一周回ってワンと鳴く

本屋で、赤瀬川原平が去年『日本男児』という新書を出していることに気がつきました。上坂冬子先生の『これでは愛国心が持てない』とか出している文春新書です。

日本男児 (文春新書)

日本男児 (文春新書)

全然話題になってないし、別にどうってことないんですが、立ち読みしたら、なんというか、悲しくなってしまいました。立ち読みしただけのうろ覚えで、正確な引用ではないけど、だいたいこんな感じのことが書いてありました。
「最近は目からウロコが落ちて素で考えるようになった」
「自由は戦後アメリカから入ってきたが、自由には善玉菌と悪玉菌がある。何でも子供の自主性にまかせる、なんかは悪玉菌。悪玉菌は別名左翼ウィルスとも言う」
「若いころは反体制を気取って左翼っぽいことを書いたが、まあそれはそういう時代だったから」
天皇一般参賀に行ってみた。気がつくと自然とみんなと一緒に日の丸を振っていた。昔からヒロヒトは嫌いではなかった。昔はそういう雰囲気があったのでいきがって反天皇ぽいことも書いたけれど」
「電車の中で化粧をしている若い女性とか、女子高生のミニスカートとか見ると、眉をひそめたくなるが、大人が、自由にしている子供に眉をひそめてはいけない、というような雰囲気が今の日本にはあって息苦しい」
平和憲法と特攻隊というのは、極端な精神論で、できもしない無茶なことをしようという点で、似ているんではないだろうか」
「自分もそうだったが、夜型というのは左翼的で不健康。年をとって朝型になったら調子が良い」
「徴兵制は若者の体を鍛えるのにはいい」
みたいな感じ。まあもともとこういう傾向が見えてはいたけど、ここまで来ると、無残というか、見ていられない感じがします。ハイレッドセンターとか、千円札裁判とか、櫻画報とかの時はかっこいいと思ったんですが(といってもリアルタイムで体験しているわけではないが)それがこんなになってしまうとは(小野洋子さんとは大分違うところに来てしまいましたね。)。
つまり彼は、昔の自分の左翼的なものは時代のせいだった、といっているわけで、ということは、上のようなウヨク的?発言も、時代のせい、てことになるわけですね。そうやって時代に乗って書いたつもりのこの本が、ぜんぜん話題になってもいないというところは、悲しいといえば悲しいです。
まあ本人としては、少年時代はフツーの軍国少年だったみたいなことも書いているので、一周回ってもとにもどった、みたいなつもりなのかもしれない。
そういえば、「一周回ってかっこいい」という言い方について、前に古賀及子さんがこんなことを書いてました。

(……)参加している「デイリーポータルZ」にレポートを書いたのが縁でニュー新橋ビルに関する記事で〔夕刊フジに〕取り上げられました。こんなことってあるんだなあ。
 ただ、ニュー新橋ビルに関しては私にとってはあまりにもストレートに魅力的なので、「若者が一周回っていいよねカンカクでとらえてる」とは絶対に思って欲しくなくって、そのことを記者の方にしつこく説明したら「一周回っていい」というのがキャッチーに伝わってしまったらしく、真逆に「一周回っていいってみんな言ってますよ」みたいに書かれてしまったのは、ウッカリミスでした。

http://www.asahi-net.or.jp/~jh5c-kg/01/20071128.html

この「一周回ってかっこいい」ていう言い方は、なんというか、ポストモダン保守みたいなものの雰囲気をよくあらわしているようにも思うのですが*1、ひょっとして、モトネタのひとつは、デュシャンじゃないかな、とも思います。


マルセル・デュシャンは、1919年に、有名な「レディ・メイド」作品、「L.H.O.O.Q.」を発表しました。この作品は、ダ・ヴィンチの「モナリザ」の複製画(絵はがき)に、デュシャンがえんぴつで口ひげと顎ひげを書き加え、余白に「L.H.O.O.Q.」という文字を付しただけのものです*2。その後、1923年以降、デュシャンは一切の製作活動の放棄を宣言し*3引退同然の生活を送っていたのですが、「L.H.O.O.Q.」の発表から46年たった1965年に、「rasee, L.H.O.O.Q.」という「作品」を発表しています。それは、もともとはデュシャンによって知人に配られたディナーの招待状なのですが、そこには、何も書き加えられていない単なる「モナリザ」の複製画が貼りつけられ、余白には「rasee, L.H.O.O.Q.」つまり「ひげを剃られた、L.H.O.O.Q.」と書かれてあるのです。つまり、「一周回った」わけですね。もちろん、ポストモダンちっくな言い方でいえば、これは、一周回って「同じところに戻った」ということではなくて、むしろ、「同一性の中に差異がうがたれ」云々とか、「反復の中にズレが」云々、という言い方になるのでしょうが……ま、要するにヘリクツですね(笑)。
ところで、そのポストモダンに批判されているサヨクの決まり文句は、「一周回る」ではなくて、「逆立ち」です。「ヘーゲルのカンネン論は逆立ちしている」というのが、サヨクというかマルクス主義者の殺し文句でした。
しかしですね、「逆立ちしている」と、「一周回って」というのは、一見正反対の雰囲気に見えて、実は同じことですよね。「お前は逆立ちしている」というのは、「オレは逆立ちしてない」ですし、「オレは逆立ちしてない」は、つまり「オレは一周回って地に足ついている」なのです。
ポストモダン保守や、彼らと気があいそうな呉智英氏なんかの言い方というのは、やはり「最近」の若者言葉の「逆に」を使えばこうなるでしょう。「サヨクってダサくね?逆に」「保守って、一周回ってかっこいいよね」です。つまり、呉センセは、逆立ちよばわりする相手を左翼に変えただけで、「お前は逆立ちしている」メソッド自体は左翼からきちんと受け継いでいたんですね。左翼出身だけあって*4
まあでもほんとにほんとの最近の主流は、「ポスト『ポストモダン保守』左翼」です。「逆に」という若者言葉もむしろかっこ悪くなりつつあります。逆に。というわけで、実は一周半回ってかっこ悪くなりつつあるのに気がついていないKYなかわいそうな人が呉智英センセや赤瀬川センセです。受けると思って、若者の前でウヨクぽい話題を振ってるのかもしれませんが、「なにそのKTな発言」とか思われてますよ。*5



あと、これは蛇足なんですが、昔(1999年!)デビュー時の太眉黒髪から、細眉茶髪にイメージチェンジした宇多田ヒカルについて書いた文章を(今読むとかなりはずかしいのですが)再録します。

(……)宇多田さん、ホームページの日記でそれについてコメントしてます(けっこうしょっちゅうチェックしてるもんで(^_^;)で、そこで彼女は細眉茶髪化に対する批判に対して反論しているのですが、その論理に、ほんのちょっと違和感を感じました。もちろん、いいたいことはわかるし、こんなところで揚げ足をとってもしようがないんですが……で、彼女はどういっているかというと、「周りでやってる人が少ないから黒にしよう」という理由で髪を黒くするというのは、逆に「自分」を持っていない人の発想だ、と言うのですね。それは、みんな黒くしてるから黒くしよう、という発想と大差なく、本当にカッコ良い人は、「周りのことを変に意識しないで自分の世界持ってる人」なのだそうです。しかし、これ完全に揚げ足取りなのかもしれないですが、彼女は、「まわりの人に影響に変に反発する人」に反発しているわけで、結局、他人に反発している(=他人に影響されている)と言えなくもない(^_^;)
 えーと、「他人に影響されて」茶髪にしたとしますね。でも、そのひとが、「私は自発的に他人に影響されたんだ。私は他人に影響されたかったんだ」と言ったとしたらどうでしょう?するってえと、本当にだめなのは、「他人に影響されて他人に影響される」つまり「みんなが他人に影響されてるから私も他人に影響されようっと!」という人なのかしら……
 なーんつって、こういうひねくれた考え方をしてはいけませんね(^_^;)

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/6142/diary2.html

※今この記事を投稿しようとしたら、はてなフォトライフの投稿の仕方が変わってて、firefoxからは投稿できない!仕方ないのでIEから投稿しました。まさかfirefoxに対応してないとか??おーい、なんとかしてくれー。前の方が良かったです。
ポストモダン保守についてはこちら

批判感覚の再生―ポストモダン保守の呪縛に抗して

批判感覚の再生―ポストモダン保守の呪縛に抗して

*1:いや、ただ、「一周回ってかっこいい」という言葉で思い出したのが上の記事だった、というだけで、古賀さんがポストモダン保守、ということではもちろんないです。上の引用でも、「一周回って」じゃない、と強調しています。なのに逆にされちゃったんだけど、「まいっか」みたいな感じのところがまたいいです。DPZ全体についてですが、「ポストモダン保守」的な匂いがめずらしくほとんどしないところがすきな所です。

*2:このアルファベットをフランス語でそのまま読むと「エラショーオキュ」という発音になって、「彼女はお尻が熱い」というエッチな意味のフランス語の文に聞こえる。

*3:しかし、実は晩年「遺作」と通称されている大作「1.落ちる水、2.照明用ガス、が与えられたとせよ」を密かに製作していたことが、死後明らかになりました。

*4:あ、呉智英センセの場合そうじゃなくて「オレはみんなが逆立ちしているときもずっと地に足ついていた」かな

*5:KT=KURE TOMOFUSAのような発言