン・ジョージの動物解放論を、既存の動物倫理学の書物などを学んで作り上げたのではないだろう。楳図かずおのwikipediaによると(「要出典」となっているが)、彼はチキン・ジョージのキャラクターを、吉祥寺(キチジョージ)で見かけた鳥の頭のモチーフと、「鳥はなぜ食べられるだけなのか?」という疑問から発想したのだという*2。もしそうなら、そういうところがさすがだな、と私は思う。
 ただ、この「人類によって虐げられてきた動物たちの意志が怪物を生み出す」というストーリーは、岩明均の『寄生獣』を思い起こさせる。この漫画の場合、人間に寄生し、人間を殺して食べる生物が突然上空から飛来する、ということになっているが、冒頭の

地球上の誰かがふと思った『人間の数が半分になったらいくつの森が焼かれずにするだろうか……』(……)誰かがふと思った『生物(みんな)の未来を守らねば……』(第1巻4−5頁)

 というモノローグなどから、この生物が、地球か、全生物の「意志なき意志」のようなものによって生み出されたものかもしれない、ということがほのめかされている。
 また、主人公新一に寄生した寄生獣「ミギー」が、急速に知能を発達させ、新一の部屋の書物を読んで全世界の知識を吸収するシーンがある(第1巻44−5頁)。
 これは当然、岩明による『14歳』へのオマージュなのだろうと思ったのだが……。

チキン・ジョージが繁野の部屋でコンピュータを使って地球上の動物についてのの知識を吸収している
楳図かずお『14歳』(ビッグスピリッツコミックス)第2巻206頁
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ミギーがシンイチの部屋で図鑑を読んで動物の知識を吸収している
岩明均『寄生獣』(講談社アフタヌーンKC)第1巻44頁

 調べたところ、『寄生獣』の連載開始は1989年で、『14歳』の連載が開始された1990年より前である。wikipediaによると、楳図は「徹底的なオリジナル追求志向であり、他作品から影響を受けることを恐れて漫画や映画、アニメ、小説などには一切触れない」ということなので*3、この一致は偶然なのだろう。ただし、常に冷静・冷徹なミギーと違って、チキン・ジョージは最初から人類に対する激しい「怒り」を示している。そこはまったく違う。
 ちなみに『14歳』というタイトルは、ある年生まれた子どもがすべて14歳で死ぬ運命にある(そして人類と地球が滅ぶ)というところからとられている。私はてっきり、これは「1959年以降に生まれた世代は(環境汚染のせいで)41歳までしか生きられない」という、西丸震哉の『41歳寿命説』の41をひっくりかえして14にしたのではないか、と思っていたのだが、『41歳寿命説』が出版されたのは1990年7月だが、『14歳』はそれより前の1990年4月なので、これも偶然なのだろう。

優生思想批判

 さて、繁野の家を出たチキン・ジョージは、人間に変装して動物園を訪れ、動物が人間の見世物になっていることにショックを受ける(第2巻27頁)。先に引用した『はじめての動物倫理学』で田上孝一が言うように、動物園が動物虐待施設であり、それを廃止するべきだという動物園廃止論は、欧米ではすでに確立された有力な一学説である。

動物園にいる動物は人間が普段みることができない珍しい動物である。それは人里離れた地に生きる野生動物が主である。人間のいない、もしくは人間がまばらにしか住んでいない場所に住んでいるような動物が「珍しい動物」であり、それを間近にみたいという人間の欲望を叶える施設が動物園である。人里離れた地に住んでいる動物が人間の好奇の視線に間近に晒されれば苦痛を受けないはずはない。こうして動物園はその本質からして動物虐待施設である。(田上孝一、前掲書、p.125)

 しかし、田上が言うように、動物園廃止論は2020年代の現在の日本でも「まだまだ新奇な風説と受け止められている」わけで、その意味でも楳図の視線の先進性は際立っている。
 ところで、この未来の動物園では、通常の動物だけではなく、「遺伝子組み換え」によって作られた怪物たちも展示されていた。それどころか、人間の顔をした犬のようなキメラの怪物も展示されているのだ(このシーンは、永井豪の傑作短編「宇宙怪物園」(1978年)を思い起こさせる)。展示の前ではこのようなアナウンスが流れている。

動物たちが食べている肉も、やはりバイオで作られたチキンです。ですから、昔のように、個体を殺すような殺生は今はなくなりました。(第2巻32頁)

 チキン・ジョージはこう叫ぶ。

ちっ、違う!これは動物ではない!こんなもの図鑑にもなかった。ぜ、全部!全部人間が創り出した過ちだっ!(第2巻33頁)

 人間がバイオテクノロジーで生命を操作することを、神の領域に踏み込んだ「過ち」のように描くのは古典的なSF作品のモチーフだろう。メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』(1818年)、H.G.ウェルズの『モロー博士の島』(1896年)などはそうした作品のはしりだろうし、『14歳』には明らかに『モロー博士の島』を意識しているだろうシーンがある*4。前ブログで書いた『メイドインアビス』に出てくるミーティという「怪物」も、生命操作の犠牲者のように描かれている*5
sarutora.hatenablog.com
 しかし、ブログに書いたように、あの作品は、生命操作の「過ち」を非難しつつ、「過ち」の結果生まれた「可哀想な怪物」を主人公が「殺してあげる」ことで救済する、というような、「エモい」陳腐なストーリーになっていた(荒川弘『鋼の錬金術師』のニーナのエピソードも、そのような結末になっていたと思う)。
 一方、「恐怖漫画家」を自称している楳図は、人間の「過ち」によって生まれた「怪物」に対する人間たちの「恐怖感」や「哀れみ」に同調して作品を描いているわけではない。『14歳』は、バイオチキンの培養液の中で生まれた「ミュータント」であるチキン・ジョージを主人公として、彼の「怒り」と「苦悩」を描く。動物園で子どもたちに素顔を見られて「怪物」と囃し立てられ、しかもカラスにも攻撃されてしまうチキン・ジョージはこう叫ぶ。

ふん!!わたしが怪物に見えるか、人間の子供ども!!
わたしから見れば怪物は、お前らのほうだっ!!
(第2巻43頁)
 そうか、わたしは人間でも動物ではないのか。わたしは、お前らにとって、怪物なのかっ!?わたしはどっちでもないのかっ!(第2巻45頁)

 そしてチキン・ジョージは動物園の檻を開け放ち、中から出てきた「怪物」たちは動物園の観客の人間たちに次々と襲いかかるのである。『メイドインアビス』や『鋼の錬金術師』のエピソードとの違いは明らかだ。
 もちろん、そうした「怪物=ミュータント」の苦悩をテーマにした作品は、他にもある。上掲のブログで私は以下のように書いた。

 「怪物」というテーマは、永井豪、諸星大二郎、藤子F不二雄、手塚治虫、楳図かずお、宮崎駿、といった人々の作品にしばしば登場する*6。このブログでもいくつかそれについて考察する文章を載せたことがある。そして、それらの作品では、「怪物」を忌み嫌う私たち自身のまなざし、を問題にする観点が多かれ少なかれ含まれているように思う。

 以下のブログでは、諸星大二郎の『バイオの目次録』と、宮崎駿の『風の谷のナウシカ』という、どちらもバイオテクノロジーとミュータントがテーマとなっている作品を比較して色々書いている。
sarutora.hatenablog.com
 上記ブログミーティの危惧 - 猿虎日記で紹介したが、堤愛子は「ミュータントの危惧」という文章で、反原発をテーマにしたある書物に含まれる優生思想を批判した。

放射能汚染の例としてよく引用されるものに、スリーマイル島の原発事故の影響による巨大タンポポがある。本書では「巨大タンポポ」(六頁)と記されていたが、別のある資料には「お化けタンポポ」と書かれており、私は胸が痛んだ。
 以前、食品汚染のPRビラの見出しに「首の曲がった子になるの、ボクいやだ」と大きく書かれているのを見て、私は身震いするほどの不快感を感じた。これを書いた人は、首の曲がっている人の気持ちをどう考えているのだろうと。(……)「お化け」であれ「巨大」であれ、タンポポの「奇型」を強調することによって放射能汚染の恐怖をあおり立てることに、私は言いようのない苛立ちとたまらなさを感じる。たとえば「種々の食物が突然変異を起こし、奇型がつづいています。このように放射能による影響は歴然としていますし、またこのように恐ろしいものなのです(六頁)」といったような表現だ。結局これらの表現は、「奇型」「障害」をマイナスのイメージに固定化させていくことに他ならないからだ。
堤愛子「ミュータントの危惧──甘蔗珠恵子『まだ、まにあうのなら』書評」1989年7月『クリティーク』(青弓社)所収

 堤は、放射能汚染の恐ろしさを「障害者」に対する異和感や恐怖心と重ね合わせたところで語ってほしくない、と言う。
 この点に関しては、『14歳』の第二章の冒頭のシーンが興味ふかい。地球滅亡の最初の兆しとして、全世界で緑色の子どもが生まれる、という事件が起こる。チキン・ジョージはこの現象を最初「植物による人間への復讐」と考えるのだが、のちにそうではなく、滅亡する地球から宇宙に脱出する人間の計画を察知した植物が、人間に寄生して宇宙に逃れようとしていたのだということがわかる。(第6巻205頁)。それはともかく、アメリカでは、政府は当初この事実を隠蔽しようとして、緑色の赤ちゃんたちはある病院の中の一箇所に集められる。この作品のもう一人の主人公とも言えるアメリカ大統領ヤングがそこを訪れた時、科学者たちはこの子たちを「処分」しようとしていた。驚く大統領に、科学者たちは、「処分」は大統領の命令だ、と主張するのだが、大統領は「悪質なデマだ」と言う。しかし科学者たちはこう言う。

そのような赤ちゃんがいないほうがいいと思っているのは、大統領、あなただけではなくて、むしろ親の方ではないでしょうか。もし今これを助けたら、あとでどんなに親に恨まれるでしょう……あの時殺しておいてくれればよかったと……。だからこれは正しい行いではないでしょうか?だからわたし達も、疑うことなく従ったまでです。(第2巻122頁)

 大統領は赤ん坊たちの前に立ちはだかり、「処分」を寸前で止める。その後大統領はこう言う。

いや、悪いのは、むしろわたしのほうだったのかもしれない。じつはわたしの息子も緑色で生まれてしまった。わたしはそんな息子が産まれてきたことを心の中でうらんだ。そんなわたしの気持ちが、こんなデマとなってあらわれたのかもしれない。わたしは、たとえ心の隅にだけでも、そのような考えを持ったことを、この子ども達に謝らなければ。(第2巻127)

 こうしたシーンにも、やはり楳図の真面目さが現れていると思う。

日本の「ざんげ」

 さて、ここまで褒めてきた『14歳』だが、第9巻まで読んだ時、ある程度予想はついたことではあるが、やはりだめか、とがっかりした箇所があった。
 単行本第9巻で、各国首脳がアイスランドに集まり地球の未来について対策を話し合う「地球会議」を開催するシーンがある。報道では、本当の議題は秘密にされ「地球の明るい未来について」と偽装されているが、本当の議題は、絶滅が迫った地球の未来について話し合うものだった。会議の冒頭で、各国首脳は、地球があと3年で滅亡することを知る。彼らは、子どもたちを選抜して宇宙に逃がすという計画を立てるのだが、話し合いのあと、首脳たちの間で誰からともなく涙ながらの「ざんげ」がはじまった。アメリカのヤング大統領のざんげは以下のようなものだ。

地球を死に追い詰めたのはアメリカだと思う!!振り返れば、アメリカは率先して自然の破壊をつづけてきた。まず、アメリカ大陸という土地を踏みにじった。そしてそこにいた先住動物のいくつかを絶滅させてしまった!!(……)アメリカは自由と正義の名のもとに突き進んだ。(……)自分が正義でいるためには、やっつける敵が必要だった!!そのために、いろいろな国々に迷惑をおかけした。(……)
アメリカはいつも世界で一番でなくてはならなかった。原子爆弾を使用したのもアメリカが最初だった。広島と長崎に原子爆弾を落とした時も、われわれの知識人があれは現代のソドムとゴモラだと言い放ち*7、なんら反省するところはなかった。犠牲者に対してはもとより、核の惨禍が地球自体にも向けられているということに気が付きもしない、無知ともいえる傲慢な態度だった!!(……)われわれは今までに何度、母体である地球を痛めつくしただろう!!過去における地上及び地下や海中の核実験は悲惨なまでの地球への反逆行為だった!!(第9巻68-72頁)*8

つぎはヨーロッパである。

いや!!ヨーロッパこそ悪かった!!ヨーロッパ中心の上流階級主義は、そうでないものをアメリカへ追いやってしまった。(……)わたし達は、ありとあらゆる場所を征服しては、ありとあらゆる資源を取り尽くした!とくにアフリカに対しては、心から謝罪させていただきたい!!許してください!!(第9巻73-4頁)

 呉智英はかつて『はだしのゲン』の「解説」でこんなことを言っていた。

『はだしのゲン』の中には、しばしば政治的な言葉が、しかも稚拙な政治的言葉が出てくる。これを作者の訴えと単純に解釈してはならない。そのように読めば、『はだしのゲン』は稚拙な政治的マンガだということになってしまう。そうではなく この作品は不条理な運命に抗う民衆の記録なのだ。稚拙な政治的言葉しか持ちえなくても、それでも巨大な災厄に立ち向かおうとする人々の軌跡なのだ。
呉智英氏「不条理な運命に抗して」(『はだしのゲン』解説)1996年 「猿虎日記」最近読んだマンガ2003/03/11「中沢啓治『はだしのゲン』」にて引用*9

 呉ならば、『14歳』の上記の箇所も、おそらく「稚拙な政治的言葉」であり、それを作者の訴えと単純に考えてはならない、などと言うのだろう。 
 もちろん、アメリカがざんげするとすれば、先住動物の前に先住民に対してだろう、というのが強烈な違和感だし、ヨーロッパの問題を「上流階級主義」というのもずれているような気がするが、上記の各国首脳の「ざんげ」のセリフは、帝国主義、植民地主義、核の問題などについて、楳図自身が真面目に考えていることだろうし、読者としても真面目に受け取るべきものだと思う。
 だが、次の日本とアジアのざんげは、予想できたこととはいえ、がっかりしてしまった。

(日本の首相のざんげ)
 日本こそ謝らなくてはいけない!!日本は小国のくせに、経済の発展で自らを経済大国と呼んだ……経済力であらゆるものを買いあさり、あらゆるものを作り出した。その結果おびただしいゴミを生み出し、影ではゴミ大国と呼ばれた。(……)わたし達は常に、法律とお金というモノサシ以上に、美意識というモノサシを持つべきだった!!(……)

(アジア(ってどこ?)の首脳のざんげ)
 それを言うなら、われわれアジアはみんな同じだ!!何かと言えば日本の悪口ばかり言いつづけた!!だがそれは、自分に言っているのと同じだった。(……)

 バブル時代に書かれた漫画とは言え、時代に先駆けてあれほど鋭い動物解放論を展開し、まっとうな優生学批判を展開していた楳図にして、やはりこうなる。日本がざんげしなければならないとすれば、まずは、アイヌ、琉球、アジア諸国に、計り知れない「迷惑をおかけした」ことであろう。しかし、楳図にとって、日本がざんげすべきこととしてまず思い浮かぶのは、「経済大国」となって「美意識」を失ったこと、なのである……。さらに、アジアは「何かと言えば日本の悪口ばかり」と来ては、ネトウヨと大差ない認識だ。ちなみに、小林よしのり『ゴーマニズム宣言』がはじまったのは、『14歳』連載中の1992年である。
 かつてこちらの記事で、『皇国の守護者』という漫画のタイトルをネタに次のように書いた。

日本人というのは、明治以来、尊大な「大国」意識とアジアに対する蔑視感情をとめどなく増大し続け、実際に軍事大国となって加害を繰り返しておきながら、一方で、自分の汚れた手(軍事)からひたすら目をそらし、「大国」のイメージを「科学技術」だの「経済」だので塗りかため、さらには、自分たちは「反日」の軍事大国からいじめられ、脅かされている「小国」なんだ、などという被害者意識をはちきれんばかりにふくらませている

sarutora.hatenablog.com
 残念ながら、楳図の『14歳』の中の「日本」も、この構図から逃れられていない。

*1:「新潮45」2002年1月号のインタビューでも楳図は同様のことを語っているそうだが、ただし、当時の楳図の編集者などへ取材した石田汗太によると、このエピソードが事実だったかどうかの裏付けはとれないということだ。(楳図かずお;石田汗太. わたしは楳図かずお マンガから芸術へ (p.212). Chuokoron-shinsha,Inc.. Kindle 版. )

*2:楳図かずお - Wikipedia

*3:楳図かずお - Wikipedia

*4:「他作品から影響を受けることを恐れて漫画や映画、アニメ、小説などには一切触れない」とされているにもかかわらず。ついでにいうと、『14歳』には『アルジャーノンに花束を』を思わせる部分もある。

*5:ミーティが「怪物」になるのは人工的な生命操作によってというより異世界の呪いのようなものによってではあるが、彼女はボンドルドによって人体実験の目的で強制的に呪いを受けさせられている。

*6:ここに石ノ森章太郎も付け加える必要があるだろう。その他、私は見ていないのだが、アメコミやそれを原作とする映画の「X-MEN」シリーズなんかも、そうした作品のようだ。

*7:しかし、原爆を「現代のソドムとゴモラ」とはっきり言ったアメリカの知識人はいるのだろうか?

*8:それにしても、この漫画の中のアメリカ大統領、蔑称としての「漫画のような」現実の大統領とはえらい違いである。

*9:今回、2018年に紙屋高雪氏が、この呉の『はだしのゲン』解説について「ポジショントーク」と批判していることを知った。 kamiyakenkyujo.hatenablog.com