クルド問題はわれわれの問題である

 最近、安彦良和*1の漫画『クルドの星』(文春デジタルマンガ館、上下2巻)を読んだのだが、なかなか面白かった。安彦の漫画作品はいくつか読んでいる(たぶん最初に読んだのは1990年代の『虹色のトロツキー』)が、『クルドの星』は未読だった。1985年から1987年にかけて、徳間書店『月刊少年キャプテン』で連載していたのだという。
 文春デジタルマンガ館版『クルドの星』の巻末には、複数の版に掲載されていた著者のあとがきが再録されているが、2005年に書かれた文で、彼は本作について「本業のアニメがかなり多忙だった中で書いた」もので「出来が良くない」と謙遜している。たしかに、歴史ものだと思って読んでいたら、最後の方で突然SFになったのは面食らったし、ラストもちょっと唐突なのだが、しかし、全体としては面白く良くできた作品だと思う。

 『デジタル大辞泉』によると、『クルドの星』とは次のような作品である。

安彦良和による漫画作品。クルド独立運動に巻き込まれた少年が人類史の壮大なミステリーの扉を開く、SF冒険譚。1985年から1987年にかけて、『月刊少年キャプテン』で連載。徳間書店少年キャプテンコミックス全3巻。クルドの星とは - コトバンク

 作品の舞台はトルコである。トルコには、「国をもたない世界最大の少数民族」とも言われるクルド人が1500万人居住している(これはトルコの総人口の20%近い数)が、トルコ政府は、長年に渡って「クルド独立運動」に苛烈な弾圧を加えてきた。
 『クルドの星』には、漫画連載当時トルコ首相だったオザルと思われる人物の演説シーンが描かれている。

一九二〇年の国辱的セーブル条約の幻影を追い、クルディスタンの独立を画策する彼らの主張は、国父アタチュルクの名において!!断固排撃しなければならない!クルドのゲリラは見つけしだい殺す!!諸君!!これが共和国トルコの決意であります!!(上巻173ページ)

クルドの星』上巻173ページ

トゥルグト・オザル

 セーブル条約とは、第一次世界大戦後の1920年8月、連合国とオスマントルコとの間で結ばれた講和条約であるが、この条約では、オスマン帝国の分割案が示されると同時に、クルディスタンクルド人の土地)の独立を認める内容も含まれていた。ムスタファ・ケマル(アタチュルク)*2が20年4月にアンカラに樹立した新政権はこれに反発。トルコに侵入していたギリシア軍を撃退し、オスマン帝国を倒した後、1923年にセーブル条約は破棄され、新たにトルコに有利なローザンヌ条約が結ばれた。その後、クルド人の居住地は、もともとは西欧列強が勝手に引いた国境線にしたがって、トルコ、イラク、シリアなどに分断されてしまった。以来、トルコ政府は、クルド人は「山岳トルコ人」であるとして、クルド語の使用やクルド名を禁ずる同化政策を行うとともに、クルド労働者党PKK)などによる独立運動を弾圧してきたのである。
 さて、先程引用した『デジタル大辞泉プラス』では、『クルドの星』の主人公の少年(ジロー)が「クルド独立運動に巻き込まれた」と書かれている。しかし、この記述には問題がある。主人公の少年ジローは、クルド独立運動に「巻き込まれた」というわけではなく、少なくとも途中からは明らかに主体的にこの運動に参加し、トルコ軍との激しい闘いに身を投じていくのである。
 日本人の父親とクルド人の母親をもつジローは、幼い頃に生き別れた母親を探してトルコを訪れるのだが、クルドゲリラに、母親に会わせると騙され、クルドの共同体の族長の元に連れてこられる。ジローの母親の行方は未だにわからないのだが、彼女は実は族長の娘であり、族長はジローを跡継ぎにしようと考えていたのだった。一度はそれを断ったジローだったが、その後、クルドの集落に対するトルコ軍のみさかいのない爆撃と機銃掃射を目の当たりにする。爆撃で妻を失ったクルドゲリラのリーダー、デミレルは、ジローを騙して連れてきてしまったことを反省し、ジローに「帰ってもいいんだぜ、日本(ジャポン)に…族長には……なんならオレが話してやったっていい。選ぶなら……たぶんいまが最後だ」と提案する。しかしジローは、「クルド人」として、ゲリラとともに戦うことを選ぶ。

その顔は………いいんだな オレたちと一緒でかまわねえんだな!?ならばおまえは…”クルドの星”の戦士(フェダイーン)だ、ジロー!!」(上巻167ページ)*3

 だが、ジローのこの主体的な選択を否定し、彼が単に「巻き込まれた」ことにしておきたい人々が、作品の中には描かれている。日本政府である。「日本人」ジローがクルドゲリラに加わっているという情報を得たトルコ軍の大佐は、アンカラ日本大使館に赴いてそれを報告する。駐トルコ日本大使ヒライは「ウ〜〜ム…まずいな、クルドといい…年齢といい…、過激派の関係とか、そういった思想的な背景はないと思いますが…いけませんな、それにしても」と迷惑そうにつぶやくが、トルコ軍大佐はこう詰問する。

「そう!!貴国との親密な関係にキズがつく!!ゆゆしきことです!!他のことならともかく、クルドのゲリラに加担するとは、子ども一人のこととて軽々にすますわけにはいきませんな。」

 ヒライ大使はこう答える。

「よくわかりました。しかし大佐、当方はあくまで日本人真名部次郎は誘拐されたものと考えたい。ゲリラとともに居るということで即断はしたくない。」

 つまり、日本政府は、ジローの行動を「あくまでも彼の主体的な行動ではない」ということにしておきたいのである(下巻18〜19ページ)。

クルドの星』下巻19ページ

 ところで、1998年に書かれた、中公文庫版の著者あとがきによると、あるジャーナリストが安彦の『クルドの星』を、トルコ領クルディスタンクルド人たちに見せたのだという。クルド人たちは喜んだそうだ。「トルコ軍と戦うクルド人が格好良く描かれているという点が圧政下の彼等にウケた」と聞いた安彦は、赤面した、と書いている。

クルドの星』上巻266ページ

 しかし、圧政下の民衆とともに戦うゲリラが「格好良く」描かれる漫画は、おそらく極めて少ないのではないか*4。主人公ジローがクルド独立運動に主体的に加わっていったのと同様に、クルド独立運動を「格好良く」描くことで、作者安彦良和も、この運動に主体的にコミットしているといえる。また、上で引用した大使ら日本政府の態度や、幼少時のジローが日本で差別を受けるシーン(上巻99ページ)を描くことで、安彦は、クルド問題が他人事ではなく「われわれの問題」でもある*5ことをはっきりと自覚している。

クルドの星』上巻99ページ

 実際、日本には『クルドの星』で描かれたようなトルコ政府の圧政から逃れてきたクルド難民が多数暮らしている。しかし、日本政府はこれまでただの一人もクルド人難民認定していない。それは、漫画の日本大使館での会話にあったように、日本政府が、トルコとの「親密な関係にキズがつく」ことを恐れているからである。それだけではなく、難民申請が却下されたクルド人たちは退去強制となり、従わない場合は入管収容施設での長期収容、医療放置、職員による暴行などの虐待が行われている。トルコ政府によるクルド人への弾圧を、日本政府が肩代わりしている形である。
 しかし、多くの日本人は、クルド問題だけではなく、あらゆる「政治的な」問題を、自分とは関係のない、決して「巻き込まれ」てはならないもの、として捉えている。だから、日本の漫画では、主人公が「政治的なもの」に主体的にコミットする場面が描かれることは少ない。「政治的なもの」に関わる人間は、狂信的な、残忍な、あるいは愚かな人間として描かれる。「政治的なもの」から距離をとる作者のそうした態度こそが、今の日本では、世の中を冷静に俯瞰して見ている「格好良い」ことだとされているのだ。だが、実際は、上に述べたようにわれわれはすでに「巻き込まれて」いる。そのことに気づかないふりをしているだけなのだ(それを「自己欺瞞」と言う)。
 最後に、『クルドの星』の終盤のSF描写についてだが…。ネタバレになるが、本作のSF設定をいくつか書き出してみる。

  • 旧約聖書ノアの方舟)がモチーフ
  • 秘密の研究室の地下に「アダム」が保存されている。
  • 「アダム」とは、20年前にアララト山で研究者が発見した氷づけの古代人
  • 「クロマニヨンはどこからきたのか…ひょっとすると彼らは外来者=宇宙人じゃないのか」との言及あり(上巻128ページ)。
  • 研究者だった主人公の父は、主人公の母の母体とアダムの生細胞を使ってアダムのクローンを生みだす

 等々。どうだろうか。1990年代に一斉を風靡したあのアニメのことを思い出したのは私だけではないと思う(ネット上では、両作品の類似性について言及している人は見つけられなかったが)。『クルドの星』が、某アニメのストーリーの発想元の一つだった可能性はあるのではないだろうか。
 本人も公言しているが、庵野秀明は先輩アニメーターである安彦良和から多大な影響を受けているようだ。しかし、「政治的なもの」に対する態度について言えば、両者は全く違うと言えるだろう。庵野が監督した『シン・ゴジラ』の中で、市民のデモ隊が、徹夜で働く政府の役人と対比して、とても「格好悪い」ものとして描かれていたことからもわかるように*6

 

*1:安彦良和といえばガンダム、かもしれないが、私はガンダム世代にもかかわらずガンダムにははまらず、というかはまりそこねて今に至る。そのことについてはそのうち書こうと思っている。

*2:「アタチュルク」とは「父なるトルコ人」という意味

*3:ジローはその後、イラクでのクルド人蜂起の指導者になってほしいとデミレルの要請を受けるのだが、ジローはこのときもまた「いやだ」とはっきり断っている(失踪した父親の手がかりを求めてアララト山に向かうことを決断していたため)(上巻233〜235ページ)。

*4:架空実在を問わず、大国の正規軍が「格好良く」描かれる漫画ならいくらでもあるが。

*5:「黒人作家のリチャード・ライトが最近、言っている。「合衆国には、黒人問題など存在しない。あるのは白人問題だ」と。これと同様に、われわれは、反ユダヤ主義は、ユダヤ人の問題ではない、われわれの問題であるということが出来よう」(サルトルユダヤ人』岩波新書、187ページ)。

*6:もちろん、政府の役人を「格好良く」描くのも「政治」なのだが、その自覚はないだろう。