『虎に翼』と「法の下の不平等」

 (ネタバレあり)
 朝ドラ『虎に翼』、たいへん面白く観ている。ただ、いろいろと限界を感じるところもある。
 私は観ていないのだが『カーネーション』という2011年の朝ドラ(『虎に翼』のナレーションをやっている尾野真千子が主演だった)では、戦争に行ってPTSDになった登場人物について、その母親が戦後、「あの子は、やったんやな」と言う場面があったらしい。日本の戦争テーマの作品で加害に触れるものがほとんどないので、朝ドラでのこのセリフは画期的だった、という評価を今でもよく見る。だが『虎に翼』はそういう側面はまったくなかった。主人公寅子は、戦後司法省で働き始め、民法改正の仕事に携わることになる(第10週)。ある時、寅子の自宅にGHQの民法改正担当者アルバート・ホーナーが訪れる。寅子の兄直道は戦死しているのだが、その妻の花江は、寅子が「仇(かたき)の国の人と仕事して仲良くしている」ことにわだかまりを感じている。寅子と二人きりになったとき、花江は「仕方ないわよね。負けたのは日本なんだから」と寅子に言っている。つまり、戦争を描く日本のほとんどのドラマが採用している「日本は戦争でアメリカと戦って負けた」という構図を一歩も出ていなかった。これは、第18週のエピソードからも感じられた。第18週では、星航一が戦前「総力戦研究所」に所属していた事実が明らかになる。同研究所は日米戦争を想定した総力戦の机上演習を行い、「日本必敗」という結論を導き出したにも関わらず、研究所の提言は政権中枢によって無視された。航一は、戦争を止められなかった責任を感じ、戦争で肉親を失った人々に「ごめんなさい」と言っていたのだ。だとすると、航一が戦争に反対したのは「アメリカに負けるかもしれないから」だったというのか?では、そもそもシュミレーションの結果が日本勝利だったらどうだったのだろう。それもあるが、航一のこの「ごめんなさい」からは、植民地支配と侵略戦争に対する責任がすっぽり抜けている。
 さて、GHQのホーナーの訪問を受けた花江のわだかまりだが、ドラマでは、ホーナーが、自分もユダヤ人で戦争中親族を大勢亡くしていることを打ち明けることによって、解けていく、というようなストーリーになっていた。ホーナーのモデルは、ドイツ生まれのユダヤ人で、アメリカに亡命、その後GHQの民政局に配属され、戦後日本の法制改革を担当したアルフレッド・C・オプラー(1893-1982)だという。オプラーと同じく、GHQの民政局で働いていたアメリカ人に、ベアテ・シロタ(1923-2012)*1がいる。少女時代を日本で過ごした当時22歳の彼女を含む民政局行政部スタッフ25人は、1946年2月、コートニー・ホイットニー民政局長に召集され、GHQによる憲法草案起草の極秘命令を受ける。ところで、『虎に翼』では、主人公が、闇市で買った焼き鳥の包み紙に書かれていた日本国憲法の条文*2をたまたま目にし、その第14条「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」を読み、涙するという印象的なシーンがある。この第14条(法の下の平等)と、第24条(両性の平等)を起草したのがベアテ・シロタであったことは今ではよく知られている。ベアテの父レオ・シロタは、ウクライナ生まれのユダヤ人ピアニストであり、19歳で祖国を離れ、ウィーン、日本、アメリカと移り住んだいわば亡命者だった。ベアテも、オプラーと同じく親族を強制収容所で虐殺されている。しかし、『虎に翼』にベアテ・シロタをモデルにした人物は登場しなかった*3。もちろん、寅子のモデルの三淵嘉子が司法省で働きはじめたのは1947年6月。その一ヶ月前の1947年5月にベアテは米国に帰国しているので、寅子とベアテが関わるというのは史実に照らすと不自然ではあるのだが。
 ベアテ・シロタは、米国に帰国した後、自分が関わっていた日本国憲法草案の仕事について長い間沈黙を保った。彼女は、アメリカ人(しかも法律の専門家ではない若い女性)が憲法の草案を作ったことが、改憲派による攻撃材料にされることを危惧していたのだという。今回NHKも、ベアテ・シロタをドラマに登場させることで改憲派を刺激しないように彼女をスルーした……のかどうかは分からないが、このドラマで、憲法とGHQの関係が描かれなかったのは事実である。民法改正に関わったGHQのアメリカ人(ホーナー)は出てくるがその役割ははっきりせず、第11週では、憲法14条が生まれたのは、「戦争のおかげ」だったというぼんやりした説明がなされる。
 第11週では、轟太一と山田よね(ふたりとも戦前主人公と大学で共に法律を学んでいた)が、戦後再会する場面がある。よねは、かつて働いていたカフェーで法律相談をしているのだが、カフェーの壁には憲法第14条が大きく書かれている。よねはそれを見つめながら、「ずっとこれが欲しかったんだ、私たちは。男も女も、人種も、家柄も、貧乏人も金持ちも、上も下もなくて横並びである。それが大前提で当たり前の世の中が」とつぶやく。それを聞いた轟は「欲しかったという割にうれしくなさそうだな」と言うのだが、よねは「これは自分たちの手で手に入れたかったものだ。戦争なんかのおかげじゃなく」と答える。
 憲法14条成立の背景にあったGHQとベアテをスルーした『虎に翼』が避けているもう一つのテーマが、天皇制である。第17週では、日本国憲法第14条2項の「華族その他の貴族の制度は、これを認めない」に対する言及があった。これにより、主人公の元学友で華族出身の桜井涼子(涼子様)は、戦後特権や財産を失った。涼子と、そのお付きだったたまは新潟で喫茶店を営むようになるのだが、最終的にたまは涼子を「涼子様」ではなく「涼子ちゃん」と呼ぶようになる。感動的なシーンだったが、ここから視聴者は、今現在もテレビで「皇族」たちが「◯◯様」と呼ばれていることに大いなる矛盾を感じ取らねばならないはずなのだが。
 そして、私たちは、この憲法を「手に入れる」ことがそもそもできなかった人たち、つまり、よねが言う「私たち」から排除された人たちがいたことを忘れてはならない。敗戦後、日本政府は、連合国との間に平和条約が締結されるまでの間は、朝鮮や台湾はいまだに日本の領土だと考えようとした。したがって、日本政府は、朝鮮人や台湾人は日本国籍(もともとは勝手に与えられたものだが)を持っているとしていた。1945年10月、日本政府は日本にいる台湾人、朝鮮人の参政権(選挙権と被選挙権)を認めることをいったん閣議決定した。ところが、弁護士であり当時帝国議会の衆議院議員だった清瀬一郎の強い反対があり、1945年12月衆議院選挙法が改正された時、朝鮮人と台湾人の選挙権は「停止」されたのである(この改正法では沖縄県民の参政権も奪われた)*4
 この改正された選挙法によって、1946年4月10日、衆議院議員の選挙が行われた。このとき、約1,380万人の女性が初めて投票し、39名の女性国会議員が誕生した。そして、日本国籍をもつ一部の人たちを排除したこの選挙で選ばれた衆議院議員たちが(貴族院の議員たちとともに)憲法案を審議したのである。この制定過程で、GHQの草案から、日本政府の要望により訂正された条文があった。それが、よねが「私たちが手に入れた」と言っていた憲法第14条である。憲法第14条の「すべて国民は」という部分は、GHQ草稿(当初は第13条だった)では「All natural persons(すべての自然人)」だったもの *5が、GHQと日本政府との交渉の中で、「すべての国民(英文は All the people)」に変えられた。また、GHQの草案にあった第16条「Aliens shall be entitled to the equal protection of Japanese laws. (外国人は日本の法の平等な保護を受ける)」は、同じ交渉のなかで削除されてしまう。この経緯について、2010年のNHKの番組で、晩年のベアテ・シロタ・ゴードン(日本語ができた彼女はGHQと日本政府の通訳も担当していた)がこう証言している。

憲法に盛り込むべき重要事項はたくさんありました。だから、外国人の権利で日本政府と揉め反感を買いたくなかったのです。第1条と第9条がより大切でした。マッカーサーは天皇制を積極的に維持しようと、全力でこれを憲法に入れようとしたのです。*6

 そして1947年5月2日、日本国憲法施行の前日、「外国人登録令」が交付・施行された。憲法施行前に天皇が出した最後の勅令(ポツダム勅令)だった。その内容は、日本に入国した外国人(ただし、連合国軍将兵やその家族以外)に、外国人登録を課し、戦前の協和会手帳の復活とも言える、外国人登録証の常時携帯を義務付けるものだった。ところが、当時国籍は日本で外国人ではないはずの朝鮮人や台湾人も、この外国人登録の対象となったのである。この勅令の第11条にはこうある。

台湾人のうち内務大臣の定めるもの及び朝鮮人は、この勅令の適用については、当分の間、これを外国人とみなす。

 これは本当に奇妙な話だ。かつて日本の植民地化によって、勝手に「日本人」とした人々。戦後も、自分たちの都合で「日本人」のままにし続けた人々。この人たちを、今度は、別の都合で「この人たちは外国人ではないが外国人とみなす」としたのである。外国人登録証の国籍欄は、在日朝鮮人の場合「朝鮮」と記されたのだが、これは国籍ではなく地域名としての記号だ、という説明がなされた。さらに、1951年には、ポツダム政令として「出入国管理令」が公布される。この政令が、何度かの改定を経て、現在も「入管法」として存続しているのである。この政令では、第4条で、外国人の様々な「在留資格」が定められ、それぞれ在留活動と在留期間の制限がもうけられた。その他、第22条の「永住許可」、第52条の収容と仮放免など、現在の入管法の基本的枠組みはこの時作られている。この政令の目的は、日本にとって「望ましくない外国人」を追放すること、だった。しかも誰が「望ましくない外国人」であるかは、強大な権限を持った入管が恣意的に決定できる仕組になっていた。この政令では、第24条で、「不法入国」「不法上陸」「資格外活動」「不法残留」「刑罰法令違反」などの他に、「工場でストライキを推奨する政党に加入していること」さえ強制退去の理由とされている。さらにこの第24条では、ハンセン病患者、精神病患者、生活保護を受けている貧困者までもが強制送還の対象となっていた。強制送還の手続きには裁判所など第三者がチェックする仕組は作られなかった。こうした仕組は、1951年に「出入国管理令」の作成に関わったGHQのアドバイザー、ニコラス・D・コレアの助言によって作られたとされている。彼は「退去強制制度への司法の介入に強く反対」し、「望ましい外国人」と「望ましくない外国人」を効率的に分けるには「行政官に相当の裁量権を与える」のがよいと考えていた*7。コレアは、在日朝鮮人の多くが「共産主義の先導者もしくは破壊活動組織の一般成員である」と主張していた*8
 改憲派は、GHQが草案を作った憲法が「押し付け憲法」だと言って現行の憲法を攻撃する。その攻撃の材料として自分のイメージが利用されることをベアテは危惧していた。ただ、逆に言うと、女性の人権を憲法に持ち込んだベアテの「民主主義」のイメージは、天皇制を存続し、日本政府とともに入管法を作ったアメリカを隠蔽する役割を果たす危険がある。とはいえ、入管法成立でGHQが果たした役割を強調しすぎることは、それはそれで、別の危険性がある。テッサ・モーリス−スズキはこう言っている。

もっとも、在日朝鮮人社会に対する政策の形成について占領者と被占領者の連携を強調することは危険がともなう。現在の日本の政治状況においてこの問題を「国際化」することは、在日朝鮮人に対する過去の不正や現在も続く差別についての日本の責任を軽減する議論として受取られかねない。ゆえに、私は日本史の境界や日本・朝鮮・アメリカ関係という線引きをまたぐ、国際的な力によってつくられたものとして在日朝鮮人の歴史を論じるが、いずれにせよ過去の過ちを精算し現在の差別をなくす責任が日本政府や日本人からなくなるものではないと強調しておきたい。しかし、占領期の出来事を詳しく見ることは、戦後も無傷のまま生き長らえる日本のコロニアルな姿勢がいかに占領当局の利害や態度とうまく調和したかを明らかにする上で役に立つ。
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 戦前から続く日本の植民地主義・外国人差別は、戦後入管法を成立させたが、それは、当時の国際情勢や、GHQの利害や態度と「うまく調和」していた。しかしそのことは、差別の体制を作り差別を実行した(している)日本の責任をいささかも小さくするものではない。『虎に翼』は、第18週をはじめ、戦後日本での朝鮮人差別を正面から取り上げ、評価されているが、そうした差別を支えていた、国家による差別、法による差別は、描かれない。主人公寅子は、国家公務員である裁判官となり、「法」は、差別と戦う彼女にとっての拠り所として、少なくとも中立的なものとしてしか描かれないのである。

参考:「虎に翼」今週の解説 | Meiji NOW

*1:後に同じGHQの通訳だったジョセフ・ゴードンと結婚してベアテ・シロタ・ゴードンと名乗るようになる

*2:「二十一年十月八日」の日付が見えるので、1946年10月7日憲法草案が国会を通過した翌日の新聞だろう

*3:未見だが、NHKは5月には別番組で三淵嘉子とベアテ・シロタに触れた番組を放送したらしい。

*4:ちなみに清瀬は1946年GHQによって公職追放されるが、その後解除され政界復帰。1960年日米安保条約の強行採決の際衆議院議長をつとめていたのはこの男である(このとき骨折している)

*5:全文は「All natural persons are equal before the law. No discrimination shall be authorized or tolerated in political, economic or social relations on account of race, creed, sex, social status, caste or national origin.」

*6:2010年7月25日 NHKスペシャル「シリーズ日本と朝鮮半島 第4回 解放と分断 在日コリアンの戦後」※字幕を書き写したもの(「揉め」は字幕ではひらがな)https://www.nhk.or.jp/special/detail/20100725.html

*7:テッサ・モーリス・スズキ/伊藤茂訳「冷戦と戦後入管体制の形成」『季刊前夜3号』特定非営利活動法人前夜、2005年、72−3ページ。

*8:同書、69ページ。

*9:テッサ・モーリス-スズキ/辛島理人訳「占領軍への有害な行動―戦後日本における移民管理と在日朝鮮人」『現代思想』第31巻11号、2003年、p.202.