アニメと反戦(4)

アニメと反戦(1) - 猿虎日記

アニメと反戦(2) - 猿虎日記

アニメと反戦(3) - 猿虎日記

左翼が偉かっただって?

 ところで、前回斎藤美奈子の発言をとりあげた『1980年代』の中の大澤真幸斎藤美奈子成田龍一の鼎談で、大澤真幸は次のように言っている。

大澤 成田さんの話との関係で言えば、八〇年代は「サヨク」が出てきて「左翼」が少しずつ相対化されるんだけれども、まだ左翼が偉かった最後の時代ですよね。九〇年代になると左翼はちっとも偉くない。八〇年代までは、まあ偉かった。
斎藤 ちょっとね。頭よさそうだったから。
大澤 そう。普通に賢ければ左翼にならざるを得ないと思われていた。そういう意味では私たちは全員左翼ですよね。左翼というだけで一応最低限偉いと言うことができる時代が八〇年代だったんです。それ以降になると左翼はかっこ悪いものになる。ネトウヨは右翼じゃない、左翼嫌いですね。わざわざ「嫌い」とネットで言われてしまうくらい、左翼はかっこ悪くなってしまった。(『1980年代』25〜6ページ)

 「80年代までは左翼が偉かった」と、言うのだが、いったいどこの平行世界だろうか?と思ってしまう。私は、1981〜1983年に山梨で高校生、1984年に大学受験浪人、1985〜1988年まで東京で大学生だった。つまり高・大がすっぽり80年代に入っているのだが、「左翼が偉い」などという雰囲気は1ミクロンも感じたことがない。客観的に見ても、1980年代は常に自民党が安定多数。1986年の衆院選では300議席を取り圧勝している。80年代の政治というと中曽根、というイメージしかないが、中曽根康弘という右翼が1982年から1987年まで長期政権を担っていたのが1980年代である。私自身の体験としても、高校では、右翼が言う「反日教育」なるものも(受けてみたかったものだが)まったくなかった。社会科の教師など完全に右翼で、授業でも右翼的な発言をしていたが、抗議の声をあげる生徒など一人もいない。友人の中には、それこそガンダムに熱中するもの、ミリオタ的なものこそいたが、左翼的なやつなど見たこともない。大学は、左翼的と言われているところだったが、そこでも肩透かしをくらった。左翼はいることはいたが、大多数の学生は政治に無関心で、左翼は、偉いどころかむしろ白い目で見られていたと思う。各地の大学にはどちらかというと右翼のほうが浸透していたかもしれない。1982年発行の菅孝行/貝原浩の『全学連 (FOR BEGINNERSシリーズ)』には、80年代の大学の状況が(今話題の原理研も含めて)以下のように描写されている。

菅孝行・貝原浩『FOR BEGINNERSシリーズ(日本オリジナル版)全学連』(現代書館、1982年)166頁

 当時私は、「左翼」について、たとえばこの『全学連』という本で、知識としていわば「勉強」していたのだが、「左翼」とか「学生運動」とかいったものは、当時すでに、ある意味ではもはや書物の中にしかない「歴史的」事象であり、現実の世界での左翼(特に新左翼)は、絶滅寸前の珍獣、とまでは言わないが、かなりレアな存在だったと思う。つまり、私と同世代(1965年生まれ)で80年代をすごした人間の多くは、「左翼」とか「学生運動」なんて、現実にはほぼ見たことがなかったはずなのだ。
 にもかかわらず、当時から私は、「左翼」とか「学生運動」なるものが「いかに世の中にはびこっていたか」、また、そうしたものに「いかに迷惑を被ったか」という話なら、伝聞もふくめてしょっちゅう聞かされていた。以前、「何十年か前はミリオタが常に弾圧に晒されていた」などとさも見てきたかのように語るツイートを紹介したが、そこに見られた「かつては左翼にあらずば人にあらずみたいな風潮があった」とか「反戦・反米反権力は絶対の真理だった時代がある」などというクリシェは、実際は、すでに80年代から流通していた、というのが私の実感である。
 大澤は、左翼がかっこ悪いものになり、左翼嫌いのネトウヨが生まれたのが90年代であるかのような言い方をしているが、上述のように80年代にはすでに「左翼嫌い」は普通にいたし(なんなら左翼よりもたくさんいたかも?)左翼が「かっこ悪い」ことはある意味当たり前だったと思う。それは、前回紹介した「反戦主義者」カイフンが醜悪に描かれるエピソードを含む『マクロス』の放送が1982年だったことからも明らかである。言うまでもないが、当時、「ネット」などというものは影も形もない*1

空想左翼とリアル左翼

 ただ、だからといって、左翼や反戦運動など昔から大したことなかった、などと言ってしまったら、それはそれで歴史の改ざんになってしまう。「左翼嫌い」の言説には、「昔は左翼が大暴れして大迷惑だった」と「昔から左翼はザコで誰にも見向きもされていなかった」という、ヤカンの小話*2ばりに矛盾する2つのパターンがある*3。「○○年代には左翼にあらずば人にあらずみたいな風潮があった」とか「反戦・反米反権力は絶対の真理だった」、などということがあるはずもないが、同時に、それぞれの時代・状況の中で、様々な反戦の闘いがつねにあった、というのもまたあたりまえの話だ。
 たとえばそうした闘いは、アニメの世界でもずっと続いてきたし続いている。そのことは、藤津亮太『アニメと戦争』の中に鮮やかに描き出されているのだが、もっとも印象的だったのが、『宇宙戦艦ヤマト』にまつわる「軍艦マーチ事件」(1974年)である。そもそも、『ヤマト』の制作現場では、当初から、「宇宙戦艦ヤマト」を「太平洋戦争の負の記憶の象徴」である「戦艦大和」から切り離し、SF冒険ものとして作りたい松本零士と、「ヤマト」を過去の「大和」と結びつけたい右翼のプロデューサー西崎義展の間に対立があった(藤津『アニメと戦争』90ページ)*4。ちなみに西崎という男は石原慎太郎の友人であり、後年、自動小銃などの所持で逮捕された際には、尖閣諸島へ上陸した石原慎太郎を警護する必要から購入したと主張したようなガチの右翼である。

 さて、『ヤマト』第2話には、宇宙戦艦ヤマト戦艦大和のつながりを示すシーンとして、1945年の大和の最後の出撃が描かれていたのだが、このシーンのBGMに軍艦マーチが使われることが放送直前にわかったのだ。松本は激怒し、西崎との間で議論になったが、最終的に、制作会議でのスタッフの抗議をきっかけに、急遽BGMを差し替えることになり、ギリギリのタイミングで本放送での軍艦マーチ使用は回避された*5。1980年に出版された本の中で、石黒昇が、この制作会議の様子について回想している。

 解散しようとした時、演助の石崎すすむ君が手を上げて発言を求めた。 
「質問があります。2話では軍艦マーチが入っているそうですが、どういう意図で使っているのですか?  我々は右翼的な作品を作るのに手を貸したくありません。お答えによってはこの場で辞めさせてもらいます」
 見ると緊張のあまり青白い顔をした石崎くんのまわりに四、五名の演助や進行が寄りそうように身を固くしている。
 これにはさすがの西崎氏もショックを受けたらしく、深刻な顔をして考え込んでしまった。
 70年安保を体験して来た石崎くんら若手の連中は、彼等なりに『ヤマト』に対する不安をスタート時から持っていた。それが「軍艦マーチ事件」を契機に表面化したのだった。ここで進行に辞められたら、すでにスケジュールはギリギリまで遅れてきていたから、どんな事態になるか予想もつかない。 
石黒昇小原乃梨子『テレビ・アニメ最前線──私説・アニメ17年史』大和書房、1980年、208−212ページ=『アニメと戦争』92ページ)。

 会議の後、石崎は、「おれ、貧血おこして気絶しそうだった」と言っていたらしいが、石黒は、このことからも「当時ぼくらがこの問題をいかに真剣に考えていたか判ってもらえると思う」と書いている(『テレビ・アニメ最前線』212ページ)。
 石崎すすむという演出家について、ネットで検索してもほとんど情報が出てこない。名前すらあげられていない4、5人のスタッフも含めて、もちろん「左翼活動家」でもなんでもない、当時は「若手」のアニメーターであろう。それが、プロデューサーという権力者であり、おそらく10歳ほど年上の右翼に対して、職を賭して声をあげたのである。彼らのこの勇気ある行動について、私は「かっこいい」という言葉しか思い浮かばないが、「左翼嫌い」のみなさんの眼には、これも「制作を妨害した迷惑行為」とでも映るのだろうか。

 また、軍艦マーチ放送をとめた石崎らの行動は大きな意味があったと思うが、ただ、再放送では結局軍艦マーチは流されたのであり、しかも石黒によると、当時「そのことをとりたてて問題にしようという者もいな」かった、と言う。そのかぎりでは、石崎たちの闘いはある意味「負け戦」だったわけだ。もちろん、だから意味がなかった、と言いたいのでは決してない。だが、昔は「左翼にあらずば人にあらずだった」だの「80年代までは左翼は偉かった」だのが嘘っぱちであることは確かだ。
 藤津の著書では、『マクロス』のリン・カイフンは「硬直した主張と人間的な魅力に欠ける空想的平和主義者」のカリカチュアだ、と書かれている(藤津亮太『アニメと戦争』144ページ)。しかしむしろ、カイフンの姿こそが、「左翼嫌い」「反戦嫌い」が作り出した「空想の産物」なのではないだろうか? 私は、石崎たちの行動の中にこそ、「リアルな」反戦主義者の姿があると思える*6。『マクロス』などの「リアルロボットもの」の愛好者は、兵器や戦術などの「リアリティ」を重視するそうだが、一方、「左翼」や「反戦」については、まったくリアリティに欠けていても意に介さないようである。

作られた「左翼嫌い」

 『ヤマト』の現場での石崎たちによる反戦の闘いを回想した石黒昇が、後に『マクロス』を監督し、カイフンという醜悪な反戦主義者のキャラクターを作り出したことには皮肉を感じるが、前回紹介した、カイフンが終始悪役として描かれる第31話の脚本を書いた富田祐弘についてWikipediaを見ていたら、興味深い記述を見つけた。

(高校卒業後)映画の照明スタッフを目指して日大藝術学部へ入学するが、当時の大学紛争によって授業もろくに受けられない休講状態の日々を過ごす。そこで当時の紛争をパロディに戯曲を書いてみたところ、周囲の好評を得たことから、脚本家志望へと方向転換。

富田祐弘 - Wikipedia

 藤津によると『マクロス』のメインスタッフが1960年代前後生まれのものが多かったというが(『アニメと戦争』141ページ)、1948年生まれの富田は、監督の石黒と同じく、一世代上のいわゆる団塊の世代である。もしかすると、第31話でのカイフンの描写には、富田の大学時代の「学生運動」への反感が影響しているのかもしれない。だが問題は、80年代になり、私の世代より下の、左翼も学生運動もろくに見たこともないような世代が、こうした、学生運動当時から反感を持っていた者の体験談や回想にのみ「リアリティ」を感じてしまう、ということかもしれない。それは彼らが、見たこともない左翼や学生運動に最初から反感を持っているからである。そしてそうした反感は、「過激派」という言葉でさかんに反左翼(反新左翼)キャンペーンを行ったマスコミの影響もあるだろう。電通は「過激派」という言葉を作ったことで三億円もらったとも言われる。だいぶ前にブログで紹介したが(8.5.サウンドデモ - 猿虎日記)『戦争の克服』(集英社新書)の中で森巣博はこう書いている。

言葉の置き換えによる言論誘導といえば、「過激派」もそうでしたね。1960年代末に、いわゆる新左翼集団をひとまとめにして過激派と呼ぶようになりました。「エクストリーミスト」を「過激派」と翻訳しただけで、当時、電通は三億円もらったと言われました。それまでは、反日共系全学連××派とか三派系全学連○○派とか個別に呼ばれていたのですよ。それは穏健派も暴力革命派もふくまれていたので、いっしょくたにできない集団でした。しかしそれでは取り締まる側に不都合なわけです。それで、「過激派」というレッテルを作り上げました。これなら、全員パクれる。一斉検挙が可能となった。
阿部浩己、鵜飼哲森巣博『戦争の克服』集英社新書、2006年、p.111)

8.5.サウンドデモ - 猿虎日記

サヨクと左翼

 ところで、前回の記事への id:EoH-GS20 さんのはてブコメントhttps://b.hatena.ne.jp/entry/4725127922424293411/comment/EoH-GS によると「20何年前くらいの時に『赤旗』で中高生が、マクロス反戦かどうかについて論争してた思い出。」とある。
 『1980年代』で、斎藤美奈子は、1980年代に反原発運動が盛んだったと言っていて

3・11のあとに「初めて原発のことを考えるようになりました」という人たちがいましたけれど、 若い人たちはいいですよ、だけど五〇代以上でそういうやつって、八〇年代どうやって暮らしてたんだって、私には信じられません(笑)。逆にそのくらい流行りだったの、反原発が。

(『1980年代』36ページ)

 とまで言っている。これもちょっと大げさすぎるのでは、と感じるが、この対談では、こうした反原発運動のような(当時としては)「新しい社会運動」的なものを「サヨク」と呼び、「左翼」と区別しているようである。そういう意味では、「文化が戦争を終らせる」という『マクロス』は、当時の「サヨク」的な雰囲気の影響を少しは受けているのかな、と思わなくもない*7。ただ、もしかすると、80年代というのは、「暗く闘争に彩られた『旧平和運動』から、明るく楽しい『新平和運動』への転換」が重要だ(小林正弥『非戦の哲学』https://sarutora.hatenablog.com/entry/20050108/p1)というような言説が流行りはじめた時代、つまり、大澤が言うように「『サヨク』が出てきて『左翼』が少しずつ相対化され」はじめた時代、でもあったのかもしれない。しかし、そうした相対化、差異化こそが、結局は左翼もサヨクも後退してしまう時代を準備した面があるのではないか、とも思うのである。
(続く)

*1:パソ通など今の「ネット」とは比べ物にならないごくごく内輪のものだしそれとて1980年代後半である。

*2:貸したヤカンを壊された、と非難されたときに、「ヤカンは返すときには壊れていなかった」と「ヤカンは借りたときにすでに壊れていた」と「ヤカンは借りていない」を同時に主張する、というやつ。

常野雄次郎「永遠の嘘をついてくれ」参照。

*3:サルトルは、1966年に行った日本での講演「知識人の擁護」で、「知識人」に向けられる非難が、民衆をあざむく有害な存在とされたり、知識人の言うことなど誰も聞かないから無力だと言われたり、矛盾していることを指摘している(永野潤サルトルの知識人論と日本社会」澤田直編『サルトル読本』法政大学出版局、2015年、144ページ)。

*4:例えば、ヤマトの船首部分に「菊の御紋」が絶対に必要だと主張する西崎に対し、松本零士は「絶対につけない」と反対していたのだという。結果的には、「菊の御紋に見える」が「菊の御紋」そのものではないものとしてあの波動砲のデザインになったのだという(『アニメと戦争』91ページ)。

*5:一部差し替えが間に合わず軍艦マーチが流れた地方もあるという。ただ、今回youtubeで問題のシーンを見てみたのだが(軍艦マーチぬきのもの)、私の記憶より長く、また「あれが戦艦大和だ。日本の男の船だ。忘れない様にようく見ておけ。」などというセリフもあり、軍艦マーチ抜きでもそこそこ右翼的ではあるかな、と思った。

*6:サルトルは、前掲の講演「知識人の擁護」で、原子力について研究していた知の技術者が、一見研究と「関係ない」核兵器使用反対の署名を行ったとき、はじめて、サルトルが擁護する意味での「知識人」となるのだ、と言っている(永野潤、前掲論文、144−145ページ)。ここでの石崎たちもまさに「知識人」となった、と言えるのではないか。

*7:「文化が戦争を終わらせる」って言ったって、歌を流して相手が怯んでるすきに攻撃した、ってことなんだから、結局文化を戦争に利用しただけじゃないの…と思ってしまうのだけどね