ミャンマーで反戦デモ

ときどき『テレビブロス』を買う。おおひなたごう氏のマンガはかなり好きなので、同誌に連載されている「特殊能力アビル」も楽しみにしている。ところが、今回の「特殊能力アビル」では、一箇所、細かいことなのだが、「おや?」と思うことがあった。なんだか細かいことに難癖をつけるようになってしまうのだが、おおひなた氏を批判するとかそういうことではなく、ちょっと気がついたことを書いてみる。
「特殊能力アビル」第119回の最初のコマはこうなっている。

主人公のアビルと、その友人冬野村が、新聞を見ながらこういう会話をしている。

「2007年は暗い事件が多かっただ」
「2008年は世の中をもっと明るくしたいなぁ」

そして、このコマの背景には、今年あった様々な「暗い事件」の新聞見出しが描かれている。その中に、こういう見出しがある。

私もそれほどニュースは見ているわけではないが、昨日の記事でも書いた、大きなニュースとなったミャンマーの弾圧されたデモは、「反政府デモ」と報じられることはあったが、「反戦デモ」という表現で報じられたことは記憶にない(ググって見たが「ミャンマー反戦デモ」というフレーズでは一件もヒットしなかった)。おそらく、これは単純に、おおひなた氏(あるいはアシスタントの方かもしれないが)の書き間違いか、勘違いで、深い意味はないのだと思う。別にそれを大きな問題だといいたいわけではまったくないのだが、ただちょっと意地悪く言えば、やっぱり多くの人にとっては、「反戦」も「反政府」も、「なんかに反対している人たち」のようなくくりで、大体同じようなものとしてとらえられているのかもしれないな、と思ったのだ。
もう一つ、細かいことを言えば、「反戦デモ」だろうが「反政府デモ」だろうが、「デモ」自体が「暗い事件」だ、というのは、ちょっと引っかかるところではある。まあ、優等生的に書けば、「暗い事件」の見出しとしては「ミャンマーのデモ弾圧」程度が妥当かもしれない、とは思う。
で、無理やり昨日の記事(→http://d.hatena.ne.jp/zarudora/20071222/1198357169)と結びつけていえば、ひょっとすると日テレは、多くの人々が、「デモ=騒乱=悪いもの」のような漠然とした感覚をもっているだろうことを踏まえて、「ミャンマー政府に鎮圧されたデモは、みなさんが「デモ」という言葉から思い描くそういう「悪い」ものではなくて、「平和的な」「良い」デモだったんですよ」と伝えたかったのではないか、なんてかんぐりたくなってしまったのだった。
追記:
実際、昔ここ→http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20050108#p1やここ→http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20050805/p1で引用した小林正弥氏のように、反戦運動は「暴力的・闘争的側面を持って」いて「暗く闘争に彩られ」ていた、なんていう意見もあるわけです。
で、おそらくいまや、こういう表現に違和感を持たない人は多いのではないか、という気がしてきた。

反戦デモをする平和的じゃない人々
→平和的じゃない反戦デモ

これは、こういう表現が流通していることの裏返しであるとも思うが。

イラクに平和をもたらすための軍隊
→平和的な軍隊

これらが、矛盾と感じられない感覚というか。まさに、ビッグ・ブラザーの「戦争は平和だ」ってやつですね。