「日本人には甘ったれた曖昧な被害者意識しかないんだよね」by竹内芳郎

日本人には甘ったれた曖昧な被害者意識しかないんだよね。これは非常にいけないものの根源だと思うね。日本人はアジアに対してははっきり加害者なんですよ。なるほど原爆については被害者だけど、しかしこれについてさえも、「原爆をおとされました、もう再び誤まちはくりかえしません」では、誰が誰に対して誤まちを犯したのかわけがわからなくなってしまう。もし本当に被害者意識に徹底するのなら、今度は加害者に対する猛烈な憎しみがあってよさそうなものだけどね。つまり加害者と被害者の明確な対立もないような被害者意識なんだ。加害者と被害者との歴史のなかでの弁証法的逆転を見てとるサルトルのダイナミックな思想とは大違いだ。だから平和運動は年中行事になっちゃって、わけがわからなくなるし、一方は既成の政治理念だけで外からそれにかぶさってくる。そうするとジャーナリズム一般は、みんな平和運動家・政治家たちだけが悪くて祈ったり泣いたりだけしかせぬ非政治的な被爆者の方はとてもいい子だと言う。たしかにこの方はブルジョア支配層にとって衛生無害だものね。ぼくは問題はもっと根本的だと思うんだ。自己の拠るべき主体的拠点を忘れて外から与えられた既成の政治理念だけで集ったり分裂したりしている政治運動家も愚劣なら、ひたすら自己体験だけに甘えてその客観的政治を嫌悪化する体験主義者も同じように愚劣な筈なのだから。サルトルに見られるような、主体と客体との弁証法といったダイナミックな思想は、日本ではどうしても成立しないものらしいね。(『現代の眼』現代評論社、1966年10月号、67ページ)

現代評論社発行の『現代の眼』という左翼系の雑誌があった。左翼には有名な雑誌だと思うが、「現代評論社」も「現代の眼」もwikipediaに項目がない。1968年から第四代の編集長を努めた丸山実という人の項目にこの雑誌のことがある程度説明されている。 

ja.wikipedia.org

enpediaという謎のオンライン百科辞典には項目がある。

enpedia.rxy.jp

これらの情報を総合すると、創刊時期は1960年代ということだけで不明、終刊は1983年ということのようだ。

 1965年生まれの私だが、子どものころ家にこの雑誌がよくおいてあった。父親はトイレで本を読む習慣があったが(という人はたぶん珍しくはないと思うけど…)トイレで読む用の本のことを「うんぽん」と呼んでいた。そういうわけで、『現代の眼』はよく「うんぽん」になっていた。で、私もトイレで遭遇するこの雑誌をよく眺めていた。もちろんほとんどの記事は読んでもまったくわからなかったのだが、「鳥類図譜」という風刺イラストが毎号の扉に載っていて、これは面白いのでいつも眺めていた。

今回、事情があってこの雑誌の古いバックナンバーを国立国会図書館デジタルコレクションの個人送信サービス(登録が必要だが、国立国会図書館の本を自宅にいながら直接オンラインで閲覧できるサービス)でいろいろ読んでいたのだが(まったく便利な時代になったものだ!*1)この「鳥類図譜」、私は辻まことの作品だと思っていたのだが、それは勘違いで(辻まことは「虫類図譜」だった)、「鳥類図譜」は、真鍋博だった。真鍋博といえば、星新一の本のイラストで有名だが、子どものころ星新一が好きだったのでその意味でも懐かしかった。

 それはともかく、この『現代の眼』1966年10月号は「特集:サルトルの思想と現代」である。

dl.ndl.go.jp

1966年というと、9月22日にサルトルが来日し、一ヶ月近く滞在したという年である(ちなみに同じ年にビートルズも来日している)。この特集はあきらかにサルトル来日に合わせて企画されたものだろう。で、この特集に、「サルトルの思想と日本──現実に責任を負うとはどういうことか」と題された竹内芳郎と鈴木道彦の対談が掲載されている。この対談がいつ行われたかは記載がないのだが、内容から、サルトル来日の直前に行われたものであることがわかる。非常に興味深い対談なのだが、今回これを探して読んだのは、加藤周一が、「サルトルの知識人論」という文章でこの対談のことを紹介していたからだ(『加藤周一著作集2』平凡社、1979年、332ページ)。ちなみに、ものすごく細かいことだが、この文章で、加藤は対談の掲載誌を「『現代の眼』9月号」と誤記している(実際は10月号。おかげで対談を探すのに時間がかかってしまった)。

加藤周一の「サルトルの知識人論」を読んだきっかけは、最近出版された竹本研二さんの『サルトル「特異的普遍」の哲学』に、この文章が紹介されていたからだ。

www.h-up.com

 と、ここまで長い前フリを書いておいてなんだけど、竹本さんの本と、この対談の全体について書くのは他日に期したい。今回は、この対談の中で、竹内芳郎が当時の日本(竹内いうところの日本的現実)について語っている部分(当記事の冒頭の引用)が、今読んでも非常に刺さるものなので、紹介したかった、というわけである。

 

*1:使い方はたとえばここなどに書いてある。

「国立国会図書館個人向けデジタル化資料送信サービス」利用のススメ | 大阪大学附属図書館

国会図書館のサイトの説明は正直わかりにくい。