アニメと反戦(3)『超時空要塞マクロス』

アニメと反戦(1) - 猿虎日記

アニメと反戦(2) - 猿虎日記

反戦主義者と軍人

 『超時空要塞マクロス』の放送は1982年。私は高校2年生だった。この作品も1・2回観たかもしれないが、ほとんど覚えていない。当時アニメファンの間で話題だったことはもちろん覚えているが、リン・ミンメイという劇中アイドルが出てきて……ぐらいの知識しか残っていない。リン・カイフンという登場人物のことも、藤津の著書を読んで初めて知った。『マクロス*1も今回やはり40年ぶりにアマゾンプライムビデオで観てみた(ただし全部ではなく、カイフンが登場する場面を中心にざっと観て、あとはあらすじ紹介のサイトやyoutube動画をいくつかみただけである)。藤津が「教条主義反戦主義者」と呼ぶカイフンだが、たしかにそのようなキャラクターだった。

マクロス』が描いた戦争という観点から無視できないもうひとつの要素が、リン・ミンメイの従兄であるリン・カイフンというキャラクターである。カイフンは、教条主義的な反戦主義者だ。負傷したときにハンカチを手渡されても、相手が軍人であるわかるとそれを拒否するぐらい頑なな人間で、その硬直した主張と人間的な魅力に欠ける点は一体のものとして描かれていた。これは空想的平和主義者をカリカチュアしているわけだが、ここにこにも一九八〇年代らしさを見つけることができる(『アニメと戦争』144ページ)。

 藤津は、この「1980年代らしさ」について、斎藤美奈子の以下のような発言を引用している*2

斎藤 「脱構築」という言葉も流行りましたよね。つまり、関節をはずしていく。『金魂巻』でも『見栄講座』でも『現代思想・入門』でも、みんなそうなんですよ。今まで肩に力を入れて「勉強しなければいけない」、「人生こう考えなければいけない」、「世の中はこうでなければならない」って言ってたのが、「そんなのどうでもいいんちゃう?」っていう感じになる。だけど、「どうでもいいんちゃう?」と言いながらそれをぜんぶ捨て去るわけではなく、見方を変える、足元で威張っていそうな奴をこかすみたいな──すごい雑なとらえかたですけれども──運動の仕方は展開されていた(斎藤美奈子成田龍一編『1980年代』(河出書房新社、2016年)33ページ=『アニメと戦争』144ページ)。

 藤津は、斎藤のこの「こかす」という表現を借りて、『マクロス』の「反戦主義者」のキャラクターであるカイフンは、「「世界はこうでなければならない」と肩に力を入れていたキャラクターだからこそ、あえて「こかされた」」のだ、と言う(『アニメと戦争』145)。
 たしかに、『マクロス』の、反戦主義者を「こかす」というこの仕草は、実に「1980年代らしい」と感じる。そして私はこの「1980年代らしさ」に強烈な違和感というか嫌悪感を感じるのである。例えば以前触れた『ガンダム』のカイ・シデンは、「皮肉屋」キャラとして、あらゆるものを冷やかし、「こかす」態度をとっていたように見える。「仲間」とかどうでもいい、「戦争」もどうでもいい、「敵味方」とかもどうでもいい。カイは、「反戦」も、「どうでもいい」と言いそうではある*3。ところが、「1980年代らしさ」というやつが「こかす」(というか「コケにする」)対象というのは、結局「反戦」(もっと広く言えば、反体制的なものあるいは左翼的なもの)のみに収斂していくのである。『マクロス』における、カイフンと軍人の描きかたの違いにもそれは現れている。
 『マクロス』では、地球人と、ゼントラーディ人という巨人のような異星人との戦争が描かれている(その意味ではストーリーは『ガンダム』より『ヤマト』に近い)。地球に住む生命の大半が失われる激しい戦いの末、最終的に地球人はゼントラーディとの戦いにとりあえず勝利するが、『マクロス』では、生き残った地球人とゼントラーディ人が共存して暮らしている戦後*4の地球の様子も描かれる。第31話では、ある街でゼントラーディ人の「暴動」が起こり、「暴徒」が、ある装置を保管場所から奪うという事件が起こる。暴動は、主人公一条輝(いちじょう・ひかる)ら地球人の「パトロール隊」によって鎮圧される。そこにこの街の市長とカイフン、ミンメイが通りかかる。装置を接収しようとしている輝に対して、市長は、街の人口の大半を占めるゼントラーディ人にとって装置は必要なものであり、持ち去らないでほしい、と要請する。しかし輝は、ゼントラーディ人の「不満分子」が装置を使って巨大化し反乱を起こす恐れがあるので、装置を軍があずかる、と言う(「マイクローン装置」と呼ばれるその装置を使って、ゼントラーディ人は体の大きさを人間サイズに縮小したりもとの巨人サイズに拡大したりできる)。そこにカイフンが割って入るのだ。カイフンは輝に、「ゼントラーディ人は、いつどんなときでも自由にマイクローン(人間サイズの状態のこと)になったり、巨人になったりする権利があるはずだ。」「大勢のゼントラーディ人が住むこの街から、マイクローン装置をとりあげるのはちょっとひどいんじゃないですか?」と言う。輝たちパトロール隊を取り囲む市民は「軍のいうとおりにはならんぞ!」などと口々に叫ぶが、その市民たちに向かってカイフンはこう言う。「みなさん、これを軍が保管するのは国家権力の不当介入です。この装置は、この街で持つのが正当なのです。」輝は、暴徒が装置を奪いにくる危険を訴えるのだが「権力を振りかざすな!」という市民の抗議の声を受け、撤退する。

 だが結局装置は反乱を起こしたゼントラーディ人に奪われ、カイフンはミンメイとともに人質になる。カイフンらは輝たち軍の突入によって救けられるのだが、救けられてなお、カイフンは「人質の命を危険に晒した」と軍を非難する。

 このように、「権利」とか「国家権力の不当介入」などという左翼的な言葉を使うカイフンたち「反戦」派は、徹底的に愚かで迷惑な存在として描かれている。それに対して輝たち軍人は、反戦派の非難に耐えながら命がけで市民を守る存在としてあくまでかっこよく描かれている*5。(続く)

アニメと反戦(4) - 猿虎日記

 

 

 

 

*1:テレビ放送版。1984年の劇場版にもカイフンは出てくるらしいが今回は観ていない。

*2:大澤真幸斎藤美奈子成田龍一の鼎談中の発言。

*3:カイが反戦を「こかす」シーンは特になかったと思うが。

*4:「第一星間大戦」後。

*5:まあ、統合軍総司令部など、良く描かれない地球の軍人もいるが。