アニメと反戦(2)『機動戦士ガンダム』2

アニメと反戦(1) - 猿虎日記

実名性とリアリティ

 『アニメと戦争』において、藤津亮太は、「『ガンダム』で描かれた「戦争」の特徴は、現実に起きた戦争との「繋がり」と「断絶」が絶妙に共存しているところにある(『アニメと戦争』106ページ)」と言う。

 まず、『ガンダム』が持っていた現実の戦争との「繋がり」について。『ガンダム』は、地球連邦とジオン公国という、架空とはいえ、人間の国家間の戦争を描いている。その点が、敵が異星人の侵略者である『ヤマト』や、悪の秘密結社である『マジンガーZ』とは違う(同書107ページ)。つまり、『ガンダム』における戦争は「それまで人類が体験してきた戦争と地続き」のものとなった(同書110ページ)わけである。そのことで、『ガンダム』は本物の戦争としての「リアリティ」を獲得する。
 もっとも、戦争としてのリアリティを追求する子ども向けエンターテインメント作品は、もっと前の時代、1960年代にすでにあった。藤津も引用しているが(同書68ページ)夏目房之介によると、1960年初頭から少年月刊誌、週刊誌に「戦記物ブーム」がおこっていた(夏目房之介『マンガと「戦争」』30ページ)。

 少年マンガ雑誌にも、貝塚ひろしゼロ戦レッド』、辻なおき『0戦太郎』、ちばてつや紫電改のタカ』、辻なおき『0戦はやと』などの「戦記もの」が掲載され、『0戦はやと』は1964年にアニメ放送すらされていたのだという。これらは、ストーリーとしてはほとんど史実を踏まえていない荒唐無稽なものだったとはいえ、実在した戦闘機などの兵器が登場し、実際にあったアジア・太平洋戦争を舞台とした物語だった。夏目は、こうした作品が、当時のマンガ界に訪れた、手塚治虫的なSF未来的「架空性」から「実名性」への変化を背景としていた、と分析する。

 白土時代劇に顕著な、実在の歴史的人物や事件の強調によるリアリティの獲得(白土時代劇とそれ以前のチャンバラ物とのちがいは、史実らしさの巧妙な利用だった)。

 スポーツ物では実在の人物、力道山、長嶋などを主人公にした「……物語」という嘘っぽい伝記マンガ(ぽいというより名前以外全部嘘ばっかというのもあった)に始まり、週刊マンガ誌上での実在球団で活躍する少年主人公というパターンの成立。(『マンガと「戦争」』33ページ)

 「戦記物に実際の兵器や人物を登場させる手法」も、そうした変化の延長線上にあった、というのである。しかし、そうした実在の兵器や戦争を扱った「実名性」志向の戦記物においては、「戦争」そのものは通俗化され、作品のテーマとしてはかえって後退していたのではないかと夏目は言う。夏目によると、そうした戦記物は「戦争というより、戦闘技術やメカヘの単純な子どもの憧れを実名性でひきよせた」だけのものであった(同書60ページ)*1。それは、SF未来的な架空世界を舞台にしながらも「戦争と生命に対する強い倫理感」と「戦争を普遍化してみようとする理念」をそなえていた手塚治虫のマンガとは対照的だった(同)。

むしろ〔戦記物の〕読者たちは、野球マンガや忍者マンガと同じレベルで戦記マンガを読んでいたはずだ。少なくとも私はそうだった〔1950年生まれの夏目は当時10代はじめ〕。子どもたちにとって、戦記マンガから読み取れる戦争は、野球や忍者の戦いと同列のゲーム的な戦闘にすぎなかったと思う。
 当時良識派が心配したような「大東亜戦争の肯定」につながることもなかったが、戦争体験のイメージ的継承という観点がありうるとすれば、実名性にもかかわらず体験を想起 させるリアリティはないにひとしかった。(『マンガと「戦争」』60ページ)

 もちろん、上の引用文にあるように、ゼロ戦を「かっこいいもの」として描くようなそれらのマンガが「大東亜戦争の肯定」につながることを危惧する「良識派」はいただろう。夏目少年は無自覚だったようだが、もっと自覚的に「自分たちはかっこいい戦闘技術やメカを愛好しているだけだ」と思っている人々は、そうした「良識派」による批判を、うっとおしいものと感じていただろう。そこから、「被害妄想」と「歴史修正」も起こってくる。

 最近(2022年5月)、ツイッターに、「その昔まだ日本の軍事アレルギーが強い時代、当時のミリオタたちは常に弾圧に晒され、多くが離れるか狂うかしていった」というつぶやきとともに、藤子F不二雄の『ドラえもん』のセリフを以下のように改変した画像が投稿された

何十年か前本邦の文化人と呼ばれる人たちの間には「左翼にあらずば人にあらず」みたいな風潮が確かにあってね
反戦・反米反権力は絶対の真理であり当時の軍事へのアレルギーは強力なものだった
戦車や戦闘機が好きと言おうものなら周囲から白い目でみられるから言い訳の理論武装が必要だったんだ
これは宮崎駿ですら例外ではなかったよ
だから当時のミリオタたちのふるまいは隠れキリシタンの如きだったよ
宇宙戦艦や巨大ロボで戦争っぽい雰囲気の作品はあったがどれもあくまでぽいだけだ
もっとリアルな戦車や戦闘機のアニメが観たい! 架空戦記読んだり模型作るだけじゃ満足できない!
ミリオタの飢えはいつまでも満たされなかった

togetter.com

 上記togetterを読めばわかるように、この投稿には多数のツッコミが入った。実際は(夏目も書籍で取り上げていたように)1960年代(戦後たった十数年)の段階ですでに少年マンガ週刊誌に戦記物が掲載され、アニメ化された作品まであったのであり、こうした史実を、かつては「ミリオタ」が「弾圧」されていた、という主張への反証として上げている投稿も多い。

断絶と箱庭

 次に、藤津が言う『ガンダム』と現実の戦争との「断絶」について。先に紹介したように、藤津は、人間の国家間の戦争を描いている『ガンダム』が、異星人の侵略者と戦う『ヤマト』などとは違って「現実に起きた戦争との「繋がり」」を獲得した、と分析する。そのことで『ガンダム』はある種の「リアリティ」を獲得した。しかし一方で、藤津によると『ガンダム』は「これまでの歴史上の戦争と一線を画す部分も備えて」おり、この「断絶」のほうが『ガンダム』における戦争描写では重要だ、と言う(『アニメと戦争』111ページ)。

 ところで、藤子改変マンガのセリフには「宇宙戦艦や巨大ロボで戦争っぽい雰囲気の作品はあったがどれもあくまでぽいだけだ」という箇所がある。「宇宙戦艦」と「巨大ロボ」はおそらく『ヤマト』と『ガンダム』のことを指しており、それらに対するミリオタの不満が、「ミリタリ的に満足できる作品」である、2007年(2008年)の『ストライクウィッチーズストパン)』で満たされた、という話になっている。しかし、藤津は、前述の著書で、『ヤマト』と『ガンダム』との差異にむしろ注目する。例えば『ヤマト』は、侵略異星人と戦うという「未来戦争」を描きながらも、「「ヤマト=大和」という固有名詞を媒介にして、「過去の戦争」の記憶が呼び込まれ」ている。また、ガミラスが明らかにナチスヒトラーを連想させるように描かれることも加わって、『ヤマト』は、「ここにある「未来戦争」が「過去の戦争」のある種の反復であるという色合いを帯び」ていた、という。そして藤津は、『ヤマト』では、「過去の戦争」との「繋がり」を示唆することで、「「過去の戦争」の悲劇と「未来戦争」の回避が結び付けられている」と言うのだ。
 一方、『ヤマト』と同じく未来戦争を描く『ガンダム』は、「過去の戦争」と実質的に「断絶」して描かれている。しかも、当時のファンから「リアルだ」と言われたような、リアリティを獲得していた。それは、「開戦までの(架空の)歴史的経緯や、スペースコロニーはどこにどれぐらいあるのか」といった「設定(あるいは世界観)」がきちんと用意されていたこと、また、登場する兵器・小道具の「細部の描写」から来ていた(これもある意味「設定」の話とも言えると思うが)と藤津は言う。つまり、『ガンダム』では、リアリティ獲得のために、夏目が言うところの「実名性」志向は採用されていなかった*2。そのことは、当時の『ガンダム』ファンにとって都合が良かった、と藤津は考える。というのも、「人類同士の戦争という一点でリアリティを確保しながらも、現実の戦争とは距離をとった『ガンダム』は、その結果として、「良心の傷まない戦争ごっこ」の舞台=箱庭としてとても大きな役割を果たすことになった(『アニメと戦争』117ページ)」からである。

SF戦記ものとして制作され た『ヤマト』は、しかしその名前ゆえに、どうしてもアジア・太平洋戦争を想起せざるを得なかった。そこには一抹の後ろめたさがつきまとう。
しかし『ガンダム』は、日本人が体験したアジア・太平洋戦争から完全に断絶した世界観である。そこでは戦争がいくら起こっても、現実の戦争と一定の距離感が保たれているから、エンターテインメントとして消費をしても後ろめたさを感じることはない。ファンは安心して、兵器、個人、あるいは人間関係といった「部分」を楽しむことができるのである。そういう意味で、『ガンダム』は、敗戦国である日本がようやく手に入れた、誰も傷つかない「戦争ごっこ」のための箱庭だったのである。(『アニメと戦争』118〜9ページ)

 藤津によると、これは、富野監督ら作り手の意図したところではなく、「構築性の高い「世界観」」が生んだ「副産物」だった、と考える(同書119〜20ページ)が、いずれにせよ80年代当時、『ガンダム』を「箱庭」での「戦争ごっこ」を楽しめるものとして(そうはっきり意識せずとも)支持するアニメファンがいて、そうした層は現実の「戦争」そのものには無関心だった、ということは、なるほどそういうこともあったかもしれないな、と思う。また藤津は、当時、「エンターテインメント(アニメ文化)」として『ガンダム』などの作品を楽しむそうした層と、「世間や社会、あるいはマスコミが持っている「戦争」への忌避感、反戦意識というもの」との間に「すれ違い」が起こっていた、と言う(同書124ページ)。これも確かにそういうことはあったかもしれない。ただ、それをもって、さきほど紹介した藤子改変マンガの投稿者が言うように「軍事アレルギーが強い」時代に「ミリオタ」たちが「弾圧」されていた、とまでは言えないだろう。夏目の記述を読めば、1960年代にして、すでに、「実名性」をもった直近の戦争すら平気で「箱庭」あつかいして「戦争ごっこ」をエンターテインメントとして楽しんでいた少年たちがいたことがわかるのであり、そうした作品に対する批判はあったかもしれないが「弾圧」などなく、社会全体としては容認されていたのである*3。『ヤマト』や『ガンダム』の時代に至ってはなおさらそうだったろう。
 だが、「ミリオタ」が「弾圧」されていたという「被害妄想」「歴史修正」は、すでに80年代に生じていたともいえる。藤津は、『ガンダム』の3年後、1982年放送の『超時空要塞マクロス』のメインスタッフが、団塊の世代が多かった『ガンダム』のメインスタッフより10歳近く若い、1960年代前後生まれのものが多かったことに注目している(同書141ページ)。それが、『マクロス』が1980年代という時代性と結びついて異彩を放っていたことと関係している、ということなのだが、藤津は、同作品が『ガンダム』など他のアニメと「戦争を扱うときの手つき」が異なっていたことを説明する中で、『マクロス』に登場する、リン・カイフンという「教条的反戦主義者」のエピソードを紹介している(同書144〜5ページ)。(続く)

アニメと反戦(3) - 猿虎日記

アニメと反戦(4) - 猿虎日記

アニメと反戦(5) - 猿虎日記

*1:ただ夏目は、『紫電改のタカ』の場合は、ラスト近くで例外的に作者の戦争観が噴出していた(同書39〜43ページ)と言う。

*2:ただ、「オデッサ」などの実在の地名は用いられており、一部では実名性も利用されているわけだが、過去の戦争、とりわけ「アジア・太平洋戦争」とのつながりを想起させるようなものはない。

*3:藤津も、戦記物を読んでいた1960年代の少年たちが、戦争の「全体」から切り離して兵器や戦闘という「部分」を愛好していたという社会学者高橋由典の分析を紹介している(『アニメと戦争』118ページ)。