ガイアーの発動は近い

こちらのツイートを見かけて、横山光輝『マーズ』を読みたくなった。

 『マーズ』は、『週刊少年チャンピオン』で1976年に連載されたとのこと。私は当時11歳。1970年代の『チャンピオン』連載マンガといえば、『ドカベン』『ブラック・ジャック』『魔太郎がくる!!』『キューティーハニー』『恐怖新聞』『がきデカ』『らんぽう』『750ライダー』『エコエコアザラク』『マカロニほうれん荘』などがあるようで、そのへんはよく覚えているのだが、『マーズ』に関しては記憶がない。また、私は、当時読んでいなかった70年代の名作漫画の多くをだいぶあとになってから再発見して読んではいるのだが、『マーズ』は未読だった。というわけで、秋田文庫版(3巻、2000年〜2001年)を購入し、読んでみたが、期待に違わず大変面白かった。
 ここはあの漫画・アニメの元ネタなのではないか、と感じたところが多々あり*1、こじつけもあるが、少し書いてみる。
 まず、これはネット上でも話題になっているが、6つの神体が次々と襲来する、というのは明らかに『新世紀エヴァンゲリオン』(1995年〜1996年放送)の使徒襲来の元ネタであろう。名前とか、デザインとかも似ている。これ(第5神体ウラエウス)とか。

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横山光輝『マーズ』3(秋田文庫、2000年)330頁

 その他は私のこじつけかもしれないが、たとえば、とてつもない破壊力を持った少年が目覚めて、争奪戦のようなものが起こる、という設定は、『マーズ』の6年後の1982年に『ヤングマガジン』で連載がはじまった大友克洋の『AKIRA』に少し似ているかもしれない。『AKIRA』に関しては、金田、鉄雄、28号、などが横山光輝の『鉄人28号』から取られているというのは有名な話であるし。
 また、『AKIRA』と同じく1982年に『アニメージュ』で連載がはじまった宮崎駿の『風の谷のナウシカ』、だいぶ後の単行本で最終巻の7巻だが、世界を破壊する巨大な人型の兵器でありかつ「裁定者」が、世界を救うとも破壊するとも言える傷ついた主人公を手に抱えて飛行するシーンがある。

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宮崎駿風の谷のナウシカ』7(徳間書房、1994年)、39頁

 とこう書くと、『マーズ』の以下のシーンと似ているとも言えるのではないだろうか。

 

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横山光輝『マーズ』2(秋田文庫、2000年)241頁

 さて、実はここからが本題なのだが、『マーズ』の単行本にはいくつかのバージョンがある。横山光輝公式サイトによると、最初に発行された少年チャンピオンコミックス版(5巻、1976年〜1977年)、の他に、秋田書店版(3巻、1993年)、私が買った秋田文庫版(3巻、2000年〜2001年)、いわゆるコンビニ漫画のAkita top comics wide版(前後編、2005年)、復刊ドットコム出版の「オリジナル版」(3巻、2018年)、があるようだ。
 で、最初に紹介したツイートで引用されているバージョンが、どのバージョンかはわからないのだが、秋田文庫版を読んでいて、該当ページが出てきたとき、重要な部分が違っているので、驚き、呆れた*2。秋田文庫版では、こうなっているのだ。

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横山光輝『マーズ』1(秋田文庫、2000年)148頁

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横山光輝『マーズ』1(秋田文庫、2000年)149頁

 つまり、「ドイツ軍のユダヤ人虐殺事件」「日本人の中国人虐殺事件」「ベトナム戦争ソンミ村虐殺事件」が、それぞれ「ある時は」「またある時は」「そしてまた……」になっている。おそらく、1976年のオリジナル版での表記が、2000年(あるいは1993年)のバージョンで改変されたのであろう。しかし、この改変は、オリジナル版の該当箇所が訴えている重要なメッセージを裏切る、最低の改悪だと言えよう*3。この箇所の少しあとで、マーズが身を寄せている医師の家で、マーズと春美(医師の娘)が次のように会話する場面がある。

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横山光輝『マーズ』1(秋田文庫、2000年)198頁

 春美は、戦争があったのは昔の話で、今は「戦争というものがどれほどおろかな行為かみんな知っている」のであり、戦争の残忍な行為は「非難をこめて書き記されている」と言っている。しかし、漫画のストーリーは、春美の言葉とは異なってやはり人間は今でもおろかな存在であった、という結末になっている。そうしたストーリーになっていること自体が、この漫画が、戦争のおろかさを「今」この漫画を読んでいる読者に知らせ、警鐘を鳴らすことを目的にしていることを意味する。ところが、他ならぬその漫画の中の、戦争の残忍な行為についてまさに「非難をこめて書き記している」箇所から、歴史性を消去し一般的抽象的表現にしてぼかしてしまう、とは、一体どういうことだろうか。だが一方で、2000年前後に出版されたバージョンでこのような改変がなされてしまう、という時代の雰囲気はよく分かるのである。たとえば、小林よしのりの『戦争論』の単行本は、1998年〜2003年に出版されている。言うまでもなくこのような雰囲気は加速して「今」も続いている。つい先日、「従軍慰安婦」や「強制連行」という表現が適切ではない、とする閣議決定(!)を受けて、実際に教科書会社が教科書の表現を「訂正」してしまった、というニュースがあったばかりである。

「従軍慰安婦」の「従軍」削除/政府の圧力のもと変更/中学・高校の歴史教科書記述

 残念ながら、ガイアーの「発動」*4もますます近づいていると言わざるを得ないだろう。

 

*1:逆に、数年前発表されている永井豪の『デビルマン』(1972年〜1973年)と似ている部分もある。

*2:上のツイートのリプライでそのことを指摘している人もいるので、知られていることのようだ。

*3:横山光輝(1934年〜2004年)は2000年には存命であり、この改変を了承していた、あるいは自ら改変した、という可能性もあるが、それもまた残念なことである。また、確認はしていないが、2018年出版の復刊ドットコム『オリジナル版』では、おそらくこの箇所ももとの表記に戻っているのではないだろうか。

*4:と書いて思いついたが、『マーズ』は、『伝説巨神イデオン』(1980年〜1981年放送)と、「イデの発動」の元ネタの一つかもしれない。ガイアーについては一応ネタバレせずにおきます。