アニメと反戦(5)『カウボーイ・ビバップ』

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「はいはい(笑)」

 最近、アニメをよく見ている。しかも過去の「名作」を。ここ何十年かは、TVでたまたま観はじめた場合以外「これを見よう」と思ってわざわざ見るアニメはあまりなかったのだが、この連作の第一回で書いたようにガンダムを含む過去の観逃した有名作をアマゾン・プライムで見るようになり、この連作を書きはじめたこともきっかけだが、ついにアニメのためにサブスクにも入ってしまった。『超時空要塞マクロス』は、「アニメタイムズ」というサービスで観たが、「dアニメストア」のほうが観たいものが多そうだったのでそちらに乗り換え、さらに最近は「U-NEXT」だ。
 そんなことはどうでもいいのだが、少し前、「dアニメストア」で、これもまた観逃していた『カウボーイビバップ』(1998年)を観はじめた。確かに、なかなか面白い。ところが、第4話の途中まで観たところで、「おいおい、またこれかよ……」というストーリー展開に。まあ効率よくブログのネタが収集できたとも言えるのだが。
 それで、「またこれ」というのはなにかというと、以前紹介した『超時空要塞マクロス』(1982年)のカイフンのエピソードと同様の、「左翼嫌い」的なエピソードが出てきたのである。まず、『アニメと戦争』の藤津亮太が言うところの「教条的反戦主義者」「空想的平和主義者」である、『マクロス』リン・カイフンのエピソードがどのようなものだったか、第31話と第32話のセリフを抜粋してあらためて紹介しよう。

(カイフン(反戦主義者)が、市民に対して軍批判の演説をするシーン)
「みなさん、これ(マイクローン化装置)を軍が保管するのは国家権力の不当介入です。この装置は、この街で持つのが正当なのです。」
市民「そうだ! この若者のいうとおりだ! そうだそうだ!」
輝(軍人)「待ってください! この街にはわずかな武力しかありません。万一、装置を奪いに暴徒たちが襲ってきたら…!」
カイフン「そのときは住民の力で守る!」
市民「そうだそうだ!」「あたしたちの手で守ればいいのよ!」「軍の勝手にさせるな!」「この装置は俺たちの宝なんだ!」
輝「聞いてください! 新統合政府に来れば、いつでも自由に装置は使えるようにします。万一のために、保管させてください!」
市民「だまれ!」「権力を振りかざすな!」「帰れかえれ!」
カイフン「かーえーれ! かーえーれ!」
市民「かーえーれ! かーえーれ!」*1

 その後、結局軍が警告したとおり武装集団に装置が奪われ、カイフンは人質になるが、軍に救出される。救出された後もカイフンは感謝もせず軍人を批判する。

カイフン「なぜこんな危険な方法で救出に来たんだ。」
未沙(軍人)「あ。」
カイフン「ほかのやりかたもあるだろうに!」
未沙「あたしたちは最善と思われる行動をとりました。人質の命は最優先させたつもりです。」
カイフン「最優先が聞いてあきれる。だいたいきみたち軍人は…!」*2

 アニメと反戦(3)で書いたように、「権利」とか「国家権力の不当介入」などという左翼的な言葉を使うカイフンは、醜悪なものとしての「左翼」のカリカチュアとして描かれている。このように、「左翼フォビア」あるいは「社会運動フォビア」は、すでに1980年代のアニメの中に当たり前のように顔を出していたのである。
 さて、では『カウボーイビバップ』の中の「左翼フォビア」的エピソードとはどんなものだったのか。『カウボーイビバップ』は、賞金稼ぎである主人公スパイクらが活躍する、宇宙時代のハードボイルド活劇アニメみたいな感じなのだが、第4話(Session #4)「ゲイトウェイ・シャッフル Gateway Shuffle」では、「スペースウォリアーズ」という「宇宙環境保護団体」が登場する。この団体と偶然遭遇したスパイクとその相棒ジェットは、高額の賞金がかかっていたリーダー、トゥインクル・マリア・マードックを捕縛する。
 スペースウォリアーズというこの団体のことを知らなかったスパイクに対して、相棒ジェットが説明するセリフが以下である。

「宇宙環境保護団体?」
「というよりは環境テロだな。スペースウォリアーズっていう、元々は環境保護と希少動物保護のまともな団体だったんだが、2年前にリーダーが変わって以来性格が変わって一変。わずか数人のグループなんだが、今やそこいらのマフィアよりたちが悪い存在だ。特にガニメデ(木星の衛星)の海ネズミ保護にはご熱心でな。でもって、これがその集団のリーダー、トゥインクル・マリア・マードックってわけだ。」

 トゥインクルは縛られたまま不敵な笑みを浮かべて口をはさむ。

「テロリストなんかと一緒にしないでいただける? 私たちは大自然の掟のために戦う、平和の戦士なのよ。」

 それを聞いたスパイクは肩をすくめてこう言う。

「はいはい。」

 情けない。環境破壊する大企業やそれを黙認する政府などではなく、抗議活動・社会運動の欺瞞を叩くのがいまや定番の「風刺ネタ」なのである。政府のプロパガンダの裏にある汚い現実を暴くのではなく、社会運動の裏をあげつらって叩く。権力の裏を暴くことより反権力の裏を暴くことにスカッとするという心性が多くの人に共有されているのだろう。
 ところで、トゥインクルの「私たちは平和の戦士なのよ」という言葉を聞いたスパイクの「はいはい。」という態度は象徴的だ。彼は、トゥインクルの主張を真面目に聞く気が最初からない。なぜなら、彼はこの団体による「平和の戦士」という自称が嘘だ、ということを「知っている」からだ。スパイクたちがトゥインクルを捕縛する直前、スペースウォリアーズは、希少動物ガニメデの海ネズミを提供していたレストランを襲撃し、多くの客たちを殺している。しかし、スパイクたちは、スペースウォリアーズのこの「テロ行為」を見たから、彼らが「平和の戦士ではない」ことを「知った」わけではないのだ。スパイクたちは(またアニメ視聴者たちは)「スペースウォリアーズが」平和の戦士ではないこと、ではなく、「平和の戦士は平和の戦士ではない」こと、言い換えれば、「平和の戦士とはことごとく嘘つきである」ということを、あらかじめ「知っている」(つもり)なのだ。
 辺野古の座り込みの看板について「0日にした方がよくない?」と言ったひろゆき、それを面白がった人々にしてもそうだ。彼らは、平和の戦士の「看板に偽りがある」という、「事実」(もちろん実際は「事実」でもなんでもないのだが)を「発見」して、それを材料に敵を攻撃しようとしたわけではない。彼らにとっては、平和の戦士の看板に偽りがあるということは、とっくに「知っている」(と思っている)前提なのである。だから、彼らに、彼らの主張への反証となるエビデンスを提示したとしても、返ってくる言葉はわかりきっている。「はいはい。」だ。彼らは、平和の戦士を観察して結果として嘘つきである、という結論を導き出したわけではない。平和の戦士はいわば定義上嘘つきなのであり、そのことを彼らは最初から「知っている」のだ。
 サルトルは、1946年に発表した『ユダヤ人』の中で、反ユダヤ主義者は「何等かの外的要素facteur externe」によって反ユダヤ主義者になったのではない、として、次のように言う。

反ユダヤ主義は、自己の自由な、そして総括的な選択の結果であり、単に、ユダヤ人に対してだけでなく、人類全体に対して、歴史と社会に対して、その人のとる一つの綜合的な態度である。それは、同時に情熱でも、世界観conception du mondeでもある。*3

 同じように、『マクロス』や『カウボーイ・ビバップ』そしてひろゆきらの「反左翼」も、何らかの事実から導き出した結論なのではなく、彼らが最初から選んでいる一つの「世界観」なのである。だから、彼らの側が「論破」されたり、彼らの側が嘘をついていたことが「客観的に」明らかになったとしても、彼らにはほとんどダメージはない。そもそも彼らは本気で「議論」しているわけではないのだから。彼らにとって「平和の戦士は嘘つきである」ことは「議論の余地のない」前提である。彼らの「論破」とは、嘘がばれていないと思っている愚かな平和の戦士たちをからかってやる、仲間内での遊びである。
 サルトルは、反ユダヤ主義者たちの議論の「軽さ」を指摘しているが、その理由を以下のように説明している。

今、わたしは、反ユダヤ主義者達の「言葉」をいくつか並べたが、それは、みんな馬鹿気ている。「わたしは、ユダヤ人が嫌いだ。なぜなら、召使を無規律にするからとか、ユダヤ人の毛皮屋が、盗人同然だから」などなど。だが、反ユダヤ主義者達が、これらの返事の無意味なことに全く気付いていないと思ってはならない。彼等は、自分達の話が、軽率で、あやふやであることはよく承知している。彼等はその話をもてあそんでいるのである。言葉を真面目に使わなげればならないのは、言葉を信じている相手の方で、彼等には、もてあそぶ権利があるのである。話をもてあそぶことを楽しんでさえいるのである。なぜなら、滑稽な理窟を並べることによって、話相手の真面目な調子の信用を失墜出来るから。彼等は不誠実であることに、快感をさえ感じているのである。なぜなら、彼等にとって、問題は、正しい議論で相手を承服させることではなく、相手の気勢を挫いたり、とまどいさせたりすることだからである*4

 江原由美子は、70年代のウーマンリブ運動のメディアにおける扱われ方の特徴を「相手の主張を『取るに足らないもの』として否定する、政治的行為」としての「からかい」として分析した*5サルトルが分析した反ユダヤ主義者たちの態度、また『マクロス』や『カウボーイ・ビバップ』などのアニメに見られる左翼的なものの揶揄、これらもまさに「政治的行為としてのからかい」だと言えるだろう。もちろんそれは、アニメと反戦(3)で書いた、1980年代的な「真面目なものをこかす」という仕草、ともつながる。

 ちなみに、スペースウォリアーズのリーダー、トゥインクルを、部下たちの男性は「ママ」と呼んでいる。部下たちがママからの「おしおき」を恐れている、という描写もある。このように、「カウボーイ・ビバップ」の「反左翼」には、50年前のウーマン・リブへのバッシングから、近年のグレタ・トゥーンベリ、colaboへのバッシングにまで流れる、女性活動家的なものに対する「からかい」という要素も、ちゃんと?入っていたのである。

 さてここで、ジェットがスペースウォリアーズについて「元々はまともな団体だった」と言っていたことに注目してみたい。ここには、反左翼の人々が好む「正義の暴走」というモチーフが見て取れる。「正義の暴走」とは、「正義がときに暴走する」ということではない。「正義は必然的に暴走する」ということ、つまり、「平和の戦士」は、必然的にテロリストになる、ということなのだ。スペースウォリアーズの主張も、ことさらに「暴走」した、とんでもないものとして描かれている。スペースウォリアーズは、海ネズミの漁猟を容認していたガニメデ政府に対する制裁として、人間を猿に退化させるウイルス「モンキービジネス」を搭載したミサイルをガニメデに向けて発射しようとする。その直前、トゥインクルがガニメデの放送チャンネルをジャックして行った演説が、以下である。

文明化した人間は大いなる自然のシステムから逸脱し、取り返しのつかない大罪を犯しているのよ。そのことに気づかない連中は、いわば大自然の中の〈バグ〉。私たちのモンキービジネスは、そんな人間達を自然に返してあげるものなの。わかる?

 このシーンを観て、私は、このスペースウォリアーズが、だいぶ前にブログで書いた、漫画『プラネテス』に登場する「宇宙防衛戦線」とあまりにそっくりなので、おもわず笑ってしまった。そのことは、ブログの当該部分をお読みいただければわかると思う。

まず(『プラネテス』)第一巻第3話「ささやかなる一服を星あかりのもとで」のストーリーを紹介する。このエピソードには、月面基地などで爆弾テロを繰り返す「宇宙防衛戦線」が登場する。テロを報じるニュースを見ながら、回収船クルーのちょっとインテリぽいユーリは、この「テロ集団」について主人公ハチマキこう「解説」*1する。

 

はじめは単なる宇宙自然環境の保護団体だったんだけど、最近は「宇宙における人類の構築物を全て破壊する」のが活動内容だな。利害の対立する宇宙企業同士がライバルの攻撃に利用してるなんて話もある

 

 それを聞いたハチマキの反応は「ふーん 爆破するんか 悪いやっちゃなー」というもので(二人は将棋をさしながらテレビを見ている)つまり主人公たち宇宙ゴミ回収業者は最初この団体の活動についてほとんど無関心である。だが、彼らはこの団体が引き起こそうとした大きなテロ未遂事件に偶然まきこまれる。彼らが回収しようとした故障した通信衛星は、実はデブリに見せかけたミサイルで、宇宙防衛戦線は、このミサイルを宇宙ステーションに激突させ、それをきっかけに無数の宇宙ゴミを増殖させることで(ケスラー・シンドローム)地球と宇宙を断絶しようとしていたのだった。宇宙防衛戦線のスポークスマン?は、「犯行声明」で、石油の代替エネルギーを宇宙にもとめた人類を批判してこう言う。

 

有限なエネルギーの上に文明を築き 破壊しつつ拡がってゆく我々の性質になんら変わりはない(……)今こそ人類は 傷だらけの月を前に 驕慢と搾取の歴史を改めなければならないのだ 我々「宇宙防衛戦線」は声なき星々の代弁者だ そして今日は人類の宇宙空間からの撤退を記念する日となるだろう(p120)

 

 「戦線」という団体名とか、「搾取」という言葉使い、演説口調は、サヨク的なもののカリカチュアであろうが、その「思想」の内容は、単なるナイーブな文明批判としてしか描かれていない。

 

sarutora.hatenablog.com

 どうだろうか。「スペースウォリアーズ」「宇宙防衛戦線」という団体名、同僚が団体のことを説明する場面での主人公の「はいはい。」「ふーん 爆破するんか 悪いやっちゃなー」という反応、自然から逸脱した人類に制裁を加えるために文明を破壊するという誇大妄想的な団体の思想……。1999年に発表されたプラネテスの作者幸村誠が、前年に放送された『カウボーイ・ビバップ』のこのエピソードを参考にした、ということは十分にありうる、と思うのだがいかがだろうか。
 さてここで、「超時空要塞マクロス」「カウボーイ・ビバップ」「プラネテス」それぞれの発表年と、作者(前2作品では当該エピソードの脚本家)の生年(ついでにひろゆきも)をならべて書いてみよう。

 ここからわれわれは、世代から世代に、反左翼という「世界観」が継承されていくさまを見て取ることができるのではないだろうか。

追記

 上記のように『プラネテス』(1999)の「宇宙防衛戦線」の元ネタが『カウボーイビバップ』(1998)の「スペースウォーリアーズ」である可能性は高いと思います。しかし、スペースウォーリアーズにも元ネタがあるのではないか、ということに後で気が付きました。テリー・ギリアムの映画『12モンキーズ』(1995)です。作中で「12モンキーズ」とは、人類のほとんどを死滅させたウィルスをばらまいた、とされていた環境テロリストグループの名前です。「モンキー」が被っているし、これが元ネタである可能性はかなり高いのではないでしょうか。私はこの映画を観たことがあったのに、この記事を書いたときに不覚にも思いつきませんでした。

*1:第31話「サタン・ドール」せりふはhttp://macrocosmosnet.web.fc2.com/macross/line-tv-31.htmlより

*2:第32話「ブロークン・ハート」http://macrocosmosnet.web.fc2.com/macross/line-tv-32.html

*3:Jean-Paul Sartre, Réflexions Sur La Question Juive, Gallimard, 1946, pp.18−19. ジャン=ポール・サルトル、安堂信也訳『ユダヤ人』岩波新書、14ページ。

*4:ibid., pp.22-23.同、18ページ。

*5:江原由美子フェミニストはなぜ「からかわれる」のか? 「からかい」という行為のズルい構造」https://gendai.media/articles/-/83087?page=2
江原由美子「からかいの政治学」『女性解放という思想』勁草書房、1985年、185ページ。