諸星大二郎は最近新刊を出すペースがあがっていませんか?
この間
- 作者: 諸星大二郎
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2008/06/07
- メディア: コミック
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- 作者: 諸星大二郎
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2008/07/18
- メディア: コミック
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寡作というイメージがあったのですが、去年はhttp://d.hatena.ne.jp/sarutora/20070627/p1でもとりあげたように何作も単行本を出しています。
さて、『バイオの黙示録』ですが、すばらしかったです。
2000年から年一回ぐらい『ウルトラジャンプ』で連載していたものをまとめた連作短編集で、やはり「彗星シリーズ」という感じです。しかし、最終話「風が吹くとき」と、今回単行本化にあたって書き下ろされた「幕間劇」が、ほかのエピソードをまとめるような内容になっているので、ほとんど一冊をとおした長編のような感じで読めます。その、最終話にむけての盛り上がりが、すばらしいのです。
で、http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20060224/p1でも書いたように、たけくま健太郎氏経由の情報なのですが、宮崎駿というのは、諸星大二郎の影響を受けている、というかいろいろパクっているらしいのです。そう思って読むと、漫画版ナウシカが諸星漫画によく似ている、というのは上で書きました。
ところで、漫画版ナウシカといえば、「バイオ」もテーマの一つとなっています。巨神兵や、生物兵器としての粘菌というのは、バイオテクノロジーで作られたもので、これは、戦争と環境破壊で滅んだ旧社会の負の遺産、として当初は描かれています。復活させたその技術を悪用しようとしているのが、トルメキアや土鬼の国家というワルモノで、風の谷などの共同体は、自然と調和して生きていこうとしているイイモノです。
しかし、後半になってくると、宮崎は、そういう「人工=悪/自然=善」あるいは「雑種=悪/純粋=善」みたいな構図のもつ問題点にみずから気づいて、少しずつ路線を変更していきます。
巨神兵や粘菌も次第にワルモノではなくなっていき、最終的には、風の谷の自然や人間も、腐海の動物も、みんなひっくるめて、バイオテクノロジーで作られたものだ、ということが明らかになります*1。
とはいえ、宮崎においては、そうした「雑種性(むつかしい言葉で言えばハイブリディティ)の肯定」みたいな視点は結局それほど明確になるわけではなくて、ナウシカ全巻というのは、そこに近づくための宮崎の苦悩みたいなものが書かれているにすぎない、とも言えます。
一方、諸星大二郎にとって、「雑種性の肯定」というのは、最初から(昔から)あたりまえの前提です。『バイオの黙示録』は、動物と植物、植物と人間、鳥と人間、などがバイオテクノロジーでぐちゃぐちゃに混じりつつある未来社会が舞台です。
(以下ややネタバレあり)
最初の数ページで、すでに、となりの野菜をつつく「チキンキャベツ(鶏の遺伝子を組み込んだキャベツ)*2」や、人間の姿をしたマンドラゴラみたいな「雑草」が出てきます。
こうした「野菜=家畜」を育てたり、「雑草=人間」を引っこ抜いたりしているのは、未来の農家なんですが、この時代の農家は、農地を電磁網でかこい、周囲に広がる荒地からの侵入者をふせいでいます(これは、周囲に広がる腐海からの胞子の侵入をふせぐ、ゲーテッド・ファーム(笑)「風の谷」のパロディーかもしれない)。
さて、荒地から何が「侵入」するか、というと、食べ物をもとめた「難民」なのですね。第一話では、農家の人に捕らえられた難民が、植物の遺伝子を注入され?*3生ける「案山子(かかし)」にされてしまいます。
第3話では、荒地で鳥の遺伝子と混じり合った難民たちが、(文字通りの)「鳥人間」となって電磁網を越え、農地を襲います。それを撃ち落とすために作られたはずの「ロボットかかし」が、元難民の鳥人間に恋をするのです。これはめずらしくロマンチックな短篇です。
このようなすてきな話が、クライマックスの最終話に向けて進んでいきます。多様な動物の遺伝子の混じり合いは、人間のコントロールを離れて、どんどん進行していきます。ゲーテッドシティーの中の、人間の姿をした「人間」も、実はいろいろな生物の遺伝子がすでに混じり合い、潜伏しているのですが、薬を使って、別の動物の特徴が発現するのをおさえているのです。荒地では、さまざまな獣や虫の特徴がすでに発現した「人間」たちがうごめいています。
そうした元「難民」たちは、伝説の「バイオの風」というのが吹くのを待ち望んでいます。この風が吹くと、「すべての人間の潜伏遺伝子が発現し、人間と他の生物の境界がなくなる(p229)」のです。
「バイオの風」が吹いた世界、つまり黙示録的な、カタストロフ的な世界というのは、恐ろしい世界のようにも見えるんですが、諸星の漫画の中では、むしろすがすがしい、ユートピアのようなものとしても描かれています。
私は、こどものころ読んだ『目をさませトラゴロウ』のラストでユートピアとして描かれる、にんげんとどうぶつがまざりあって暮らす社会、というのをちょっと思い出しました。
この「バイオの風」と、『風の谷のナウシカ』の「風」とを比較すると、宮崎と諸星の違いはあきらかです。『風の谷のナウシカ』の「風」というのは、「バイオの風」と反対に、風の谷を腐海の胞子から守り、人間を純潔なものとして守ってくれる「風」です。
しかし実際は、風というのはいろいろな植物の種や花粉を運んできて、「雑種」をつくりだすものでしょう。だから、たとえばモンサントなどのグローバル・アグリビジネスが作ったバイオの遺伝子が、風にのって世界中に広がることを、ジョゼ・ボヴェらは危惧しています。遺伝子が混じり合ってしまうと、グローバル企業が、農民たちに特許料を要求し、グローバル企業によって全世界の農業が支配されるようになるかもしれないからです。だから、ボヴェらは、モンサント社の所有する農地に侵入して、バイオの種を引っこ抜いたりしました(そのへんのところは、http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20060927/p1でかつておもしろおかしく書きましたので興味があるかたはどうぞ)。このボヴェの農地への侵入は、諸星漫画でいえば、荒地の難民による農地侵入に通じるものであり、またグローバル企業とのボヴェのたたかいを私は断固支持するものではあるのですが、ただ、やや単純な「バイオ反対」「フランスの大自然をまもれ」のようなイメージにつながりかねない部分は、世界の「難民」との連帯、という部分とおりあわないことにならないかと、ちょっと気になるところです(あんまりくわしくないのに文句を言うのもなんなんですが)。
さて、「純粋性を守る風」を肯定する宮崎の路線は、漫画版後半では少し変更されるとはいえ、ナウシカの場合、たとえば腐海の生物とナウシカの「きずな」が示される、といっても、ちょっと王蟲(オウム)の血が服に着く、という程度です。ナウシカから尻尾がはえてくるとか、猫の耳が生えてくるとか(あ、それは違う路線か)そういうシーンは、宮崎はけっして描きません。
『もののけ姫』にしてもそうです。最終的には、もののけの世界と人間の世界は混じり合うことはなく、それぞれの世界で分かれて生きていこう、みたいな「住み分け」が示されるだけです。アシタカの異形性といっても、手にちょっとアザができる、というところで止まっています。
たしかに宮崎は、蟲(ムシ)やもののけなどの、異形なものへの共感を示すようなストーリーをつくろうとしているのは事実です。しかし、やはり、彼の作品においては、主人公は「健康」で「さわやか」な少年少女でないと収まりがつかない*4。いや、それにも宮崎は気がついているから、老婆になっちゃう美少女とか、美青年の魔法使いの「本当の姿」がモンスター、とかいう設定を作るのでしょうけど……。
ところで、諸星が描く、人間と動物がまざった荒地の異形の生物たちというのは、永井豪の『デビルマン』のデーモンに似ているのですね。ということは、ボッシュの描く、荒地の悪魔たちにも似ているのですが。つまり、悪魔というのは、あるいはモンスターというものは、もともと人間と動物の「雑種」なのです。『デビルマン』は、「デビルマン」の、人間とデーモンの雑種としての苦悩をえがいているわけですが、最終的にデーモンが勝利する、というラストシーンは、雑種性が勝利したユートピアのことなのかもしれない。さらにいえば、これは、モンスター(吸血鬼)が人間(流血鬼)に勝利してあらわれた「ユートピア」をえがく、藤子F不二雄の「流血鬼」のラストシーンのすがすがしさ、ともつながるかもしれない(藤子F不二雄についてはそのうち書こうとおもっているのですが)。
- 作者: 永井豪とダイナミックプロ
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