藤子F不二雄とフランツ・ファノンとコロナウイルス

 藤子・F・不二雄のSF短編のことを知ったのは、実を言うと、2000年に発行された永井均の『マンガは哲学する』経由であり、つまり、私はSF短編集のかなり遅れて来たファンなのである。私が2000年に読んだ『マンガは哲学する』は講談社刊の単行本だったが、同書はその後2004年に講談社で文庫化され、さらにその後出版社を変えて2009年に岩波現代文庫版が出て、現在に至る。

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 私は、2009年に、Web評論誌「コーラ」に「吸血鬼はフランツ・ファノンの夢を見るか」という論文を書いた。この論文で私は、藤子・F・不二雄のSF短編の中の「絶滅の島」(1985年)と「流血鬼」(1978年)という2つの作品を題材に、サルトルとファノンとろう文化などについて論じたのだが、今から思えばこの論文のテーマは、前回の記事で紹介した竹内の発言にある「加害者と被害者との歴史のなかでの弁証法的逆転」「主体と客体との弁証法」だったと言える。

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(この論文は私が書いた『哲学のモンダイ | 白澤社』という本にも収録されている。)

 ところで、この藤子F不二雄SF短編のうち10作品が、昨年NHKでドラマ化された。BSプレミアムおよびNHK BS4Kで2023年4月と6月に放送された本放送は見逃したのだが、10作品の中で「流血鬼」だけを、今回配信レンタル(U-NEXT)で視聴した*1

www.nhk-ondemand.jp

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 この作品は、感染すると吸血鬼になってしまうというウイルスが世界中で蔓延し、感染を逃れた少年が吸血鬼と孤独な戦いを続ける、というもの。詳細については、上記の私の論文(ネタバレあり)を参照されたい。 

 マンガ原作のドラマ改変が昨今話題となっているが、このドラマ化は原作にかなり忠実に、かつ現代に合わせた必要最小限の改変もなされていて、よくできており、違和感なく楽しめた。ドラマは、画面がモノクロ+赤の色調で、ラストシーンのみカラーになる。これは、原作のテーマを表現するうまい設定だと思った。改変、というか現代へのアレンジ部分がどの部分でなされていたかというと、基本的に「今ならそこはスマホでしょう」というところをスマホに変える、というところのみ。ほかは、セリフも含めてほとんど原作どおりだったと思う。たとえば、原作の回想シーンで主人公の「青年A」がクラスメイトに吸血鬼の噂について話す部分は、原作ではこうなっている。

青年A「だってちゃんと出てるんだぞ、週刊誌に!「世界のこぼれ話」ってところよんでみろ!ルーマニアの小さな村で原因不明の急死人がでたんだって。(……)」

少女A*2「まあ、こわい!」

青年B「どこにも迷信深いやつっているもんだよ。」

 ドラマではこれをこのように変更している。

青年A「だってほら見てみろ(とスマホSNSの画面を友人たちに見せる)ルーマニアの小さな村で原因不明の死人が出て(……)映像だってあるぞ(とスマホの画面で動画を友人たちに見せる)」

少女A「えー?こわー!」

青年B「いや信じるなよこんなの、どうせ子どもだましのフェイクニュースだろ」

 細かいけど、「まあ、こわい!」は、「えー?こわー!」という表現に変えられている。ドラマで「まあ、こわい!」というセリフにしたら、かなり違和感が出るだろう*3。しかしそもそも「まあ、こわい!」なんて言い方、1978年でも少女が言っていたかどうかも怪しいけど。

 また、主人公たちが吸血鬼が活動しない(はずの)昼間に街に出て探索しているシーンは、こうセリフが変わっている。

(原作)青年B「さしあたって欲しいのはラジオと新聞だ。全国的な情勢をつかみたい。」

(ドラマ)青年B「最優先で欲しいのはスマホのポータブル充電器だ。ネットが生きていれば何か情勢が掴めるかも。(……)SNSで呼びかけるのも手だな。」

 しかし逆に言うと、原作が発表された40年以上前(1978年)と現在(2024年)の社会の違いって、もしかしてスマホSNSだけなのではないか、と思わされた。原作では、回想部分で、主人公の青年Aが、世界で流行しはじめた「奇病」について報じるテレビ番組を不安そうに見ているシーンがある。画面の中でアナウンサーの発言は、以下のようにほぼ変えていない。

(原作)「バルカン諸国に発したといわれる奇病はその後ヨーロッパやアメリカにも伝播したうたがいが強いと発表されました。症例がすくないため予防治療法の研究進展しておりませんが、リチャード・マチスン博士は病原体とみられるウイルスの分離に成功したもようであります。なお、この病気と吸血鬼伝説を結びつけた怪談もどきのうわさも、医学界の全面的否定にもかかわらず根強くひろまっており……」

(ドラマ)「バルカン諸国に発したといわれる奇病はその後ヨーロッパやアメリカにも伝播したうたがいが強いとされています。症例がすくないためまだ治療法やワクチンの研究進んでいませんが、免疫学の権威リチャード・マチスン博士は病原体とみられるウイルスの分離に成功したと発表しました。なお、この病気と吸血鬼伝説を結びつけた……」

 そこにやってきた主人公の父親は、主人公の不安を一笑に付してこう言う。

(原作)「なに、吸血鬼?くだらん。奇病?だいじょうぶだよ。検疫さえしっかりしてりゃ、なるもんか!」

(ドラマ)「大丈夫大丈夫(笑)日本の検疫をなめちゃだめだよ。ウイルスの一匹だって通しはしないよ。」

 その後、主人公の周りでも感染者が次第に増え始めるのだが、父親は相変わらず「正常性バイアス」そのものの反応を示す。

(マンガ)「心配ないよ。厚生省も本腰を入れて防疫体制を作ってるし。」

(ドラマ)「大丈夫。厚労省は本腰を入れて防疫体制を作ってるんだ。日本で蔓延することなんかありえない。」

 今回ドラマでこれらのシーンを見て、あまりに「リアリティ」があるので、もう本当に笑ってしまった。やはり藤子F不二雄は天才だ、としか思えないが、SF短編集をドラマ化するにあたって、今この作品を選んだプロデューサー?はセンスがある。

現実

「大丈夫大丈夫(笑)日本の検疫をなめちゃだめだよ。ウイルスの一匹だって通しはしないよ。」

↓↓↓

・ダイアモンド・プリンセス

・空港検疫をPCRから精度がはるかに劣る抗原検査に変更*4

・水際対策終了!(5類ですから)

現実

「大丈夫。厚労省は本腰を入れて防疫体制を作ってるんだ。日本で蔓延することなんかありえない。」

↓↓↓

・発熱が4日以上続いた場合受診して下さい

・うちで治そう

エアロゾル感染はありえません*5

・空気感染はありえません*6

・旅行自体が感染を起こすことはありません(だからGOTO!)*7

PCR検査は感度が低い*8

PCR検査をすると感染者が増える*9

PCR検査をすると医療崩壊する*10

・新規感染者数全数把握は終了しました(5類ですから)

・アベノマスク

・マスクの隙間はウイルスより大きいから無意味*11

・学校ではマスク着用を求めないことを基本とする*12

・コロナが明けました*13

……もうきりがない……うんざりしてきた……。

 そうそう、マンガをドラマ化したときのもう一つの変更点があったのだった。原作では、主人公がテレビ(もちろんブラウン管)で感染症のニュースを見ていたのに、やってきた父親が「ガチャ」とダイヤルを回してチャンネルを変えてしまう。このときの父親が申し訳無さそうに言うセリフが以下である。

巨人ヤクルトのダブルヘッダーがはじまってるんだよ

 ドラマでは、テレビが液晶になっているのはもちろん、父親が勝手にチャンネルを変えるシーンはない。したがって上の父親のセリフもない。まあ当たり前ですね。マンガが発表された1978年ごろはプロ野球でしばしば行われていたダブルヘッダーというものは、1998年10月10日の横浜中日戦以降一度も行われていないそうだ*14

追記

 マンガとドラマを見比べてもう一つ気付いたことがあるのだが、最後、洞窟に訪れた少女Aの服装が、襟の形やボタンの数まで全く同じなので感心した(ほかの服装はそこまで一致させていない)。

マンガ

ドラマ

 

*1:下記リンクはNHKオンデマンドのものだが、U-NEXTからもレンタルできる。https://video.unext.jp/title/SID0085385

*2:登場人物の表記はNHKのサイト藤子・F・不二雄SF短編ドラマ - NHKに倣ったのだが、「青年」に対応する表現が「少女」しかないというのは考えてみればおかしい。

*3:その他の部分も改めてセリフの違いをチェックしたが、少女Aのセリフは原作の「だわ」「のよ」的なセリフをすべて同様に自然な表現に直していた。

*4:しかも安倍友の富士レビオ製

*5:最初の頃ワイドショーで何人もの「専門家」がこう言っているのをこの耳で聞いた。

*6:同上。念の為言っておきますがコロナウィルスは空気感染しますよ。

*7:2020年7月の尾身ちゃんの発言ですね。https://jisin.jp/domestic/1877632/

*8:これを読んでいる人にはまさかそう思っている人はいないと信じたいですがこれはデマですよ。

*9:同上

*10:同上

*11:念の為これも嘘ですよ。

*12:昨年3月の文科省の通知です。学校でのマスク着用 4月1日から原則不要 感染対策の考え方変更|NHK

*13:念の為これも嘘ですよ。

*14:ダブルヘッダーはデーゲームで、消化試合で行われたはずだから秋の休日、また多くの企業が週休二日になったのは1980年代以降だから、このシーンは秋の日曜ということになる。というか、かつては必ずテレビ中継されていた巨人戦、いまは地上波で放送すること自体がめずらしい。