ニッポン・イン・ザ・シェル

(2019年に書きかけて放置していた文を少し修正して投稿)

 風邪を引いて寝ているときに、amazonプライム・ビデオで無料視聴可能だったため、2016年公開の『シン・ゴジラ』と、2017年公開のハリウッド実写版『ゴースト・イン・ザ・シェル』をタブレットで観た(※以下思い切りネタバレあり)。『シン・ゴジラ』については、公開当時ネットでいくつかの批判記事を読んで、もう観なくてもいいか、と思っていたのだが、観てみたところ、ほぼ予想通りの内容だった。ということであまり語ることはない。ただこれに関連して、そのうち、1966年のサルトル来日のときの清水幾多郎によるサルトル批判と、それに対する市井三郎による反批判のことを紹介しようと思っている。
 ハリウッド実写版『ゴースト・イン・ザ・シェル』も、最初はそれほどいいとは思わなかった。『ゴースト・イン・ザ・シェル』の原作は、士郎正宗のマンガ『攻殻機動隊』であるが、よく知られているようにこのマンガは押井守監督で1995年に劇場アニメ版(『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』)が作られている。私は押井版のアニメにはかつてかなり魅了されてしまって、何度も観返した。しかし、原作マンガと、テレビ版のアニメはあまり惹かれなかった。もう一つの劇場版アニメ『攻殻機動隊 ARISE』は未見。ハリウッド実写版『ゴースト・イン・ザ・シェル』は、押井版のアニメのシーンを20年後の高度なCG技術を用いて実写化したシーンがいくつもあった。大体忠実だったが、映像としての魅力は、20年前の押井版が勝っているな、と思ってしまった。
 さて、ハリウッド実写版『ゴースト・イン・ザ・シェル』のストーリーだが、最初から思い切りネタバレであるが、この作品の設定によると、(原作や旧アニメ版とは違い)主人公は、〈「テロリスト」に襲撃された難民の生き残りとされていたが、実は捕らえられて記憶を消され、生体実験の実験台にされていた反体制活動家であった人物〉、なのである。もちろん、この設定は、「悪の巨大組織に立ち向かう正義の個人あるいは小組織」というよくあるヒーローのあり方を踏襲したある意味凡庸なものともいえるが、作品の設定として、大企業が悪、反体制グループは正義の側に一応位置づけられているだけで、変な言い方だが安心してみていられる*1。一方、『シン・ゴジラ』はというと……この映画の主人公は、政府であり、軍隊であり、政府に協力する企業、である。そして、国会の周りに集まるデモ隊は、不眠不休で頑張る政治家や役人を邪魔する単なるうるさい迷惑な連中としか描かれていない。ただ、「巨大な悪の組織に立ち向かう正義の個人あるいは小組織」という図式を当てはめると、『シン・ゴジラ』で「巨大な悪の組織」は、一応ある。それは、アメリカとか国連である。それに立ち向かう正義の小(?!)組織が、「ニッポン」だ、と。まあこれはかつて書いたこの記事*2に関連することだ。ところで、よくあるヒーローものには、「悪の巨大組織」でも「正義の個人や小組織」でもない登場人物ももちろん出てくる。主人公の邪魔をするチンピラなどである。これはまあ、主人公の強さと、正しさを強調するための引き立て役である。『ゴースト・イン・ザ・シェル』にも、酒場で主人公を襲って瞬殺されるチンピラたちが出てくる。で、『シン・ゴジラ』の場合、つまりは国会前のデモ隊が、このチンピラ(あるいはそれ以下)の扱いなのであった(この点はかつて書いた記事*3での反体制派の扱いと関連する)。このように、『シン・ゴジラ』では、反体制派(的なもの)は徹底的な雑魚的な扱いで嘲笑されている(というかそもそも一瞬しか出てこない)が、「体制内の異端児」的なもの(つまり「巨災対」)は、むしろ肯定的にかっこよく描かれている。これもよくある話。『攻殻』の公安9課だって最初からまさにそういうものだ。
 ところで、ハリウッド実写版『ゴースト・イン・ザ・シェル』に対しては、原作や旧アニメ版では「草薙素子」という「日本人」という設定の主人公を、スカーレット・ヨハンソンというヨーロッパ系の女性が演じた、ということに関して「ホワイト・ウォッシュ(whitewashing)」ではないか、という批判が(アメリカなどで)起こった。ホワイト・ウォッシュは、最近大坂なおみを白い肌でアニメ化したCMについて話題になった*4。こうした批判が起こった一方で、『ゴースト・イン・ザ・シェル』では、一応、ヨーロッパ系、アフリカ系、アジア系と思われる登場人物が出てくる。それに対して、『シン・ゴジラ』はというと、登場人物は全員「日本人」か「アメリカ人」(一瞬フランス人)。まあ予算の問題もあったりするのだろうか、なんだか世界が閉じている。
 次に、ハリウッド実写版『ゴースト・イン・ザ・シェル』でのセリフの問題。ハリウッド実写版では、日本人俳優も二人出てくる。ビートたけし桃井かおりである。ところが、桃井かおりは英語で演じているのに対して、たけしだけは日本語で演じている。アメリカ公開時はたけしのセリフには英語の字幕が出ていたようだ(字幕の問題は後述)。なぜたけしだけ日本語なのか、という事情について、ネットで調べたところ、要するにたけしが、英語のセリフはいやだ、とだだをこねて、監督が制作側を必死に説得したことで、たけしだけ日本語になったのだという*5。たけしは多忙を理由に撮影に2日しか参加しなかったそうだが、彼はしかもその短い日本語のセリフすら覚える気がなく、スカーレット・ヨハンソンがたけしのための日本語カンペを持って見せていたのだという*6。たけしは、「自分が監督ではない場合監督の指示に従う」などと言っているようだが、口先だけじゃないの、と思ってしまう。しかも、たけしの日本語の演技がどうだったかというと、棒読みで、まあひどいものだった。『シン・ゴジラ』の「ニホン」あるいは「ニホン人」の自己像は、大国に翻弄されながらもまじめにコツコツ仕事を頑張る素晴らしい国民、である。私はこれにリアリティーをまったく感じない。一方、まさに「夜郎自大」としか言えないたけしの態度こそが、勘違いした大物ぶり、マジメにコツコツという自画像に反して実際は手抜きばかり、という、ザ・ニホンだな、という気がする。まあ、たけしの「手抜き」は、ニホンでは、なぜか「さすがに大物」ともてはやされるわけだが*7
 さて、『ゴースト・イン・ザ・シェル』の制作に関わった日本人スタッフの対談*8によると、『ブレードランナー』風の、無国籍の街に点滅するCGの看板の文字の中に、最初「高級ホテル」という物があったのだそうだ。予告編を見て、看板で「高級ホテル」はおかしい、という声があがり、日本人スタッフが最小限の変更で済む代替案を聞かれ、結局完成版では「高級大飯店」になったのだそうだ。クレームをつけたおそらく日本人は、オリエンタリズムとかそういうことではなく、ただリアリティがない、という苦情だったのではないだろうか。たしかに現実のニホンで「高級ホテル」という看板はおかしいといえばおかしいだろう。しかし、そもそも架空の未来の街なんだから別にいいんじゃないの?というのが一つ。もう一つは、「高級ホテル」が現実のニホンの街に看板としてあったらおかしいとして、じゃあ「高級大飯店」は、現実の中国や台湾の街ではおかしくないのか?ということ。私にはわからないがやはりおかしいんじゃないの?おそらくニホンから「苦情」があったため日本人スタッフが代替案を聞かれたのかもしれない。しかし、この映画は、上海電影集団公司とフアフア・メディアという中国系の会社が制作に名を連ねているのだが(呆れたことに、このことを「残念」と言っているニホンのブログもある)「高級大飯店」が現実の中国語圏でおかしいのかどうかはたして中国人などに確認したのだろうか?(そもそも中国語圏の人はそんなこと気にしないのかもしれないけど)。なんというか、ニホン人、自分のことしか考えていないんだな、というのをやっぱり感じてしまう。
 最後に字幕の問題である。さきほど、アメリカ公開時はたけしのセリフだけに英語字幕がついていたらしい、と書いた。ところで、日本版での字幕はどうだったのか。逆に、たけしのセリフだけ、日本語字幕がついていなかったらしい。だから、聴覚障害者がこの映画を観たときに、たけしのセリフだけ何を言っているかわからないということになったのだという*9。これ、2006年公開の『バベル』ですでに問題になっている*10 10年まったく進歩がないのだな、と呆れる。これも自分のことしか考えないマジョリティの無頓着さ(ファノンが言うところの「ナルシシズム*11)の現れという意味で、さきほど述べた「高級ホテル」の件と共通しているように思う。ろう者と映画に関して言えば、ろう者が主役であるアニメ映画『聲の形』で字幕版の上映が一週間遅れた問題も記憶にあたらしい。
 この聴者のナルシシズムを皮肉ったろう者向けのビデオを昔観たことがある。そこでは、架空のニュース番組で大きな事故のニュースが流れるのだが、ニュースキャスターが(手話で)次のように言うのだ。「なお、被害者の中にろう者はいませんでした」。

*1:諸星大二郎「コルベス様」 - 猿虎日記

*2:「平和国家 日本」という妄想 - 猿虎日記

*3:浅間山荘と児童虐待──漫画『刻刻』について── - 猿虎日記

*4:しかし、これは全くのたらればでしかないが、仮に草薙素子を、ヨーロッパ人のスカーレット・ヨハンソンではなく、アジア系の、例えば中国や台湾の女性俳優が演じていたら、ニホンでは、「なんで草薙素子を中国人が演じるんだ!」という轟々たる批判が起こっていたような気がする

*5:「ゴースト・イン・ザ・シェル」ビートたけしだけが日本語をしゃべる謎の真相を監督が明かす

*6:スカーレット・ヨハンソン、草薙素子役で新境地!「今までにない特別な体験」と来日イベントで告白|最新の映画ニュースならMOVIE WALKER PRESS

*7:あるいは、実はこれは照れ隠しの「たけし節」で、本当は真面目にやっていた、という裏の裏話が伝えられたりすると、それはそれで「さすが」と言われるのだろう。

*8:Vol.03 『ゴースト・イン・ザ・シェル』の“失敗”を「内と外」から語る|現場目線のハリウッド | クーリエ・ジャポン

*9:『ゴースト・イン・ザ・シェル』ビートたけしの字幕欠落! - 松森果林UD劇場~聞こえない世界に移住して

*10:wikipedia『バベル』「聾者コミュニティ内外での反応」

*11:「吸血鬼はフランツ・ファノンの夢を見るか?─「怪物」のユートピアと「人間」のナルシシズム」Web評論誌「コーラ」7号 <倫理の現在形>第7回